三年は受験真っ只中、冬休みも残すところ後三日となった学校は生徒どころか教師の姿もまばらで、唯一明かりの点いている職員室だけが人の気配を感じさせる。
既に日も落ち真っ暗になった校庭を吹き抜ける風が落ち葉を飛ばし昇降口のガラスをガタガタと揺らした。

「うう、寒みぃ」

少し埃臭い昇降口は室内と言えども冷える。電気が点いているのに薄暗くて風の音が恐怖に拍車を掛けた。

「おっせーなぁ…ちくしょう、もう帰ろっかな」
「そんな寂しいこと言わないでよ」

教師用のげた箱の下に腰を下ろして感覚が無くなった指先を擦り合わせる俺に人影が重なり、顔を上げれば待ち焦がれた銀髪がマフラーに埋めた口元から白い息を零した。

「さみぃ」
「温めてあげましょうか?」
「どうやって?」
「ひとはだで」
「言い方がいやらしい」

寒さに震える足を叱咤して立ち上がると先生は髪と同じ色をした手袋を片方だけ渡して笑う。

「片方だけかよ、けち」
「もう片方はこっち」

苦笑しながらきゅっと握られた手は温かい。
ここ学校だぞと口を開きそうになったが先生がにこにこと嬉しそうに笑うもんだから、開きかけた口を閉じてマフラーに隠れた。

「誰もいないよ」
「自分だけあったけぇ手しやがって」
「誰のせいで休日出勤していると?」
「誰だろうな」
「お前だばーか」

そもそも三年の担任を受け持つ教師に休みなどあってないものなのだが、今日先生が休日出勤している理由は間違い無く俺にあるのだから仕方ない。

だけど俺だけのせいでも無い筈だ。





自分で言うのも何だが俺は割と頭が良い方で、国立大の推薦を貰っていたから進路は決まっているも同然だった。
それを突然蹴ると言い出したのだから教師達から猛反対されて挙げ句担任の銀八がお呼び出しをくらった。
じゃあ就職でもするのかと言われればそうでもない。

俺は両親が他界していて中学の時から一人暮らしをしていた。
義務教育中は親戚に家賃やら光熱費やら生活に必要な金は払って貰っていたが、高校に入ってからは自分で稼がなければいけなくなった。
だけど高校生のバイトで稼げる額なんてタカが知れていて、俺は身体を売ることを選んだ。

ドラマみたいな話だ。
夏の雨の日、新宿でずぶ濡れになる俺に傘を差した男が微笑んだ。

「濡れちゃうよ、土方くん」

一度見たら忘れられない銀髪の男は赴任してきたばかりの教師で、俺は虚ろな瞳で紅い瞳を見つめた。

「なんでこんなとこに?」
「見りゃ分かんだろ?」
「そうだね」
「…あのさ、ほっといてくんねぇ?あんたあんま教師っぽくねーし、指導とかじゃねぇんだろ?」
「うん、買いに来たんだ」
「なにを?」
「土方くんを」

何を言っているんだこいつは。
俺は男だし、それ以前にお前は教師だろう。そう思った。
べたべたべたべた茹だるような暑さの中この仮にも教師の男は俺の手を離さなかった。

「あんた、最悪だな」
「いいじゃんお隣さん。てか今日からここ土方くん家だから」
「は?」
「早く荷物移動しなね。部屋も引き払って」
「あ、あんた何言って…」
「言ったでしょ。土方くんを買いにきたって」

それからお隣の担任教師の部屋は俺の部屋になり、恋人になり、もうすぐ伴侶になる。
まだ本当の意味で繋がってはいないけれど、それは先生が先生としてのケジメとして決めたことだ。
しかしその誓約にも終わりが近づいている。

俺は、坂田十四郎になる。





「先生にばかとか言われたくない」
「先生は先生なのにばかとか言われたくない。あと、二人きりの時に先生って言ったから罰ね」
「…あ。でも学校だからそれは無しだろ」
「無しじゃありませんー。お前ね、俺があいつらに土方は自分の本当にやりたいことを見つけるまでプー太郎になるみたいですって言って分からせるまでどんなに大変だったと思ってんの?ご褒美くらい頂戴よ」
「プー太郎かよ。本当は先生の奥さんになるだけなのにな」
「……犯すよ?つーかまた先生って言ったー、罰2!」

そんなこと出来ない癖によく言う。
先生は意外と誠実な男だ。
大体やりたいのは先生だけじゃねーし。どっちかと言えば若い俺の方が色々大変だったりするんだぞ本当は。
朝起きて隣に先生の寝顔があるのだって未だに慣れないしドキドキする。

嬉しそうに手袋がついた方の手てピースを作る先生に苦笑して握った手に力を込めた。
キスしたいからわざと先生って呼んでるんだなんて言ったら先生はやっぱり困ったように笑うのだろうか。

