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宿を出ると、確かに夕暮れ時をもうとうに過ぎ、空が紫になり始めていた。砂漠の夜は冷える。私はサラマンダーさんに渡されたコートを羽織った。
隣を見ると、フレイムさんもいそいそとコートを着ている。鞄は膨れ、たくさんの荷物が入っていることが分かる。
「そういえば、私の荷物って」
「ん? さっき渡しただろ、水筒」
「水筒だけじゃなかったですよね……?」
 確か、リュックサックのようなものが2つあったような。今の私は小学生よろしく水筒を肩からかけている。最早遠足ルックだ。
「女の子に持たせるわけにはいかないだろ」
「え。……もしかして、その膨れてる荷物って」
「二人分。大丈夫大丈夫。俺重いの慣れてるし、こんなの重いうちに入らねえから」
 ははっと笑いながら彼は言う。やはり、彼の大切な仕事のおともが私などでは申し訳ない。
 自分でも、何か力になれることが有ればやろう。そう心に決め、ハイアンの門を後にした。
「あの、フレイムさん」
 町を一歩出た所から広がる一面の砂漠。ついさっきの決意はどこへやら、私は一気に不安になった。
「どうした?」
 彼は何時でも必ず振り向いてくれる。私はフレイムさんの横まで小走りで行き、並んで歩き始めた。
「あの……どのくらい、砂漠を歩くんでしょうか」
「ああ、そういえば言ってなかったよな」
 フレイムさんは風に吹きあがる砂を手で防ぎながら言う。
「ハイスヴァルムとバオアーは隣の位置にある、バオアーの入り口になるフォレは砂漠と一続きになってるんだ」
「え、でも、バオアーって緑の国、でしたよね? その豊かさゆえに、神と農業の国って言われているとか……」
「お、良く知ってるな」
 開けっ広げに褒めながら私のぽんと頭を撫で、フレイムさんは続ける。
「ミッテツェントルム以外の四つの国は、各地を大精霊が収めてるんだ。それも知ってる?」
「はい。四大精霊様ですよね。火のイフリートさま、水のウンディーネさま、大地のノーム様、風のシルフさま」
 精霊教会で毎日拝んでいた大精霊様だ。知らないはずがない。
「そう、その通り。じゃあ、4つの国は、それぞれに気候を持ってるよな。砂漠のハイスヴァルム、氷のフリッシュ、森のバオアー、都市のマッヒェン。こんな風にきっかり別れてるのはなんでだと思う?」
 フレイムさんはまるで教師のようだ。砂漠をザクザクと進みながら、私は考えた。
「あっ……それぞれの大精霊様のお力?」
「正解。だから、一歩バオアーの領地に入れば、そこには翠が溢れてるんだ」
「そうなんですね……」
 考えてみれば不思議なものだ。私は生まれてから18年で、故郷ハイスヴァルムとミッテツェントルムしか行ったことがない。ミッテツェントルムは、確かに裕福な国だった。唯一精霊がいない国だが、その分産業や農業は人々の手で発展していたし、何よりすべての国の中心として交易も盛んだった。私は言ったことが無いが、帝都エルフゼリアには巨大な城が建っているとか。
「しかし、本当にイリスは頭がいいな。何処かで勉強したのか?」
「いえ、全部吟遊詩人さんの受け売りです」
「へえ。教会には吟遊詩人も寄るのか」
「はい。きれいな黒髪の、優しい歌声の人でした」
 そういえば、彼はどうなったのだろう。できれば、逃げていてほしい。
「あのさ」
 フレイムさんが何か言いかけた時、ぐう、と情けない音がした。私のおなかからだ。
「ぷ、腹減ったよな。なんか食うか」
「笑わないで下さいよっ」
「いやいや。悪い、気が付かなくて」
「そういえば朝から殆ど何も食べてない……」
 フレイムさんはお腹が空かないのだろうか。やはりあんなすごい師匠さんのもとで修行していると、お腹も空かなくなるのか。ちょっと羨ましいような、でも可哀想なような感じもした。
「んじゃあ、狩るかぁ」
「はい?」
 私は耳を疑った。フレイムさんは少し早足で歩みを進める。岩陰で眠っている、青と緑の羽の綺麗なガチョウのようなモンスターを見つけると、私を振り返って唇に人差し指を当てた。しー、静かに、と小さな声で告げる。
「あれはグースっていうモンスターなんだ。体がでかいだけで、そんなに気性も荒くない。見てろ」
 フレイムさんはゆっくりとグースに近づいて行く。身の丈ほどもある剣を抜くと、その音にグースも眠りから覚めた。ギイギイと鳴き声を上げ、威嚇しているように見える。
「うちのが腹減ったってんだ。悪いな」
 ほぼ無抵抗に近いグースの所へ跳躍し、狙いすましたように頭を切り落とした。
「――ッ!」
 ぱ、と血が飛び散ったが、巻き上がった砂にかき消されてしまった。ぴくんと一度足が動いたが、それきりグースは動かなくなった。
「な、何してるんですか!」
 剣に付いた血を一陣で振り落し、しゃらんと鞘に納めるフレイムさんに駆け寄る。驚きや怒りや、そんな感情が渦巻いていた。
「何って、食べるんだけど」
「えっ?!」
 彼は荷物から皮の袋に入った短剣を取り出すと、ざくり、とそれをグースの死骸に付き刺した。器用に内蔵やらなんやらを取り出していくその光景は、私が見たことのないグロテスクなものだった。
「これは俺やお前は食えないから、他のモンスターにやるんだ。その辺に居る」
「ええっ?!」
「あとはっと」
 今度はそれよりも小さくて、細長いナイフを取り出す。それを、切り取った肉片の羽の根元にそっと当て、さく、さく、と青や緑の煌きをはぎ取っていく。
「な、何やってるんですか……」
「資材集めだよ」
「資材、」
「こういうのを集めて町の市で売るんだ。それで金を稼ぐんだよ」
 ――お金を、稼ぐ。私の一度もやったことのない事だった。
「何だ、知らないのか」
「すみません……」
「謝る事じゃねえよ。ほら、イリスもやりな」
「えっ、でも、私……」
「可哀想、か?」
 私は素直に頷いた。フレイムさんは、パンパンと膝に付いた砂を落として立ち上がる。
 その眼は真っ直ぐに私を見つめた。
「あのな、イリス。お前や俺が今『生きている』のは、誰のおかげだと思う?」
 私は考えた。今、私が生きているのは、一体誰のおかげなのだろう。
「……この世界をお守りくださる、四大精霊様?」
 私の言葉を聞くと、フレイムさんは一瞬虚を突かれたような顔をした。そのあとすぐ、吹き出すように笑った。
「な、なにかおかしいですか」
「そうか、イリスは精霊教会にいたんだったな。そこの教義ではそうなってるか」
 私はもう一度頷く。フレイムさんはもう一度しゃがんでグールの羽を一つ掴んだ。
「まあ、大きく言えばそうかもしれない。でも、もっと小さく言えば、食うもののおかげだろ?」
「あっ……」
 お腹が空いたら出てくる食事。精霊様からの贈り物と言われていたそれ。
 私達は食べなければ生きていけないのだ。
「俺らが生きるのに必要なのは食事だ。だから狩る。買ったからには、責任もってそいつを最大限『生かして』やんなきゃなんないんだ」
 ひらり、と羽を夜風が閃かせる。私はグールだったものを見た。
「感謝しながら貰うんだ。だからほら、飯を食う時、いただきますっていうだろ?」
 にかっとフレイムさんは笑う。私は彼の隣にしゃがみ、艶やかな羽に手を伸ばした。
「ほら、使えよ」
「え?」
 手渡されたのは、柄にきれいな赤い石の付いた短剣だった。
「これ……」
「師匠からお前にって。餞別だとさ」
 微笑みながら言われ、手を握られる。そっとその探検の柄を握らされ、ひやりとした鉄の感触に震えた。其の儘手を取られ、羽の根元に切っ先が付けられた。
「こうやって、うん、傷つけないようにな? こうやるんだ。そう、上手いな」
 さく、と切り取られた一つの羽。生まれて初めて手にしたそれは、何故だかとてもきれいだった。
 流石に肉を解体するのは見ていられず、フレイムさんが一人でやってくれた。その代わり、仮眠をとるのにいいという岩場を見つける役目を負った。勿論逸れては困るので、フレイムさんが見える範囲でだ。めぼしい場所を見つけると、私は早足で戻った。その頃には、もう肉は鳥の形をしておらず、市場でよく見るような切片になっていた。
「じゃあ野営だな。女の子には厳しいか」
「大丈夫ですっ」
 フレイムさんと連れ立って岩場へ向かった。モンスターが来ては困るので、いざという時に脱出しやすい所が良いらしい。私は空を見上げた。星の瞬く夜空が、良く見える。
 ぽ、と小さな音がしたかと思うと、隣でフレイムさんが火を起こしていた。
「俺、火おこしも得意なんだ」
 火は、今付いたとは思えないくらい煌々と燃えている。
 ――あの火のようだ――
 私は目を伏せた。
「あ、悪ィ。火は別の所で……」
「……いえ、いいんです」
 フレイムさんは尻尾の下がった犬のように申し訳なさそうにしている。私は首を横に振った。
「向き合わなくちゃ。これから、私みたいな人を作らないために……」
 目を上げると火は鮮やかな赤に燃えている。フレイムさんは無言で頷くと、さっき「もらった」肉をその上で焼いた。暫く火を通し、串に刺さったそれを渡される。
 私とフレイムさんは、その肉に一礼した。
「いただきます」
 そっと口を付ける。熱いし大きいし、食べづらい事この上ないが、でも美味しかった。生まれて初めて、命の恩恵を知ったような気がした。
 食事が終わると、フレイムさんは簡易寝袋を出してくれた。一体どこに詰まっているのか不思議なくらいたくさんの荷物が入っているが、入れ方にコツでもあるのだろうか。
「俺は岩の上にいるから、何か会ったら呼んでくれ。モンスターを警戒しなきゃなんないからな」
「はい。おやすみなさい」
 私がそれに付き合ってもかえって迷惑なだけだろう。フレイムさんは小さくしてくれた火を、ランプ代わりに下に残してくれた。私は寝袋に入って砂の上に寝転がる。ひんやりと冷たく、柔かい。
 とても、静かな夜だ。
 ここには、賑やかな笑い声も、子供がぐずる声も、其れを優しく諌める兄の声もない。
 ぽろ、と、こぼれた滴が砂の色を濃くする。フレイムさんは、何も言わない。
 あの火を憎むより。寂しい思いをする人を減らさなくちゃ。
 平和な国に、戻さなきゃ。
 だって私は、生き残ってしまったのだから。

Highthvalm Episode3
【There are no days that not dawn】






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