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 マッフェンへの入国は、驚くほどにスムーズだった。というよりも、門にだれも人がいないのだ。罠かとも思い警戒していたが、その心配も杞憂に終わったらしく、何もないままに私たちは科学の国マッフェンに入国した。
「科学の……国なんですよね?」
 私の目に映った光景は、想像していたのとは幾分か――いや、相当かけ離れていた。地面はコンクリートで固められてはいるものの、建物は崩れ、雨風にさらされたそれはとても文明の発達を想起させるものではなかった。かろうじて読める、町の名前が刻まれていただろう看板には、カースト、の文字があった。
「確かにマッフェンは科学の町なんだけどねぇ……、それはセントラルだけなの」
「セントラル?」
「中央都市の事だ。その他の町は……こんな風に、荒れてしまっている」
「で、でも……精霊様のご加護は何処に……」
 3人は黙ってしまった。歩き出しながら、エコーさんがぽつりと言葉を放った。
「ここの大精霊、シルフ様は、こんな人間たちのためにその精霊としての気力を搾取されて……今はもう、大きな恵みをもたらすだけの力は残ってないんだと」
「そんな……」
 今までの国では、何処も大精霊様のお力があった。緑、熱、雪。ここはどうだろう。吹き荒む旋風は鉄の匂いを運び、とても薫風とは呼べない。むしろ、冷たいそれはフリッシュの風と同じだ。それほどまでに、大精霊様のバランスは崩れているのか。
「早く出ましょうね」
 そっと私の手を取ったフラウさんの微笑みは、何故だかどこか苦笑にも似ていた。
 目の前を歩くフレイムさんの背中を見ながら、私は何処か、胸の中にわだかまりを抱えていた。私は気が付いたのだ。本当に、私が『好き』な相手に。でもその人は、おそらく数百年の時を生きていて。
「叶いっこないわ……」
 ぽつりとつぶやいた言葉は、突如こだました馬の蹄の音にかき消された。
「な、何だっ?!」
「人間……追い剥ぎか!」
「あらぁ〜」
 驚くエコーさんに、瞬時に状況を理解したフレイムさんが続ける。フラウさんは相変わらずのおっとり口調だった。フレイムさんは私の手を取り、かばう様に前に立った。
 高鳴る心臓が、今はうるさい。
「お前ら、金持ってんだろ!」
「有り金全部そこに出しな!」
「お金なんてないわよぉ」
「嘘吐け! ふん、女も居るのか。お前たちは俺が、へへ」
「ちょっとちょっと! うちのアイドルズを汚すの止めてくれない?!」
 俺が何ですか、そしてエコーさん、アイドルズって何ですか、と聞こうとした口をそっとフラウさんに手でふさがれる。
「もが!」
「イリスちゃんは綺麗なままでいて?」
 何がだろう。首を傾げてから頷くと、フラウさんは笑顔で手を放してくれた。
「どうする。追い剥ぎとはいえモンスターとは訳が違う。戦うか?」
 フレイムさんが振り向いて私たちを見る。うーんと唸るエコーさんは、とりあえずと矢に手をかけた。その時、私たちの耳を震わせたのは、もう一匹の馬の蹄の音だった。
「ち、増援か……」
 振り返ったそこには、馬に乗った青年がいた。健康的に白い肌、鞠塵を思わせるカーキグリーンの短めの髪に、山藍摺の瞳は銀縁眼鏡の奥で細く煌いている。
「な、ジン?!」
「お前たち。追い剥ぎとはみっともない、散れ」
「マッフェン軍のお偉方がどうしてこんな所に!」
「引け、引くぞっ! 殺される!」
 声には少年のようなあどけなさが残るが、発せられた言葉には間違いない威圧が込められていた。私たちを取り囲んでいた追い剥ぎたちは、慌てたように散っていった。
「ふん、マッフェンの恥さらしが」
 彼はそういうと、馬からその痩身を下ろした。口元に微笑みを湛えながら、私たちに近づいてくる。そういえば、さっきエコーさんが、じん、と。
「お久しぶりですね、皆さん」
「ジン! 久しぶりだな!」
「はい、フレイム兄さんもお変わりないようで」
 彼は3人とも知り合いのようだ。慇懃無礼な態度と白い軍服は、ちょっとミスマッチな感じもする。彼は私に気が付くと、すっと綺麗に一礼した。
「初めまして、お嬢さん。私はマッフェン軍第一騎兵隊少佐、ジンと申します」
「え、あっ、初めまして、私、イリス・ルイです」
顔を上げた彼は柔和な笑みを浮かべている。とても軍人とは思えないが、さっきの態度や口調から言っても、間違いなくそうなのだろう。エコーさんが私の隣に走り寄り、ジンさんに話しかけた。
「どうしてこんなとこにお前がいるんだよ! びっくりしたじゃねーか」
「聞きましたよ。サラマンダーとエントが謀反を起こしたそうですね」
「……!」
