main

main story





「やっぱこうなっちまうのかよ……」
弓に手を伸ばす。それを制するように、フェンリルは俺に何かを投げてきた。包まれていた布から、荒廃した大地に転がり出て来たのは、鈍色に煌く剣だった。
「これは……」
「お前が先の大戦で使っていたものだ。弓では俺には勝てないだろう、それを使えばいい」
「ふん、舐められたもんだぜ」
俺はその剣を手に取った。確かにそうだ。俺は弓を捨て、剣の柄を握る。久しぶりの感覚に、ちょっとした違和感を覚えた。ふ、と小さく奴が笑う。
「女に言われて己の武器を変えるような奴だ、どうせ愛着もないだろうがな」
「お前こそ、そう思ってるならなんで俺の剣なんて取っておいたんだ」
「さあ、何故だろうな? 小手調べに遊んでやる」
フェンリルは俺に切りかかってきた。剣先を狙って切り込んでくるその姿は、とても敵とは思えない。剣を受け、次第に感覚が戻ってくるのが分かった。
今や弓に慣れ親しんだ自分でも、昔必死に習った剣術は忘れないものだ。
こいつの剣を受けるのは何時振りだろう
鍔迫り合いの果て、フェンリルは笑った。
「戻ってきたようだな。さあ、そろそろギアを上げよう」
打ち付けるスピードが速まる。まるで稽古でもされているようだ。かつての、幼い頃の二人の様に。ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。一瞬の隙を突かれ、剣先が弾かれた。少しの距離が生まれる。
フェンリルは薄く微笑みながら、まるで吐息に乗せるかのように呟いた。
「“残雪”」
そして、剣を振る。その軌跡が、氷になって俺に向かってきた。氷の道になったその上に飛び乗り、フェンリルは跳躍した。向かいざま、もう一度詠唱するのが耳に聞こえた。
「“細雪”」
レイピアが細かな軌跡を辿って何度も繰り出される。剣では間に合わない。俺はとっさに詠唱した。
「“ラディーチェ”!」
地面から木の根が生え、フェンリルの剣戟を捌いた。
「“ラーモ”!」
根が枝に変化し、フェンリルに巻き付く。動きを封じ、このまま捕縛できれば。そう思った瞬間だった。フェンリルを捉えたはずの枝が、急速に凍り付いて剥がれ落ちて行く。
俺を見ながら、すっと人差し指を己の唇に当てた。子供に静を求めるようなその姿が、何故か酷く美しく見えた。
「“霞”」
その言葉を言うや否や、周囲が霧に包まれていく。一瞬にして奴の姿が見えなくなった。
俺は剣に再度手をかけた。
「逃げる気か!」
「お前こそ。俺を捉えられると思っているのか。殺しに来ないなら、俺が殺してやる」
霧に反響して、何処から声がしているのか解らない。一体どこへ。俺は目を閉じ、気配を追った。
鋭い殺気が、俺の身を切る。後ろだ。俺は反射的にそこへ剣を振り下ろした。がきんという鈍い音が響き渡る。濃藍の髪が見えたと思った瞬間、またその姿は消えた。
こんなに視界が悪いのでは話にならない。ともかく相手の動きを探らなければ。俺は剣の柄を両手に持ち、大地に突き刺した。柄に額を寄せ、俺は小さく言葉を発する。
「“テッレモート”」
詠唱と同時に剣を中心に大地が震動する。簡易的な地震のようなものを起こしたのだ。勿論範囲は狭い。大地の揺れが、俺に教えてくれる。奴の居場所を。
たった一つ。大地の上で留まる影。あれだ。
俺はその場から剣を抜き、跳躍した。動きを止めるため、峰打ちを狙う。
ぎぃん、と、剣は厭な音を立てて弾かれた。これは、違う。奴じゃない。剣先に付いた氷塊が、俺の思考を一瞬止めた。
――ばさり。
頬を、亜麻色の何かが落ちて行く。……俺の、髪だ。後ろで束ねていたそれが、切り落とされたのだ。一緒に落ちた、結紐が切れている。
霧が晴れる。
フェンリルは俺の前に立っていた。
「これで昔のお前に戻ったな」
「お前……」
「惚れた女に貰ったものを大切に思う気持ちも、解らぬではないが。昔のお前なら、俺を倒せるかもしれない」