「そうだ、ちょっと早いけど渡しとく」
「ん?」

赤い顔でぶっきらぼうに渡されたぺらぺらの紙を開くと養子縁組みの文字。
少しよれよれになっているのがなんとも先生らしい。

「こ、これで本当の家族なんだからねっ!」
「…なんでツンデレ?」
「うっさい!恥ずかしいんじゃぼけ!」

わあわあと髪を掻き毟る先生に爆笑しながら開いた薄っぺらい紙を見ると、確かに先生の文字で記入されているところが合って妙に愛おしくなった。

「なあ先生、ちゅうしてもいいか?」
「えええ!こ、ここで?土方くんってばだいた……」
「この紙に」
「紙かよおおお!」

うっかり期待して損したと騒ぐ先生を尻目にぺらぺらの紙にキスを落した。

俺は本当に先生の家族になれるんだ。





先生は俺同様に両親がいなかった。
居るのは弟二人に妹が一人、先生に似た天パにおおらかな性格。
俺と先生の関係を明かした時も真剣に受け止めてくれた。

受験も近づき、冬休みに入ったばかりのクリスマスイブの日、坂田家全員と俺で囁かなクリスマスパーティーをしていた時のことだ。
それまで楽しそうに飲んでいた先生が急に真剣な顔をして俺の名前を呼ぶもんだから、俺は勿論坂田家の面々もシンと静まり返り先生が口を開くのを待った。

「土方くん、いや十四郎くん」
「へ?な、なんですか?」
「俺の、家族になりませんか?」

俺は口を開けて固まった。
一緒に聞いていた坂田家の面々はきゃあきゃあと手を叩いてぱっちゃんやるぅだの何だのと騒ぎ出したが俺は正直先生が何を言っているのか分からなかった。

「十四郎くん?」
「先生、それって…」
「俺たちは結婚は出来ないから、養子縁組みって形になるんだけど…まあ事実上結婚というかなんというか、だなぁ」

言葉を失う俺に次男はもう一人弟が出来たと喜び、三男は同い年だけど俺が兄貴だからなと鼻息を荒くした。末っ子の妹は出来のいい兄ちゃんが出来たと泣いて喜び抱き付かれ、中学生にしては発育のいい身体に自然と腰をひく。

「こらパー子、十四郎くんを誘惑すんな」
「だって兄ちゃんにはもったいないもん」
「うるせーわ!…十四郎くん、大丈夫?」

呆然とする俺の頭を四つの温かい掌が撫でていく。
俺はジワリと溢れる涙を堪えるので精一杯だった。

「俺で、いいんですか?」

「「「「十四郎がいいの!!」」」」

重なった四つの声にみんなで爆笑して、俺は溢れ出した涙を拭おうともせずに沢山泣いて沢山笑った。


いってらっしゃいとおかえりなさい、おはようお休み、ごめんなさいありがとう、いただきますごちそうさま。
毎日先生のために洗濯をして、飯を作って。朝は笑顔で見送って夜も笑顔で出迎える。そんな生活がしたいと思った。

先生は最初反対したけれど、俺がそれを望むならと進学を棒に振ることを許してくれた。
そして小さな声でぶっちゃけ俺も嬉しい、と呟いた。

そして俺は春から先生と一緒に坂田家へ引っ越すことになっている。





今までのことを思い出しながら養子縁組みの紙に何度も口づける俺に銀八は唇を尖らせて俺の袖を引っ張った。

「ずるい。俺にもちゅうしてよ」
「ふふ、じゃあ早く帰ろうぜ。俺たちの部屋に」
「あーあ、二人だけで過ごせるのもあと少しか。あいつら絶対邪魔してくるよなぁ…」
「重度のブラコンでシスコンの癖によく言う」
「うるせ。俺はトシコンなんですー」
「はいはい、寒みぃから今日は鍋にしますか?」
「じゃあ家で鍋にすっか!大勢いた方が楽しいし!」
「やっぱブラコンだよあんた」

小さなスクーターに跨り、俺専用のメットを被せられると幾分か温かくなった掌に冷たい感触がして顔を上げた。

「あ、雪だ」
「まじでか。道理で冷える筈だ」
「…銀八」

ぎゅっと抱きついて名前を呼べば同じようにメットを被った銀八が振り返る。

「キスしたい」

二人ともメットを被った状態で何言ってんだかなあと自分で自分があほらしい。
きょとんと俺を見つめる銀八の視線に耐えきれず視線を逸らすと、ガツンと顔全体に物凄い衝撃がきて、何事かと視線戻すとメット越しに目を閉じている銀八の顔があって、そのアホ面に思わず声を上げて笑った。

「なにしてんの」
「十四郎くんがキスしたいって言ったんじゃん!」

すっかり拗ねて前を向きスクーターを走らせてしまった銀八にぎゅっと抱きつく。
凍てつくような寒さは声さえも奪うのに、不思議と寒いとは感じなかった。

「ごめんねせんせ、あいしてるよ」

温かい背中に呟いた言葉は風に消えてしまえばいい。


(先生、俺に温もりをくれてありがとう)


「………俺もあいしてる!!」
「…聞こえてたんかい!!」


end





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