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不思議なもので、先ほどまでの嫌な感じは軽くなった。隣でしきりに話しかけてくるエコーさんのおかげかもしれないが、フレイムさんの嫌そうな顔が何とも言えず居心地が悪い。しばらく歩いていくと、小さな洞窟が見えた。
「あれがゴブリンの住処になってるゼルザール洞窟。中は暗いから気を付けてね、イリスちゃん」
「俺にはその気遣いはないのか」
「野郎にはないの。俺の気遣いは女の子のためにあるの」
「このナンパ野郎」
「うっさいムッツリ。なーにフレイム。俺とけんかしたいの」
「するか? 手加減しねえぞ」
「あの、そろそろ、行きませんか……」
 小さく手を挙げて言ってみる。二人ははっと私を見ると、ごめんねごめんねと言った。
 エコーさんが持っていたランプに火をつけ、洞窟に入る。確かに中は暗く、足場もさらに悪かった。私はフレイムさんに手を引かれ――もはや彼は私を子供か何かだと思っているに違いない――ゆっくりと足を進める。
「普段は出てきて人を襲ったりするやつらじゃないんだけどな」
「そうなのか。ずいぶん狂暴だったが」
「ん。おかしいんだよね」
「一応、イリスは俺らの後ろにいろよ。今度はちゃんと守ってやる」
「俺も守るよ。イリスちゃんは心配しないで着いてきて」
「あ、はい……ありがとうございます」
 言い知れぬ無力さが私の心を苛んだ。さっきだって、私は何も出来なかった。腰に下げているナイフをぎゅっと握りしめる。私だって、やらなければ。守ってもらってばかりではいられないのに。
 ぴちゃん、ぴちゃんと水音が反響する。空気が冷たくなってきた。
「寒いですね……」
「俺があっためてあげようか」
「やめろ馬鹿。……にしても、本当に冷えるな。フリッシュだけじゃなく、バオアーもこんなに寒いのか」
「うーん、そんなことないんだけど、今年は特にね……」
 コートの襟をかき合わせながら、奥へ奥へと進んでいく。小さな明かりがちらほらと見えた。
「あれがゴブリンの家」
 エコーさんが指をさす。がさ、ごそ、と引きずるような音が響き、ゴブリンの群れが現れた。先刻のような凶暴さはそこにはないように、私は感じた。
群れの中央に、一回り以上大きなゴブリンが進み出た。彼は私たちを濁った赤い目で見つめる。
「誰だ」
 地の底から轟くような音、いや、言葉。ゴブリンは人語を解すのか。私は驚きや戸惑いでたじろぐ。隣のフレイムさんも同じようだ。エコーさんだけが、平然と前に進み出た。
「エコーだよ、解るだろう? それともボケちまったのか?」
「親父のバカ息子か。何の用だ」
 体の奥に響く声。私は恐る恐る進み出た。
「あ、あの。村の人たちが、困ってます。作物が、取れないって」
 私の声は震えていた。フレイムさんもエコーさんも、ただ見守ってくれている。恐怖にがたつく体を、必死で止めた。
「見ない顔だ」
 ゴブリンの長だろうか。彼はそこから動くことなく、ただ私を見ている。決して彼らに殺気はない。私はなけなしの勇気を振り絞った。
「私、イリス・ルイって言います。あの、なにか、事情があるのでしょうか」
 ゴブリン達がざわめきだした。まるで地面が振動しているかのようだ。長が手を挙げると彼らは一斉に口を閉じた。
「食物がない。フリッシュの寒さが、こちらまで来ているようだ」
「フリッシュが……聞いたことがないが」
「現にそうなのだ、褐色の小僧。腹を空かせた我がはらからが作物をあさるのだろう」
「事情は分かった。親父には俺から話しておくから、人里は襲うな」
「ああ。解った。地面の子のお前が言うなら、そうしよう」
 地面の子。どういう意味だろうか。私が口を開いた、その瞬間。
 ぱあん、という耳をつんざく破裂音と同時に、強烈な光が洞窟を覆った。私たちはたまらず目を閉じる。目の奥で赤い光がぱっと瞬いた。ようやく収まったと感じて、恐る恐る目をあける。
「なッ……!」
「こ、これは、」
 視界に広がった景色は、惨状としか言いようがなかった。ゴブリンの群れが、一堂に倒れ伏している。長もだ。ぴくりとも動かない。

 ――全滅している。

 言葉を失っていると、ふわりと風が吹いた。 
見上げると、そこには薄緑色の鳥に乗った女性が、私たちを見下ろしていた。
「エント!」
「エコー。手間取らせないで」
 硝子を割ったような怜悧な声が、洞窟に響く。
その人は、綺麗な人だった。エコーさんと似た透き通る肌の色、瑞々しいセミロングでブラウンの髪はふわりと風になびき、凛とした瞳は地面の色。はためくドレスは優美で美しいが、きっとこの惨状は、彼女が引き起こしたものなのだ。
「お前、何やってんの!? いま話つけた所だったろ?!」
「敵は敵ですのよ。あんな知性のかけらもない野蛮なモンスターと対話だなんて、馬鹿げていますわ」
 鳥がまた羽ばたく。洞窟の出口に向かっている。私たちは、後を追った。
 ――あの茶色の髪。どこかで、見たような。
 洞窟を出ると、そこにはエントさんと男の人が立っていた。
「親父!」
「え、エコーさんのお父様?!」
 その人は、短い金色の髪に、無精ひげを生やしていた。エントさんの隣に並んでいるからかもしれないが、服装は地味に見える。精悍な顔つきから、年の頃は50歳前後だろうか。あまりエコーさんとは似ていない。
「はっはっは、似たようなもんだ。ほほう、フレイムも一緒なところを見ると、君がイリス君だな」
「え、何で私を……!」
 お父様はにかっと人のよさそうな笑顔を浮かべる。頭を下げているフレイムさんを見ると、確かに彼とも知り合いのようだ。
「フレイムの師匠とは顔なじみでな。連絡をもらってたんだ」
「そんなことより親父! エントが、ゴブリン達を……!」
「がなるなエコー。確かに強引なやり方ではあったが、エントの言い分にも一理ある」
 お父様は、ぴしゃりと言い放った。エコーさんはそれきり黙る。
フレイムさんが、すっと進み出た。
「畏れながら申し上げます」
「言ってみろ」
「この問題は、種を絶滅させたからとて、解決されるものではないかと」
 フレイムさんは始終頭を下げ、礼節を保っているように見える。そんなに偉い人なのだろうか。正直、ただのおじさんにしか見えないけれど。
「ほう?」
面白そうに目を細めるお父様に、フレイムさんは続けた。
「彼らは、フリッシュの寒冷化がバオアーにも迫っていると。その影響から食物がなくなったとのことを申しておりました」
「そんなのは強欲の言い訳ですわ」
「エント、よせ」
 エントさんは不服そうに唇を尖らせ、口をつぐんだ。お父様は私たちのほうに向きなおると、私に近づいた。覗き込むように顔を見られ、ついたじろいでしまう。
「ふむ、なるほどな。では、イリス君とフレイムで、フリッシュに調査に行くっていうのはどうだ」
「え」
「もちろんエコーも一緒に行け。村を守るためのゴブリン討伐はそもそもお前が言い出したことだ。責任取るのが男だろう」
「それは……そうだけど!」
「ハイスヴァルムがフレイムを出してきたんだ。バオアーも人を立てんわけにはいかんだろう」
 首をかしげながら笑顔で言われたその言葉ににじむ威圧感に、私も誰も、反目はできそうになかった。
「まあ、おまえもそろそろ旅先ででもかわいい女の子連れてきて身ィ固めろ、過去に引っ張られるのは男らしくないぞお」
 くつくつとおかしそうに笑うお父様に、エントさんは何も言わない。エコーさんが「馬鹿おやじ」とぼそりと小さく呟いた。聞こえてるぞと頭をぐりぐり撫でまわされるエコーさん。
「痛え! やめろって!」
「ははは、馬鹿ほど可愛いとはこのことだな!」
 エコーさんとお父様は本当に仲がよさそうだ。
私はぼんやりと父と母のことを思い出した。家にいつも響いていたのは、歓声ではなく怒鳴り声だった。
「イリス、どうした?」
 いつの間にかフレイムさんが心配そうに私を見ていた。私は微笑みを作る。
「いいえ、なんでもありません」
「んじゃ、そろそろ日も暮れる。村に報告に言ったらどうだ?」
「は」
 黙っているエコーさんに代わり、フレイムさんが頭を下げた。
 私たちはまた3人で来た道を戻る。どことなく暗い雰囲気が立ち込めて、口を開くのをためらってしまう。フレイムさんも同じようだった。
 村に着くと、村人が一堂に会していて、私たちを出迎えた。
「おお、合流できたんじゃのう!」
「どうじゃった?!」
 詰め寄られるエコーさんは、目をそらしながらも重い口を開いた。
「ああ、まあ……解決したよ」
「そりゃあよかった!」
「これで作物が荒らされずに済むのう!」
 手放しで喜んでくれる村人たちに、私の心は少しだけ痛んだ。
 生の下には、必ず死がなければならないのだろうか。他者の死の、その上でしか、私たちは生きられないのだろうか。
「お嬢ちゃん、銀髪のお嬢ちゃん」
 私を呼ぶ声に振り替えると、そこには羽を預けた店主さんが立っていた。
「ほれ、これ。あんたの報酬じゃ」
 手のひらにおかれたのは、二枚の銀貨だった。
「え、こんなに……?!」
「いいんじゃよ。わしらを救ってくれた、こんなもんでしかお礼をできんですまんのう。本当にありがとう、お前さんは小さな勇者じゃ」
 生まれて初めて、自分で手に入れたお金。人からの感謝。言い知れぬ感動が私を包み込んだ。
「今夜はもう遅いし、発たんのじゃろ? うちの宿に……」
「いやいやうちに……」
 村人からの突然のお誘いに戸惑っていると、エコーさんが私の肩を抱いた。
「悪ィなじいさんら。今日はイリスちゃんは俺の家に泊まンのよ」
「ええっ?!」
「エコーお前殺すぞ」
 抜刀したフレイムさんにエコーさんは大きなため息を零した。
「しょうがないなあ。フレイムも来ればァ?」
 ――とりあえず、離してほしいのだが、私の願いは、口喧嘩を始めた二人には届かないようだった。



Baor Episode3
【You break my heart】






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