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 嫌な臭いに後ろ髪を引かれながら、私は教会だったところを後にする。本当はもっと長く居たかったが、フレイムさんが発つのは今夜というので、仕方が無かった。
 丘を下りながら、不意に彼が振り返った。
「なあ、今日、教会にだれか来なかったか」
「いいえ、誰も」
 いつもと変わらない朝だった。変わらない、筈の朝だった。
「そうか」
それだけ言うと、フレイムさんはまた歩き出した。
暫くお互いに言葉を発しないまま、町への道を歩く。足取りは重い。
華燭の肌に赤の髪がよく映える彼。あの国に居た時ですら、こんなに美しい青年は見た事が無い。果たして、信頼してよいものか。少なくとも――悪い人には、見えないけれど。
マディスに着いたが、夜の帳がいつの間にか降りていた。開いている店は少なく、人通りもあまりなかった。何をする気も起きないまま、フレイムさんの後ろに付いて歩く。彼は時折私の方を振り返って、小さく「いるな」と呟く。まるで子供にでもなったようだ。
露店街を抜けると、潮の匂いが強くなる。マディスは海の玄関でもあるのだ。港は露店とは違い、夜だというのに船の明かりできらめいていた。
フレイムさんが私に向き直る。
「俺は乗船手続きをしてくる。ちょっと待っててくれ」
「はい」
 そう言い残し、彼はひとり船員の詰所のようなところへ向かった。てきぱきと用紙を書き、懐から出した何枚かの紙幣と共に係に差し出す。
――あ、お金……!
私はフレイムさんに駆け寄った。
「あ、あのっ」
「んっ、どうした? 何かあったか?」
 フレイムさんは船員にひらひらと手を振って手続きの終了を告げる。私はいよいよ慌てた。
「あの、私……お金……」
 ポケットに手を入れると、手には紙の触感。出してみると、あの白い花の髪飾りだった。
「これしかなくって……」
 お金に替えられるだろうか。悩んでいると、フレイムさんの長い指が花飾りを取った。
「綺麗だな。似合いそうだ」
 にかっと笑い、それを私の髪に合わせる。うん、似合う。彼はそう言ってまた笑った。
「気にすんな。困ったときはお互い様だろ?」
 フレイムさんは髪飾りを私の手に置いて、歩き出す。私はその背中を追った。
「で、でもあの、私本当に何も持ってなくて」
「いいんだよ。ほら、船が出ちまう。乗るぞ」
 私はフレイムさんに手を引かれ、大きな連絡船に乗った。思ったよりも船内には人はおらず、船員数名と客らしき人がこちらも数名。きょろきょろと辺りを見回していると、隣の彼がふっと笑った。
「何で笑うんです……」 
「珍しいか?」
「……船に乗ったのは、生まれてから2回目です」
「出港〜ッ!!」
 私の声をかき消すように、けたたましい汽笛の音が響き渡る。ごうごうと大きな音を立て、船はミッテツェントルムを離れて行った。遠ざかる陸地。私は故郷へ戻るのだ。熱い砂漠の待つ、ハイスヴァルムへ。
 船の速度は速いらしく、明日の昼には目的地であるハイアンに着くという。私とフレイムさんは与えられた部屋には行かず、甲板から海を見つめていた。
「なあ」
「はい」
「あのさ。何て呼べばいい?」
 フレイムさんはぽりぽりと頬を掻きながら言った。黒い波が白の船首に打ち付ける。私は少し気恥ずかしくなった。
「……イリスで、いいですよ。ルイって苗字、あまり好きじゃないし」
「そうか」
 それきり彼は縁に背を預け、また黙ってしまった。浮かんでいた月は雲に隠れて、空は完全な黒に包まれた。潮風が頬に冷たい。――あの火の熱が、まるきり嘘のようだ。
 夜空を鳥がふっと横切る。
 ……鳥。今朝の夢は一体何だったのだろう。人間の言葉を話す鳥。不思議に、夢の景色を今でもはっきりと覚えている。私は海に目を落とす。まさか……天からのお告げ? いや、そんなはずは。
 視線を上げると、先刻の鳥がまた目の前を飛んでいる。いや、そうじゃなく――
「フレイムさん」
「どうした?」
「あの鳥……こっちに近づいてきてませんか?」
「え?」
 フレイムさんが振り返るのとほぼ同時に、鳥――いや、鳥ではない――女性の姿に羽、足は長い毛に覆われ、鋭い爪が見える――が、船にその足を掛けた。
「ハルピュイア?! 何でこんな所に……ッ」
「あ、あっ……」
 足がすくむ。フレイムさんが剣を抜いた音が聞こえた。
「イリス! 下がれ!」
「うご、けな……」
「くっ……」
 ハルピュイアの数はどんどん増えて、10体以上になっただろうか。そんなことを頭の隅で冷静に考えながら、それでも恐怖が支配する。
 ハルピュイアの爪が私の目の前に迫る。固まった足は動かない。
 怖い。死ぬのだろうか。