「あの人とは、そういうんじゃない」
切れた紐は、シルフ様に貰ったものだ。貴方は剣が似合わないね、弓の方が良いんじゃない。そう言われて変えた。弓を打つとき邪魔でしょう。そう言われてもらった結紐。
フェンリルはいつだって俺に言った。お前は剣が似合うな、と。
「なあ、エコー。真剣勝負と行こうじゃないか」
「……ああ」
フェンリルと俺の剣が、激しくぶつかり合う。もう小細工なんかいらなかった。
一体どのくらい、俺たちは剣を交えていたんだろう。もう俺もフェンリルも、体も剣もボロボロだった。俺たちに残されたのは、最後の一打に込める力だけだった。
「は、っはぁ、なあ、フェンリル」
「なん、だ、エコー」
「俺はお前を、こんな形で失いたくなんて、ない」
「お前は、馬鹿だな」
フェンリルは微笑む。いつもと一つも変わらない笑顔だ。だけれどその手に持った切っ先は、確固たる殺意をもって俺の方を向いている。
「お前が俺を倒さなければ、俺がお前を殺す。そして、お前の大事なイリスたちも殺す。ただそれだけの事だ」
「……それは、させない」
イリスが待っている。
俺たちは、今まであの子にどれだけ救われて来ただろう。傷ついた心も、抱え込んだ過去も、全て内包した無償のやさしさに。過去を捨てきれない俺に差しのべられた手の、その温かかったこと。笑顔の美しかったこと。
俺はあの子の元に戻らなくちゃならない。
「次で決めよう、フェンリル」
「そうだな」
俺たちは互いに剣を構えた。
「氷剣術奥義【雪花・氷雨】」
「地剣術奥義、【菖蒲】!」
俺の体は夜明けの紫に包まれる。フェンリルは真夜中の色だ。フェンリルのレイピアから発せられた凍気が、奴の腕と刀身を包み込んでいく。倍ほどになった太さのそれを、一度の跳躍で繰り出してきた。俺も、飛ぶ。奴の剣先に合わせ、俺は――
――から、ん。
剣が、落ちた。
俺の剣だ。利き腕である右肩に、深々と突き刺さったのはフェンリルのレイピア。俺の指にはもう力が入らなかった。
それでも、立ち上がったのは、……俺だった。
「は、はは。やはりお前は、つよい、な」
「フェンリル!」
俺の剣は奴の心臓を突き刺し、そして折れて落ちていた。フェンリルは崩れた地面に横たわりながら、それでも俺に微笑んだ。
「どうして……どうして、なんだよっ……」
「ウンディーネ様の、ため、だ」
「え、」
ごぷりと口端から血を零しながら、フェンリルは虚空を見つめる。その眼には、一体何が映るのだろう。
「あの方は、もう、力を抑える力が、ない。このままでは、暴走してしまう。だから、シェードの力を、借りたかった。彼女は、偉大な方だ。民の、あこがれだ。それに、俺の――」
「馬鹿ね」
ふわ、と、水の香りがした。長いブルーの髪が、灰色の空に映える。フェンリルは目を大きく見開いて、動かない体を無意識に動かそうとした。
「ウンディーネ、様……」
「あたしは、そんなことしてほしくなかった。それより貴方に、傍にいて欲しかったわ」
細く、白い指が、そっとフェンリルの頬に触れた。
「わたし、は――私は、貴女の事を、ずっと……」
フェンリルの口を、頬に触れた人差し指でふさぐ。
ウンディーネ様は、微笑んだ。
「知っているわ。何千年貴方と居ると思っているの?」
彼女の足元が、すう、と消えて行く。俺は慌ててウンディーネ様を見上げた。
「エコー。あたしは、この子と行くわ。ねえ、世界を、頼んだわよ」
「ウンディーネ様、フェンリル!」
「さようなら。ありがとう」
ざあっと吹いた突風が、彼女も、奴の残滓すら消し去ってしまった。
廃墟に残された俺に残ったのは、胸を締め付ける友人の最期の笑顔だった。



Last Episode5 
view of echo【cross swords with my dear】






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -