Unrequited | ナノ



着替えることもせず、鞄から携帯だけを取り出してそれ以外は、無造作に部屋の中に放った。カチカチと過去のメールをいじって、何故かそれすらも虚しくなってすぐにやめてベッドサイドに置いた。

「何であんなこと言っちゃったんだろ…」

思い出して後悔するとともに、伊月君に抱きしめられていたことまで蘇って、身体をかき抱くようにした。嬉しさと虚しさが半分ずつ心の中を占領して、せめぎあう。多分、後悔はしていない。でも後悔するだろうと予想することができる。あんなことがあったばっかりに、きっと「今まで通り」なんて体裁でだって装えない。

「ごめん…、ごめんね。っ、ごめん」私は一体何に対して謝っているんだろう。何に対しての、"謝罪"?…伊月君の彼女?、伊月君?分からないけどそうせずにはいられなかった。一度は無理矢理止めた涙がまたじわり、と滲んでくる。さっきとは違ってただ頬を伝って流れる。逆に誰にも見られていないと静かに泣けるらしい、喋っていないからだろうか、堪えようとしないからだろうか、泣くことに抵抗をしないから、だろうか。

そんなひどくセンチメンタルになっているときに、それにはそぐわない無機質な音が鳴り響いた。電話の音だと気付くのに少しかかって、携帯を手にとって開いて発信先が「伊月君」になっていて、まだ泣いていたけれどほぼ反射的に通話ボタンに指が動いた。

『…もしもし、桧原』

「ん。…どうかした?」
上擦り気味の声しか出ないが、なるべく言葉少なくして答えた。そんなことをしてもきっと伊月君には気付かれてしまうだろうけど

「さっきのこと、だけど」
「……うん、」
「あんなことしてごめん。」
「っ、…!」謝らないでよ、せめてあなたは後悔したりしないでよ。そっちの方が辛いよ。

「…何で、謝るのっ」
「その所為で桧原が罪悪感に苛まれて、俺は好きって気持ちに応えられないくせに。」
思いつめているのは、誰より自分を責めているのは私だけじゃなかった。彼もまた私と同じかそれ以上に、自分のことを責めていたんだ。
…ああ、そうか。
本当の意味で私は伊月君のことを好きな理由が分かった、そして。

後悔、しない。今ここに私は断言しよう。
絶対に私は今後、伊月君を好きになったこと告白したこと。後悔しない、自信がある。
人の気持ちを誰より分かるあなたを、それゆえに自身の優しさで誰より傷付いているあなたを。好きになったことを誰が後悔できるだろう、むしろ私は誇りに思わずはいられない。

「…ううん、そんなこと無い。でも一つだけお願いがあるの」
「…あ、!俺も…ある。」

お先にどうぞ、と言うと少し間が空いてから彼としては珍しく言い辛そうにして、息を吸う気配さえ聞こえるほどで。携帯を通してこそいるものの、その距離は短すぎる気がした。

「…今まで通り接してくれないか、」私が呆然として何も答えないでいると、「その!都合が良いことは百も承知だ。けど…!」と慌てて取り繕うようにした伊月君がどこか新鮮で、二重の意味で吹き出した。

「っ、はは!ちょ、もう…何だろっ、」
可笑しくて可笑しくて可笑しくて嬉しくて。全く同じこと考えてたと伝えれば、彼もくすりと笑って。

「勿論。こちらこそよろしく」

私たちの間には笑顔があればいい。同じ喜びを少しでも共有できたらそれでいい。特別な関係を望まない…とは言い切れないけど、いつかそうなってみせる。もう少しだけみっともなく引き摺るけど。ごめんね。それから、

言いかけた言葉を噤んで、ふとあることに気付いた。まだ一回も言ってなかった。今伝えようか、謝罪じゃなくて、誰より一番伝えたい、貴方に。



うんとたくさんの、 「        」 を

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