 ――ざしゅ、
 
「フレイム、さん……!」
 彼が私の前にいた。大きな剣を持ち、爪を切り落としたのだ。ハルピュイアの金切り声が船内に響く。船員や客も出てきて、恐怖におののいた叫び声を上げた。
「何でこいつらがこんな所に……イリスはここに居ろ。俺が守ってやる!」
「は、はい……っ」
 フレイムさんは1つの跳躍でハルピュイアの群れに戻っていく。重そうな大剣を軽々と操り、1匹、2匹とハルピュイアを切り裂いていく。肉を断つ音が、離れたこちらにまで聞こえてきた。
 羽をもつ彼女らがフレイムさんを取り囲む。助けに行かなくちゃ、と立ち上がりかけた、次の瞬間。
「はぁッ!」
 円を描くように、フレイムさんが飛んだ。その動きに合わせ、腹部を切り裂かれたハルピュイアが船首に落ちた。切り裂かれた彼女の後ろから、別のハルピュイアの爪がフレイムさんに襲い掛かる。だが、爪は虚しくも剣に弾かれ、フレイムさんの足がその体を蹴り飛ばした。
「す、ごい……」
 素早い身のこなしには一部の隙もないように見えた。最早、舞っているようにすら感じる。
「あの兄ちゃん何モンだ? 常人の動きじゃねえな」
「何ですかねえ。もしかして、傭兵じゃないですか」
 一緒に隠れている船員さんも興奮しながらフレイムさんの戦いを見守っている。
「うわあああッ!!」
 突如響いた叫び声に驚いて振り返ると、一番後ろに隠れていた客のおじさんが、1匹のハルピュイアに襲われていた。フレイムさんの方を向くと、未だ船首の敵と戦闘を繰り広げている。
 また、目の前で人が死ぬ。そんなのは、そんなのはいやだ。
「私が、なんとかしなきゃ……!」
 立ち上がると、周りの人たちが驚いた様に制止の声を上げた。でも、誰かが死ぬ位なら。
 フレイムさんのようには戦えないけれど……なにか、なにかしなきゃ。
 ふっと目に入って来た小樽。私はそれを抱え上げ、ハルピュイアに目掛けて思い切り投げつけた。
「えいっ!」
 樽はかろうじて的に命中して大破した。だが、死んではいない。それどころか、彼女は私に向かって一直線に飛んできた。金切り声が一層強くなる。
「逃げろ、イリス!!」
 フレイムさんの声が耳の奥で鳴った。目の前には、さっきと同じ爪がある。
私は堪らず目を閉じた。
「いや、来ないで―――!」
 刹那。
 私の中の何かが弾け飛んだ。今まで感じたことのないような、体の中から何かがあふれる感覚がよぎる。
 いつまでも襲って来ない爪に、恐る恐る目を開けると、金色の光が私を包み込んでいた。さっきまであんなに騒いでいたハルピュイアの姿も見えない。
光はすぐに消え、その残滓は夜の闇に溶けて行く。ふっと、最初に見かけた鳥が空を横切った。
「これ、って――……」
「イリス! 大丈夫か?!」
「あ、はい……こちらは、大丈夫です」
「なら、良かった……ここに居ろよ」
「はい」
 今の光は一体なんだったのだろう。駆け寄ってくるフレイムさんに答えながら、私はモンスター達の去っていった行先を見つめる。一瞬見えた茶色の髪、あれは人間だったのだろうか。混乱しながらも、口々に感謝を述べる船員や乗客に気にしないでと手を振った。
 フレイムさんは大きな剣を腰に戻し、モンスターの死骸を軽々海に投げ捨てている。やはり、悪人ではないらしい。
あらかたの仕事を終えたフレイムさんは私の元へ戻って来て、真剣な顔で言った。
「なあ、イリス」
「はい」
「ハイスヴァルムで行く当て、あるのか」
「……いえ」
 故郷は焼けてしまってもうない。父や母ももう居ない。確かに私には行く当てが無かった。
「なら、逢わせたい人がいる」
「え?」
「俺の剣の師匠で親代わりの人なんだけど、ハイスヴァルムでは結構顔が利くし、きっとアドバイスくれると思うんだ」
 あの剣捌きの師匠さん……。一体どんなすごい人なのだろう。
 確かに、あてどなくあの灼熱の国を歩くのは良策とは言えない。私はその提案に甘えることにした。
「……本当に、頼りっきりですみません」
「いいっていいって」
 彼はまた笑う。太陽のような人だ、と思った。
「俺、困ってるやつほっとけないタチでさ。仲間によく馬鹿にされるよ」
「仲間……」
「ああ。兄弟子が一人いて、いつも怒られてるんだ」
「そうなんですか」
 脳内に湧き上がる、教会の風景。私は耐え切れずフレイムさんに背を向けた。
「イリス?」
「なんでも、ありません。本当にありがとうございました。私、もう寝ます」
「あ、ああ。おやすみ」
 船室に駆け込み、硬いベッドに身を沈める。もう泣かないって決めたのだ。
 固く目を閉じ、自分の体をぎゅっと抱いた。
 潮風の寒い夜だった。

prologue2 
【Feeling In The Ventricle】






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