Unrequited | ナノ



伊月君には現在進行形で付き合っている幼馴染の彼女がいる、という私にとって事実上の敗北宣言が下されてから一週間。
それまで以上に部活に打ち込むようになって、試合にもスタメンとして出してもらえるようになってきた。

「さくら最近頑張ってるじゃん!」
「ありがとうございます、先輩」

ネットの奥のコートで練習している男バスを見て、綺麗な黒髪を揺らす伊月君を見つけた。いつもなら負けてられないやと感化されるところを、今日は胸の奥が締め付けられるようだった。痛みから気を紛らわすように、抱えていたボールをついてゴールに目掛けて放る。ガタガタ、とリングのフレームに何度か当たった後、ネットを通った。

何処か、その様子が自分に似ていると思った。

*


「桧原も今帰るとこ?」
「あ…、伊月君!そうだよ」

じゃあ久々に一緒に帰らない?と自転車置き場を指差されて、私は嬉しくて何のためらいも無く頷く。単純だということぐらい分かっている。伊月君が誰かと付き合っていようと、それでもまだ彼のことをすぐに好きでいなくなれる訳がなかったから、その提案は私にとってすごく魅力的だった。

自転車を引いてきた伊月君が鞄入れていいよ、と手を差し伸べてくれたのでお言葉に甘えて、前のカゴに鞄を乗せた。こういう無意識に優しいところが、私が彼を好いている理由の一つである。気取らない優しさ。私だけに向けられていないことぐらい知っている。

「スタメン入ったんだって?リコから聞いた」
「あー、うん!つい最近だけど」
「おめでとう、念願のだなー」
「そうだねー。伊月君に負けてられないし」
練習頑張ってるじゃん、と言われてネット越しに彼も自分のことを見てくれてたんだなあと胸が熱くなった。それだけでなく、一人の同じバスケットボールプレイヤーとしても、練習を認めてもらえるのは純粋に嬉しい。

「ねえ、伊月君ってさ。今付き合ってる子いる?」
答えを知っていながら聞くのは反則だろうか。でも、本人の口から聞いたら、少しは諦めが付いてくれると思った。あまり感情の変化を表に出さないけど、覗き込んだ顔には驚きが浮かんでいた。

「あー…日向から聞いた?」
「うん、ごめん不味かった?」
「そんなことないよ、彼女って言っても幼馴染だけど」

そういえば日向君もそんなことを言っていた気がした。幼馴染、というくらいだから同級生だろう。しかし私は伊月君に幼馴染がいる、ということは彼女云々を抜きにしても初めて聞いた。
「ていうか、遠距離なんだよね、小学校の頃に転校した。」
「…そう、なんだ。」知らないのも無理はない、か。
伊月君は私の気持ちを知っている、だろうか。
知らないでくれたらいい、と多分彼を想い始めてから、初めてそう思った。知られたくない、知られたらいけない、と。

その子を思い出しているだろう伊月君の顔が、今まで見たことの無いほど、幸せに満ちていたから。

正直。

負けた、と思った。

彼に迷惑を掛けてはいけないというのは勿論だけど、そんなのは"たてまえ"に過ぎなくて。、会ったことも無いその幼馴染の女の子には、"勝てない"と一瞬で悟ってしまった。その子にはきっと、敵わない。
だから、このまま好きでい続けても辛いだけだって。

いきなり好きだったものを嫌いになったり出来ない。というより伊月君を嫌いになることなんて出来ない。ただ、少しずつでいい。だんだん好きを小さくしていくことぐらいなら、できるはずだ。だから、気付かれないうちに、私の中の好きを消してしまいたいと思った。

彼女がいるなら、こういうことしちゃ駄目だなあと漠然とそう思ったけど、彼と一緒にいられる今となっては、唯一の時間を見たことの無い恋敵の為に捨ててやる事はどうしても出来なかった。

「どうかした?」
「ううん、何でもない」と苦笑うと、さっきほどではないけれど微笑みかけてくれた。自分に向けられた笑顔は、特別に思えた。

でもまるで、こんなの浮気じゃないか。彼女がいるのに他の女の子と帰って。彼は無自覚だからまだいい、だけど私は。駄目なコトだって分かってこんなことをして、笑っている私は。正真正銘の、最悪な女だということを突きつけられたように思えた。

自分の気持ちに抗えない自分が嫌だった。