「―――?」 夢の中でギンちゃんが呟いて、顔色を青白くさせ、次第に離れていく。ギンちゃん、さっき何て言ったの?待って、ギンちゃん、私も―― 「柚子?何だか今日、元気ないね?」 「あ、はい…大切な人が何処かへ行ってしまわれた夢を見て、起きたら本当にいなかったんです。ついさっきまでいたのに、まるで始めからいなかったかのように…」 「そうなんだ…」 千尋ちゃんは無言のまま、私と肩を並べて帰り道を歩いていく。私が眠る前、確かにギンちゃんはいたはずなのに。私の髪の毛を触ったはずなのに。今までギンちゃんが黙って何処かに行くなんて、なかったのに。 「…」 「…ちょっと休もうか」 千尋ちゃんは鞄からハンカチを取り出し、私に差し出した。私はそれを受け取るとぎゅっと目に押し付けた。いつまで経っても、私は弱い。近くにあった公園――あの思い出の公園のブランコに私たちは腰掛け、鎖を強く握り、私は足に力を入れブランコを軽く揺らした。 「どうしてうまくいかないのでしょう」 「…柚子は悪くないよ」 「でも、私は愛してしまったのです。もう届かぬあの人を…」 「そんなに好きなのね…」 千尋ちゃんはブランコから降りて、私の前に立った。どうしてだろう。千尋ちゃんは笑っているのに、私の身体は冷たい、凍るように寒い。 「だったら、死ねばいいのよ」 「えっ、ぁっ」 千尋ちゃんは何処からともなく刃物…というより刀を取り出し私に向かって振り下ろした。私はブランコから落ち、地面へと倒れ込み、間一髪避けることが出来た。 「ち、ひろちゃん!?やめ、てください…!」 「あなたのせいよ…あなたのせいで、私もみんなも不幸になったのよ」 「…それは、どういうっ」 「あの世で聞かせてあげる!!!」 「きゃっ!」 真正面から振り下ろされた刀をしゃがんで避け、私は公園の出口へと走った。ゆっくりと追いかけてくる千尋ちゃんはこの世の者ではないような雰囲気をさらけ出し、それはとても不気味なものだった。 「っ、あれ、」 「結界を張ったのよ。誰も入って来れないわ」 「…千尋ちゃん、」 「…あんたに名前を呼ばれるだけで虫唾が走る。今すぐ喉を切ってあげる」 「いや、誰かっ、」 ギンちゃん―――その名前は声に出なかったのはどうしてだろう。来てくれると信じていたのだろうか。しかし、私は心の何処かで思っていたのだ。彼に、もう迷惑を掛けたくないと、私は私の力で―――…。 「…ギン、…やっぱり来たわね…」 「もうええやろ、千尋」 「…ギン、ちゃん…」 ほっとしたのか、私はそれまで十分に出来なかった息を何度も深く吸い込んだ。私に背中を向けて千尋ちゃんの刀を留めたのは、いなくなっていたギンちゃんだった。彼の名前を反射的に呼んでしまった私だったが、彼は振り返ろうとしない。 「ギンちゃん」 「千尋、先帰っとき。ボクもすぐ帰る」 「…私は、」 「お願いや、千尋」 「…分かった」 千尋ちゃんは私たちに背を向け、イヅルさんが前にしてくれたのと同じように刀を空中に差し出した後「解錠」と小さく呟き、丸い襖の開いた中へ消えて行った。 その背中をギンちゃんが追おうとするかのようにゆっくり歩いていく。私は座り込んだ体制のまま、ギンちゃんの裾を強く引っ張った。 「ギンちゃん、帰るって、どうしてですか?」 「…」 「またこっちに、来てくれますよね…?…答えて、ギンちゃん…!」 「…」 「やだよ、もう、行かないで、っ、」 「…ごめんな、柚子」 ギンちゃんは私が掴んだ裾を嫌がるかのように強く引っ張り、遂に最後まで此方を見ることもなくあちらの世界へと姿を消して行った。そして、ギンちゃんは一度も私の言葉に頷いてくれなかった。 襖が次第に薄れ、辺りはいつもの公園の雰囲気が広がっていた。まるで、今まで私しかいなかったかのように。 「どうして……どうして…?」 私はその場に丸くなり、声にならない叫びを共して泣き崩れた。彼との“最後”がこんなにも早いなんて。 離れてくれない声と涙 私はこのとき確信したのかもしれない。今度こそ、彼との本当の別れがやってきたのだと。それは絶望というものに近かった。 110816 |