12.流転のbreakfast


“いつもどおり”の明日があることは、当たり前じゃない。
気を緩めれば、そんな明日はあっさりと悲痛な音を立ててと閉ざされることもある。

悟ったのは、幼少期。
あの頃は本当にただ純粋に。自分たちとの時間を心底嬉しそうに楽しんでくれる友達――リドルに、彼が憧れていたイチゴのタルトを食べさせたかっただけだった。

油断をした。
確認を怠った。
それは事実だったとしても。
――そのたった一度のミスで、友達との“また明日”がなくなった。

今となっては、子どもの遊びに怒り、何時間も説教をくれたリドルの母親の話は、笑い話で、昔話。
だが、その後の生き方に微塵も影響がないといったら、嘘になるだろう。
子どもながらに罪悪感を抱えて、悩んで、己の中で少しずつ消化し、飲みくだして。
いくつの頃からはわからない。いつの間にか無意識に思い始めていた。

“ほどほどがちょうどいい”
“いつもどおりがいい”
“普通の平穏がいい”

全てがあの一件のせいとは思わないし、何もかもが不変であるべきとは考えているわけではない。
ただ、せめて。争いごとにや問題ごとは、目の届く自分の日常の中では起きないように。穏やかないつも通りの日々であるように。“当たり前”の明日がなくならないように。

いつの日からか、願っていた。

願えば、不思議と身体は動き、頭は回る。多少苦労しても、いつかのような怒声や金切り声が聞こえないなら、御の字だ。
おかげさまで、“変わること”に躊躇って、寮長として孤立していったリドルに踏み込めなかった自分がいたことは、またひとつの課題ではあったけれど。

なんだかんだ、性に合っている生き方をしているつもりだった。
底意地が悪くても、真相はひねくれていても、望んだ世界が成り立つように。
――だからアリアのことも、これでいいのだと。この道を進むのだと、ずっと前から決めていた。

のに。


「……くそ」

なんの変哲もない土曜日。
いつもとかわらない、休日の朝。
望んだはずの、平穏とした世界。

なら、何故ベッドの上で寝不足の頭を押さえて、今にも舌を打ちそうなのか。

――これでよかったのか?
これでよかっただろ。

――またリドルの時みたいに、踏み込み損ねたんじゃないのか?
リドルの時とは違う。今回はどう考えても踏み込んではいけなかった。

――なぜ?
踏み込めば、なくなってしまうだろ。“いつもどおり”のアリアと俺の関係が。

――本当に、“それ”が一番大切なのか?
そうだ。だからリドルの時とは違う。“これ”がいいんだ。

――なら、どうして、いつもどおりの世界にいないことに気が付かない?


「トレイくーん、起きてる〜〜?」

聞こえた声に、額から手を離し、顔を上げる。「ああ、起きてるよ」勝手に口が動いた。同時に、頭の中の自分の声も消えていく。
「よかった〜、今ちょっと面倒なことになっててさー」ケイトの言葉の続きに、ため息を吐く。
大した面倒事じゃないといいんだが、という望みをかけて、床に足を付ける。もう少しゆっくりした朝を過ごしたいのに。
だが正直、今日ばかりはケイトの呼び声に感謝していた。

「……時間が経てば、落ち着くさ」

望んだ“いつもどおり”への道を、歩んでいるはずなのだから。


◇◆◇


一人きりの部屋で、身体を起こす。
珍しく少しだけ、寝坊した。枕元に散らばる花びらにただただ苦笑を浮かべ、小さなビニール袋を持ってきて、すくいとっては、ひらひらと捨てていく。

「こんなに泣いたのは、久しぶりかも」

泣けば必ずしも魔法が暴発するわけではない。感情のまま泣いた昨晩を思いだし、目を擦る。腫れぼったい目は、冷やさなければならない。いくら形式的だとしても初デートなのだから。

「……私、頑張るから」

呟いた瞬間、タイミングよく、チリン、と電子音が響く。スマホのメッセージの通知音だ。
はっと目を開いて、手を伸ばす。浮かびあがった発信元の名前を見た瞬間、また愚かにも目の奥が熱くなりそうになった。

「バカだね、私。……私が、離れたいっていったようなものなのに」

メッセージは、トレイからではなかった。今日出会う予定の“彼”からだ。当然だ。それなのに、トレイから何か連絡がくるのではないかと思って期待した自分が情けなかった。
切り替えるように頭を振って、送られたメッセージを開く。

「『どこか行きたいところはありますか』、か。……うーん、行きたいところ」

これまた難しい問いかけだ。だが、真正直に『どこでもいい』はさすがに失礼だろう。
だが、うんうんとスマホを片手に持って唸っても、ひとつも考えがまとまらない。気が付けば十分以上経っていた。
――トレイと遊びに行くときは、いつの間にか決まっているのに。

(……そうだ、こういうときは)

スマホに指を乗せ、頼みの綱のアプリーケーションを開く。みんな大好きマジカルカメラテレグラム、通称マジカメの写真投稿欄だ。
あまり自分で投稿することはないけれど、覗くことはそれなりにある。友人の投稿を見るのは勿論、話題のカフェやスイーツを見るのも好きで、特に家の果物を使ってくれている店はついついフォローしてしまうことも多い。
自分の過去の“いいね”を遡り、近場で気になる店が探してみる。

(あ、ここ。先月オープンしたところ)

指が止まったのは、ちょっと変わったボックスケーキが目玉のカフェだ。
――いつか、行ってみたいと思ってハートをタップしたのは事実、だけれど。

「“いつも”みたいに、……今度のホリデーにでも、って」

“いつも”を想像する。クールにブラックコーヒーを嗜みそうな見た目で、甘いケーキを作って、そして勿論食べるのも好きな人。そんなトレイとは、昔からタイミングが合えば、お互い店を手伝ったお小遣いをやりくりしながら、カフェを巡った。
トレイが寮生活になっても、お互い気になるお店はチェックして、ホリデーを使って気になるスイーツを一緒に食べに行って。

「……約束、してたわけじゃないけど」

この店も、きっとトレイと一緒に行くのだと――そう思い込んでいた。
確約してたわけではない、だが、自惚れていたわけでもないはずだ。いつもどおりであれば、そうなっていた。本当にそれが、“普通のこと”だったから。

「…………」

意を決して、再び今日デートをする彼へのメッセージ画面を開きなおす。
――大丈夫、まだトレイと行きたい店はある。もしも気持ちの整理もうまくいって、またトレイと一緒に出かけられるようなったその時には、また。きっと、絶対。大丈夫。

言い聞かせるように、願いに念じて、少しずつメッセージを作り、送信ボタンを押した。


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