麗らかな午後の昼下がり、庭には七分咲きの桜がゆらゆらと揺れている。縁側から吹き込む風は春らしく温かいもので、俺は開け放たれた障子の向こう側からすぅすぅと一定の間隔で聞こえる寝息の主をじとりと見やった。 「……ぎーんーとーきー…」 * 昼過ぎに突然やって来た銀時は俺が書類整理に追われているのを見ると、紫煙漂う部屋のぴっちりと合わさった障子を開け放ち、一人縁側に転がった。 「お前、何しに来たんだよ…」 「ここの前通ったら桜が綺麗だったから」 「花見なら余所でやれ」 未だに終わりの見えない書類の山に若干苛立ちながら新しい煙草に火を着ける。 四月に入ったと云うのに外からはまだほんのりと冷たい風が吹き込んできて、今の今まで桜の事など忘れて部屋に籠もっていた俺はその風に身震いした。 「んー、確かにこの時期花見なんて何処でも出来るけどよ。お前と花見出来るのは此処しかねぇだろ?」 縁側に転がった銀時の顔は見えない。 何とはなしに告げられた言葉は俺を動揺させるには十分で、一瞬にして火照る顔を誤魔化す様に下を向く。もう先程肌寒さは無く、寧ろ今は少し暑い位だ。 「…ばっかじゃねぇの」 「はいはい、銀さん十四郎馬鹿だから〜」 「と、ととと…とおしろうとか言うな…」 「顔、赤いよ?…じゃあ意地っ張りな副長さん、仕事一段落ついたら教えてね。俺寝るからー」 そう言って縁側に転がって三分後、安らかな寝息が聞こえ始めた。 人間とは不思議な生き物だ。 ベタベタと引っ付かれれば煩わしく思うのに、離れていけば寂しく感じる。 それは俺も例外では無く、そよそよと髪を撫でる風に乗って聞こえてくる寝息の主が気になって仕方なくなってしまった。 「……あ…」 ピュウッと吹き込んだ風に積み上げてあった書類の山がふわふわと宙を舞う。 先程までの苛立ちはもう無く、代わりに妙な寂しさと虚無感に襲われる。 俺はいつも銀時にこんな寂しい思いをさせているのだろうか。 会いに来ては“忙しい”と一掃して、なのに俺が気紛れに逢いに行けば何時でも笑顔で“おかえり”と迎え入れてくれる。 少し、甘え過ぎているのかも知れない。 「…なあ、起きろよ…」 部屋に散らばった書類はそのままに、縁側に転がる銀時に膝這いで近づいてふわふわと揺れる髪に指を絡める。 暫くは綿菓子みたいな髪を弄くり回していたがそれも段々と飽きてきて、今度は顔を覗き込んでみた。俺の影で暗くなった顔には起きる気配など微塵も感じられなくて、俺は少しだけムッとする。 庭に咲いた桜と同じ色した唇は半開きで、俺は誘われるようにその唇に己の唇を近づけた。 「なぁーにやってんのかな?」 普段は目を瞑ってする行為も相手が寝ているなら関係無いと、まじまじと観察しながら近付けた唇が突然動いて、赤い瞳にキョトンとした己の姿を見た俺は絶句した。 「…いつから?」 「んー?」 「いつから起きてたんだよ…」 「土方がハイハイしながら近づいて来たところから?」 「な…!?おま、それ最初からじゃねぇかァァァア!つかハイハイとか言うな!」 ケラケラと笑う銀時に俺は若干涙目になりながら膝を抱えて赤く染まった顔を埋める。 「ごめんごめん。あんまり可愛いから起きちゃうの勿体無くてさ」 「…も、知らね」 後ろから俺を抱え込むように抱き締めた銀時を意地っ張りな俺が振り返れる筈もなく、ただ背中に感じる体温に縋るしかない。 「なあ土方、こっち向いて?」 「…やだ」 「…よーし、じゃあゲームしよう」 「……やだ」 「あれ?逃げんの?」 フッと耳元で笑われて、思わず俺は後ろを振り返る。 「誰が逃げるって?」 「じゃあ、決まりだな」 「…ゲームって何すんだよ?」 「反対語ゲーム」 「何だそれ…」 「相手の質問に自分が思ったことと逆の言葉を言うだけだよ。言えなくなった方が負け。今日はエイプリルフールだからね」 「……分かった」 「じゃあ土方からどうぞ」 ニヤリと余裕の笑みで俺の質問を待つ銀時に負けず嫌いの俺が反応しない訳もなく、ただ唇を噛んで質問を考える。 銀時が言えない、言いたくない言葉とはなんなのだろう。俺はひたすら銀時との会話を思い出してみる。 「……俺のこと、好きか?」 銀時はいつも耳元で言い聞かせるように好きだ、愛していると囁いた。 だから、と俺なりに考えたその質問に銀時は片眉をヒョイと上げて少し意外そうな顔をした。 「大嫌いだよ」 にっこりと笑って告げられた言葉にツキリと痛む心臓に俺は思わず苦笑する。 