おかえりなさいませ、 | ナノ
 

アイボリーに似せた(黒子)
 

いつもの仕事用のスーツではなくラフな私服姿で、執事の中のひとりである主が住む部屋のドアを軽く叩く。準備が出来たらお迎えに上がるのでベル(と言っても内線のようなものだ)で呼んでください、と言われたがわざわざ二階の部屋まで来てもらうのも申し訳なかったので直接向かったのである。

はい、と顔を覗かせた黒子は私服姿だった。急に呼び出したからもしかして何か予定があったりしたのだろうか。

「私だけど、準備できたから来ちゃった」
「お嬢様!部屋でお待ちいただければお迎えにあがりましたのに…」
「急に呼び出したのはこっちだし、気にしないで」

急いで着替えてきますので、というのは通常時の燕尾服のことだろう。身を翻した黒子の腕を掴んで、私も私服だしお出かけなんだからそのままでいいよ、と言うと渋々頷いて鞄だけ取ってきますので、先に出ててくださいと言い残して部屋に戻っていった。執事用の車庫に近い玄関は別にあるので、私はそっちからは行けない。
一般に利用される玄関に向かって、ショートブーツに足を入れる。マフラーを片手に家を出ると、庭先で作業をしていたらしい青峰に声を掛けられた。

「お、出掛けんのか」
「黒子がおススメの本があるからって」
「気をつけて行って来いよ」

ふと怪訝な顔をした気がしたが、すぐに笑顔で送り出してくれたので私もそれに答えて車が来るのを待った。

「お待たせしました」

助手席を丁重に空けてくれる黒子に、苦笑すると困惑したような表情を浮かべた。

「休みの日まで律儀なのね」
「…そうですか?区別しなければと思いますが、どうしたらいいか分からなくて…」
「ううんー、無理はしなくてもいいけど、もっとリラックスしてくれていいよ。」
「……善処します」

静かにアクセルを踏んで走り出した。車窓の景色を見ながら、やっぱり走り方に性格が出るよなあと漠然と思う。黒子なんかその典型的な例だ。危険な運転は勿論しないし、真面目で乗っていて安心できる運転をしてくれるのでありがたい。

「そういえば、今日何か予定あったの?」
「いえ、特にありませんでしたよ。」
「そう…私服だったから出掛けるところだったかと思って」
「本当はお嬢様に誘われなくても、気になる本がいくつかあったので見に行こうかと思っていましたので」

そっか、と呟いてまた外に目をやった。あまり自己主張をしない彼がおススメするくらいだから、きっと面白い本なんだろうな…そんなことを考えながら、久々の外出への期待に胸を膨らませた。





「どんな本をお探しですか?」

何かそれ、図書館のレファレンスか本屋の店員さんの対応みたいだよというと、本当ですねとくすりと笑った。

「…って黒子のおススメがあるんじゃなかった?」
「そうでしたね。おススメと言っても、お嬢様もご存知だと思いますが」

こっちです、と連れて行かれた先は新書のコーナー。
一際私の目を引いたのは星屑をちりばめたみたいな綺麗なカバーデザインの表紙の本。どこかで見たことあるかも、と思って確認した作者に私は驚いて、また納得した。
昔あまり有名で無かったころから追いかけている作家の新刊だった。カバーデザインが気に入ったのも、いつも同じ人が手がけているからだ。タイトルや帯から、それが私がこの作家を好きになったきっかけのジャンル
…恋愛小説であることが分かってまた頬が緩んだ。結構いろんなジャンルを書いているしそのどれも好きだけど、恋愛小説は久し振りだ。

「知らなかったみたいですね」
「すっかり忘れてた…黒子はもう読んだの?」
「いいえ、まだです。僕も最近知ったばかりなので」

ひょい、と目の前から本が消えたかと思えば、私の手の中にあったそれは黒子の手の中に納まっていた。

「買うんでしょう?」
「買う、けど…それ」
「僕も読みたいので、読み終わったら貸して下さいね」

その本を片手に、もう一冊文庫サイズの外国の昔の作家と思わしき人の本を持ってレジに向かい、その本も買ってくれた。袋の片方を私に渡して、もう一冊の文庫本のほうの袋は鞄にしまった。

「少し読んでいきませんか?」
カフェを指差す黒子に大きく頷いて店に入る。店は適度に空いていてカップルや夫婦が多くて、落ち着いた店内は嫌いじゃなかった。周りからは自分達がどう見えているんだろう、なんて子どもっぽすぎるだろうか。

私も黒子も珈琲を頼んで、お互い何も言わずに本を取り出して捲り始めた。カバーを外して鞄の上において。あらかじめ用意しておいたしおりを片手に読み始める。出だしから引き込まれるような展開で、本に没頭していった。






一区切りついたところで、珈琲のカップに手を伸ばせばもう底に飲む液体は残っていなかった。それに気付いたのか黒子は腕時計を見てそろそろ帰りましょうかと尋ねた。
私も携帯で時間を確認してぎょっとして、早々に会計だけを済ませて店を出た。(今回は黒子を押さえつけて払った。そう何度も持ってもらうわけには行かない)

「そういえば、黒子覚えてたんだ?」
「……あぁ、本のことですか。忘れるわけありませんよ」

何のことか分からない、という表情から一転させて少し嬉しそうに微笑んだ。あまり黒子は思ってることが顔に出るタイプではなく、お世辞にも表情が豊かとは言えないので新鮮だった。

「僕もああいう傾向の話は好きでしたし、何よりお嬢様の教えてくださった本を、作家を忘れたりしません」

多分、他意なんかないのだろう。それでも私の心臓は確かに跳ねて、まったくうちの執事たちは何でみんなしてこうなのかしらと心の中で溜息をついておく。何だかいじらしくなって黒子のほっぺたをむにっと抓ってやった。いきなり何するんですかと怪訝そうにする彼にお返しだよバカと吐き捨てると、今度は何も言わずに頬をさすっていた。

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