先日、気付けば私は知らない町で一人歩いていた。何故、その道を歩いていたのか、何処から迷ったのか、全くと言っていいほど記憶がなく、仕方無しに私は近くの河川敷に腰を降ろした。しばらくして後ろから楢橋と名前を呼ばれ振り返る。そこには朽木さんがいて、安心したのか自然と目から涙が溢れてきた。どうして朽木さんがここに、そう言おうとしたけれど朽木さんは何も言わず私に背を向けて歩き出した。私は急いで追いかけて静かにその背中についていく。



「もう、迷うなよ」



振り返って私に言った朽木さんのその言葉と同時に、気付けば私はベッドの上にいた。…夢だった、のだろうか。いや、違う。だけど記憶だとしたら曖昧過ぎる。まるで、創られたような薄っぺらな記憶。



「市丸、ギンという者を知っているか」
「…市丸、ギン」



学校で朽木さんにそう言われ、思い出そうとしたが、まだ頭がくらくらしていてよく思い出せない。だが私にそんな珍しい名前の知り合いがいるのならすぐ思い出せるはずだが。


「…何処のクラスの人ですか?」
「…いや、いいんだ。気をつけて帰るのだぞ」
「はい」


そう言って朽木さんは黒崎君と肩を並べ廊下を歩いて行き、見えなくなった。私は教室に戻り日誌を開いた。朽木さんと黒崎君は付き合っているのだろうか。いつも一緒で、羨ましい。そういえば黒崎君はたつきちゃんとも仲が良かった。色んな人と仲良く出来て本当に羨ましい。朽木さんも―――


私はピタッと文字を書いていた手を止めた。



「市丸、ギン…?」



先ほどの朽木さんの言葉が気になって思い出していた。茜色の夕日が私しかいない教室を照らし、私を照らす。それは、こんなにも鮮やかなものだっただろうか。


「今日、は、すごく、たのし、かった、です、…あれ、?」


一度日誌を閉じた後に溢れ出した記憶。バッともう一度日誌を開き、先週私が書いたところを見るとやはり同じことが書いてあった。だけどこのときは全く楽しくなかったのに、楽しかったって書いてしまって一人泣いたんだ。それは、何故。


「泣かんといて」


誰の言葉だっただろう。何故か台詞は覚えているのに思い出せない。だけど誰かに言われた言葉で、あの日の私はその言葉があったから泣かないようにしていたんだ。


「…ギン……」


顔も、声も、何一つ浮かばない。だけど何故か、名前だけ聞いたことがある気がしたのだ。もしかしたら、夢かもしれない。勘違いかもしれない。だけど、



私は日誌を手にして教室を後にした。家に帰ってみれば、もしかしたら何か思い出せるものがあるかもしれない。何故私は何かを忘れてしまったのか分からない。分からないけれど、もし知っていたのなら思い出したい。


「もう、迷うなよ」


きっとこの思いは朽木さんのあの言葉が思い出させてくれた。あの時、迷うなと言った朽木さんの顔は笑っていなくて、とても悲しそうで。朽木さんにも私と同じで過去に何かあったのかもしれない。―――過去?


「私、過去に何か…?」


とても大事なことが過去に起こった気がするけど、思い出せない。もしかしたら私が忘れているのは、過去だろうか。とにかく私は早く思い出したくて家へと足を急がせた。



貴方が私の名を呼んだことにも気付かずに。



戻れない世界にゆきたい



私との記憶がないと知って本当は寂しかった。私の知っているギンちゃんなのだろうかと疑うことさえ覚えてしまって。


だけど忘れたから分かったの。ギンちゃんが今の私と同じだというのなら、もう無理に思い出さなくてもいいって思った。だって今の私は、ギンちゃんを忘れてしまったけれど、ずっとギンちゃんが好きだから。今はただ、会いたい。それだけ。


100819
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