だってこれは反対語を言うゲームなのだから、大嫌いは大好きと云うことだ。それが分かっていても嫌いの一言でこんなに傷付いてしまう自分が滑稽過ぎて笑える。 「じゃあ俺の番ね」 「……ああ」 俺の葛藤など知る由もない銀時は少しだけ考えるそぶりをして口を開いた。 「俺のどこが好き?」 「………」 そう言えば俺は銀時のどこが好きなのだろうか。 ふわふわの髪とか腕っ節が強いところとか、いい年してジャンプ読んでるところとか、優しいとことか、偶に見せる男臭い顔も。そりゃ、仕事を邪魔されれば煩わしく思うけど、どこか嬉しいと感じている自分がいるし、いつも揉め事ばかり起こしはするが、万事屋の二人やそれを囲む周りの人間を必死に守ろうとしているのはかっこいいと思う。 「…身体中から甘い匂いがするとこも、怪我してても苦しい顔を見せないとこも、寝てる時にぎゅって抱き締めてくれる腕も…全部…」 どうしよう、嘘でも嫌いだなんて言えない。言いたくない。 「全部?」 「……無理だ…」 「え?そこまで言ったのに?」 「…だって、好きなんだもん……きらい、なんて言いたくない…」 霞む視界を誤魔化すように潤んできた瞳をごしごしと擦る。 「…う、ぅー…ふぇ…ひく…」 「土方?」 「…ぅ…ひっく…俺ばっか…ぎんのこと、好きで…」 「…はぁ?そんな訳ないじゃん。それに俺いっつも好きーって身体中で表現してるよね?土方には伝わってなかった?」 眉を下げて捨てられた犬のように寂しそうな顔で涙や鼻水でグシャグシャな顔を覗き込まれて俺は更に涙がぶわりと込み上げてくるのを感じた。 「…ッちが…だって、ぎん…俺のこときらい、って…いった…!」 「へ?…いや、だってそれゲームだし…てか大嫌いは大好きってことだし!もしかしてルール分かって無かった…?」 「…ちがう、分かってる…けど…」 「…ん?」 「…ふぇ…うそでも、きらいって…いっちゃ…やだぁ…ぅ、えぐ…」 情けないやら悲しいやらで泣きじゃくる俺の頭を、まるで子供をあやすようによしよしと撫でられて、俺はボロボロと涙を零しながら溜まらずに銀時の広い胸に腕を回してぎゅうぅっと抱きついた。 「え?……ひじか……うおわっ!」 ドンッと勢いよく抱きついたせいで銀時が後ろに倒れる。俺は涙や鼻水でグシャグシャな顔を銀時の甘い香りのする着流しにぐりぐりと押し付けた。 「とーしろ?」 「…ひっく、…ぐす…」 「ごめんね?こっち向いて?」 「……や…」 ふるふると頭を揺らした俺に銀時が上の方でフッと笑う。 「お願い」 耳元で囁かれれば、まるで魔法にでも掛かったように自然と顔が上を向く。呆れられたんじゃないかと内心ビクビクしながらチラリと見る俺に銀時は紅い目を細めて頭を撫でた。 「お馬鹿、俺がお前を嫌いになる訳無いじゃん。銀さんの愛が伝わって無かったのかなーとか不安になっちゃっただろ」 コツリと軽く頭を小突かれて、俺は痛くもないのにそこをさすってみる。すると銀時はそこに軽く唇をくっ付けてちゅぅっと吸いついた。 「んー?」 「かーわいい」 唇を離した銀時がそこを労るように撫でながら、見える筈の無い額を上目に見やる俺に堪えきれない笑みを零した。 「おでこに花びら落ちてるよ?」 「へ?」 「コーコ」 ちょんちょんと額をつつかれてそこを触って見ても、花びらなんて落ちていなくて俺はムッと頬を膨らませる。 「…うそつき」 「嘘じゃないよ?」 そう言って唇に降ってくる銀時の唇を俺は黙って受け入れた。 「…なあ、ゲームは俺の勝ちだよな?」 「…むぅ…」 「男に二言は無い、だろ?」 「分かったよ…聞いてやる」 「今日の夜、あの時花見した公園に来て」 「花見?」 「折角だから二人でゆっくりしっぽり一杯ヤろうぜ?」 ニヤリと笑った銀時の顔に寒気にも似た妙な震えが沸き起こる。 「…花見、するんだよな…?」 「ん?お前の身体中真っ赤な花びらだらけにしてやるけど?」 「な、ななな何言って…!」 意味を理解して顔を真っ赤に染めた俺の火照る頬を意図を持った指先がスルリと撫でる。 「…うきゃ…!…や、やめろ…ばか!」 「やだ、とーしろったら敏感」 「ふざけんな!」 「あんたらイチャつくなら余所でやってくれやせんかぃ?」 場所を忘れてじゃれ合っていた俺たちを嘲笑うかのように、今度は本物の花びらがふわりと舞い落ちた。 無論、次の日屯所中には俺の額に咲いた濃いピンクの花びらがお披露目されていた。 end |