私の襟元を乱暴に掴み引き寄せて宙に浮かせ、無理やり私を立ち上がらせたその人は、にっこりと微笑みながら後から現れた狐目の男に向かって言った。



「この子なんだけど、人間なのに現世から手違いでこっちに来ていたんだ。君が送り返してくれないか」
「は?ボクがですか?」


「頼むよ。君にしか出来ないからね」


笑いながらそう言った後に私は彼にドンッと肩を力強く押されてそのまま派手に床に転んだ。足元に座り込む私を可哀想に思ったのかその人は少し怒りを含めたような口調で男性に言った。


「…いくらなんでも酷すぎやないん、藍染はん」
「そうかな。私は至って普通だけど。ギンは優しいからそう思うだけさ。それに酷いのは君の方だよ、ギン。その意味をその子に教えてもらえばいい」


そう言った後に藍染という男は含み笑いを残し、踵を返して部屋を出て行った。残された私と彼。全ての話を聞いて呆然としていた私は、彼に背中を向けて座り込んだ体勢から動くことが出来なかった。なかなか立とうとしない私を心配したのか背後から声をかけられる。



「君、大丈夫?」
「…はい」
「人間なんにどうやって入って来たん?」
「…そ、れは」
「藍染はんのことは気にせえへん方がええよ。嘘ばっか言いはるし」


「…嘘だったら、私は貴方に名前を呼ばれてるはずなんです」




彼に聞こえないくらいに小さく呟いた後に顔を上げて後ろを振り向いて見るとやっと顔を上げた私の顔を、彼はまじまじと見ていた。―――まるで、初めて見るかのように。



やっぱりあの人の言ったことは嘘なんかじゃない。私は貴方に嘘を吐かれていたんだね、ギンちゃん。



悔しさと悲しみが交錯し胸を強く締め付けた。藍染さんの言うことが少しでも嘘だったとしたら私は救われていたかもしれないのに、何もかもが正し過ぎて何も言い返すことが出来なかった。それよりも気付かされたのは、私がギンちゃんを愛することによって過去の罪は許されるといつの間にか勘違いしていたことだ。―――二人は別人だというのに。




「…ご迷惑おかけしてすみません。私は大人しく現世へ戻ります。此処は私のいるべき場所じゃないと分かってましたから」
「でも何か理由があったから来たんやろ?」
「あったけれど、無くなりました。いえ、正確に言えば…分からなくなりました」



私は差し出された彼の手を握ってゆっくりと立ち上がった。目が合ってもこんな風に触れても、彼には何の反応もない。本当に私のことを忘れてしまったんだ、最初から何も無かったかのように。そんなに簡単に私のことなんて忘れられることだったんだ。本当は人間の女の子なら誰でも良かったのかもしれない。所詮私は暇つぶしだったのだ。そして偶然が重なって彼は私の想っていた人にそっくりで“彼そのものだ”と信じて疑わない私だったから面白半分で私を騙していたんだ。



「…のに、」
「え?」
「っ、違うって、分かってるのに、疑ってしまいます…」
「疑うって?何で泣いてはるん?」
「本当にっ、私がどうでもいい存在だったなら、自分が罪を受けてしまうほど思い入れなんてするはずないんです、」
「…罪って…君は、一体…?」
「…私が心の中で謝り続けていたのはいつの間にか“死神の彼“に対してではなくなっていました。本当は、彼に。“私を庇って亡くなった幼い彼”に謝っていた自分がいたんです」



「…私は、貴方を、死神の貴方を愛してしまいました。ギンちゃん…っ」



私は彼の白い羽織りの裾をぎゅっと握り締めて俯いた。瞳から零れた涙が雫となって後を追うように床へ次々落ちていく。最後に伝えなければならないこと、それは貴方を、“死神の市丸ギン”を愛していたということ。私のことを覚えているギンちゃんはもういないけれど、今だけでも彼の記憶の中に私がいればそれで構わないと思った。




ふたり夢に落ちて




120628


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