 その言葉に、私たちは言うべきことを失った。ジンさんは溜息を吐いた。
「本来守るべき立場の者が、己が使命を放棄するなんて。愚かしい事です」
「……ああ」
 フレイムさんが頷く。ジンさんは馬を引いて、私たちと歩みを共にした。
「その一報をフリッシュの同志に聞きましてね。ちょうどこの街の偵察をしていたものですから、もしやと思って国境付近に行ってみたんですよ。うちの国の者も、そちらに行ったと聞きましたのでなおさら気になりまして」
「そうだったのか」
「ええ。お恥ずかしい話なのですが、今、我が国は貧富の格差に喘いでいる上、ここの所の内乱の飛び火でセントラルがささくれ立っていましてね。そのせいか、軍にも内部分裂の動きがあるのです。そのため、セントラルの中には、部外者はおろか、通行証のない者は入れなくなっています」
「ひえー。セントラルって今そんな感じなのかよ」
「ええ。一応私が目を光らせてはいますが、この道も先程の追い剥ぎや盗賊、スラムの子供たちがいつ出てくるかも解りません。交代で前を歩いたほうがいいかと」
 最もだった。今はその手の人たちと交戦している時間も労力もない。出来るだけ早くセントラルへ向かい、内乱を起こしているマッフェン軍の人を捉えなくては。
私たちは交代で哨戒任務にあたることにした。フラウさん、フレイムさんは前を。エコーさんは後ろを歩いて、私はジンさんと真ん中を歩くことになった。
「イリスさん、と言いましたね」
「はい」
「貴方はどうして、この旅を?」
 眼鏡の奥の濃緑が、私を映す。私の旅の理由、それは。
「私のいた教会が、燃やされたんです。沢山の人が死んだ。悲しかった」
 今でも蘇る、頬が焼けるような熱。鮮烈な紅。立ち昇る煙。全てを消し去る炎だった。
「悲しい思いをするのは、私だけでいいって、最初はそれだけで。でも、旅をして変わりました」
「変わった?」
「はい。私の力なんて、とても小さくて、一人じゃ何もできませんでした。だけど、一緒に戦ってくれる仲間がいたら、それだけで……私は強くなれる。今は、守りたいんです。平和を、愛する人たちを」
 ジンさんは笑うだろうか。私はちらりと彼を見上げる。彼は笑っていた。でもそれは、嘲笑や諦めのそれではない。
「立派ですね、イリスさん。貴女のような人間ばかりなら、この世はうまく回ったでしょう」
 照れくさくなって私はジンさんから目をそらした。
「そういえば、ジンさん」
「はい?」
「この国では、あまり大精霊様の気配を感じないです、ね……さっきもその話をエコーさんとしてましたけど、やっぱり……」
「……この国は、文明の国です。科学の国でもある」
「はい」
「もともと精霊信仰が他国に比べて薄い上に、先の大精霊戦争では配下精霊の体を弄りまわして研究材料にもしたそうです。その精霊は今も、重い後遺症に苦しんでいるとか。だからこそじゃないでしょうか。精霊はこの国を、加護する気などないのですよ」
「そんな……、そんなのって、酷すぎます。精霊様をそんな……。人間の欲望だけで、犯していい領域じゃありません!」
 ついかっとなってしまう。幾ら人間が進化を欲求し、そうしてきた生き物だとしても、そんなこと。バオアーやフリッシュ、それにハイスヴァルムではそんなことは決してしていなかった。
「ふふ。貴女は強いですね。もしかして……そうさせたのは、彼でしょうか?」
 ジンさんの目線の先に揺らめく、赤い髪。私は小さく頷いた。
「でも、でも――彼は、本当は――」
「そうか、貴女はもう、知っているのですね」
 ジンさんはそっと私の唇に人差し指を当てた。まだ、そう言うかの如く。
「いずれ解る時が来ますよ。それまでは、私と貴女の秘密にしましょう」
いたずらっぽく微笑む彼に、私は頷く。彼も満足したように頷いた。
「ジン! 見えて来たぞ!」
 フレイムさんの声が響いた。私は後ろのエコーさんに合図を送り、彼を呼ぶ。私とジンさんも、フレイムさんとフラウさんに合流した。
 眼前に広がる街は、今まで通ってきた何処にも似ていなかった。巨大なビルが所狭しと立ち並び、自然などは何処にもない。鉄の色が浮き出し、空すらかげって見える。近代化が進むマッフェンを体現したようなそこに、私の足は竦んだ。
「ここが……」
 心なしか、エコーさんやフラウさんの表情も強張っているように見える。
「ええ。あそこがマッフェンの中心都市、ヴィルシュタットです」



Mahen Episode1
【Don't ever stop, right to the top】






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