first love 人肌恋しい季節になった。 神宮寺は二重に巻いたマフラーに顔を埋めながら、部屋のドアノブに手をかける。 時刻は深夜2時を回ろうとしていた。 同室の男を気遣って、そっと扉を開けた。 電気をひとつ点けると、薄暗い部屋の奥で、行儀よく眠る聖川が目に入る。 深く寝入っているようで、起こさないで済んだと安心した。 起こしてしまっても、別に何も言われることはないが、その後がどうもいたたまれない。 聖川の無言の視線は、神宮寺を責めているようで、しかし説得も諦めているようで、神宮寺を苛立たせた。 自分の夜遊びについて、はっきりと言えばよいのに、という気持ちと、言われたら言われたで、反発が沸くのだろうという確信もあった。 幼少時代から見知った仲で、今は微妙な関係である聖川と同室という現状は、神宮寺にとっては複雑な心境を生んだ。 ベッドにバッグとコートを投げ起き、小さくため息をついた。 体の芯から冷えている。 今日はずっとレディたちと一緒にいたが、楽しさが発した熱は外を歩いているうちに、一気に冷めてしまった。 「ん、」 疲労した頭で今日あった出来事を反芻していたら、短い電子音が鳴った。 エアコンが切れた音のようだ。 エアコンのリモコンが、聖川の枕元に置いてある。 近づき確認すると、ちょうど2時に暖房が切れるように、タイマーが設定されていた。 「聖川がやったのか…?」 聖川は普段、12時前には床に着いている。 真面目な聖川のことだから、エアコンを消して寝ているとばかり思っていたが、タイマーを設定していたようだ。 普段よりも少し帰るのが早かったため、切れる瞬間に出くわしたのだった。 もしかしたら、いつも遅く帰る自分のためだろうか。 思えば帰宅時に体の冷えを感じるのは、この部屋が暖かかったからだ。 神宮寺は浮かんだ考えをかき消した。 寝る前に、聖川自身が暖かく寝れるよう、タイマーをセットしているだけだろう。 そう、納得しようとした。 でなければ、この複雑な感情に確かに含まれるくすぐったさを、勘違いしそうになるからだ。 部屋が外気に冷えないうちにと、神宮寺はベッドに入り、消灯した。 * 教室に入ると、担任の日向が厳しい顔で立っていた。 「神宮寺、これで遅刻、何回目だ?」 「さあ…」 視線を泳がせると、日向は声を張り上げる。 「今日は補修だ。お前は生活態度が悪すぎる。放課後教室に残るように。いいな!」 「そんなあ…龍也さん、見逃してよ」 「だめだ。帰ったら退学だからな。最近は真面目に来てたのに、ちょっと気を抜くとこうだ」 「はーい、やれやれ」 ため息を吐くと、しゃんとしろ、と渇を入れられた。 朝は弱いんだから、仕方ない。それでも日向の言う通り、最近はちゃんと登校時間に間に合っていたのだ。 遅刻した理由は……、あまりに情けなくて、考えたくもない。 神宮寺は窓側の後ろから二番目、自分の席に腰を下ろし、授業に耳を傾けた。 * 放課後になり、日向から補修用に課題のプリントを渡された。 音楽知識に関する問題で、教科書を調べれば解けるものだ。 しかし、量が多く、今日中という期限は厳しい。 「やれやれ…これじゃあ今日は遊びにいけないな…」 残念そうに呟くが、ちょうどよかったとも思う。 夜遊びにいく理由も結局は、やることがないからなのだ。 既にクラスメイトは帰宅しており、教室は神宮寺ひとりだった。 パラパラと教科書を捲る音と、エアコンが暖気を送る音、時々吹く木枯らしが窓を叩く音、聴覚を刺激するそれらは、どれも邪魔でなく、心地よかった。 「神宮寺?」 突然教室のドアが開き、聖川が顔を出した。神宮寺ははっと顔を上げる。 「聖川」 「随分遅くまで残っているのだな」 「補修だよ、今日は遅刻してしまってね」 集中を邪魔された苛立ちに、少し投げやりに答えた。 聖川は少し黙り、それから言葉を選ぶ。 「すまなかった」 「なんでお前が謝る?」 「いつもは起こしているだろう?今日は委員会の用事で、かなり早く登校してな。起こすのも悪いと思ったのだ」 低く落ち着いた声で聖川は答えた。 それが当然であるかのように、真っ直ぐこちらを見据える。 神宮寺はばつが悪く視線をそらした。 確かに、今朝寝坊をした際は、聖川の顔が浮かび、あまつさえ恨み言のひとつやふたつ、投げ掛けたくなった。 けれどそれは異常なことで、慣れてはいけない事態だったはずた。これではまるで。 「明日からはまた、起こしてやる。邪魔して悪かったな。それじゃあ、失礼する。」 まるで、俺があいつに依存しているみたいじゃないか。 神宮寺は呆然と、閉められた教室のドアを眺めていた。 * 「おにいちゃん、おにいちゃん」 小さな少年が泣いている。 幼い頃の聖川だ。髪型は今と変わらず、いかにも育ちの良さそうな坊っちゃんだ。 神宮寺の服の裾を掴み、不安そうにこちらを見ていた。 「大丈夫だって。俺がついてる。すぐ帰れるさ」 どうやら、二人で道に迷ってしまったようだ。 神宮寺自身も不安に思っていたが、無理に笑顔を向けた。 「うん、おにいちゃん!」 聖川は神宮寺の答えに安心し笑顔となった。 おにいちゃん、という響きに、神宮寺はくすぐったさを感じた。 家族の中では末っ子のため、年下の聖川にそう呼ばれることが誇らしかった。 俺がこの子を守らなきゃいけない。 そんな使命感をもって、神宮寺は泣きたい気持ちを我慢した。 しばらく歩き周り、ようやく家族がいる場所に帰ることが出来た。 聖川は母親に抱きつき、泣いた。神宮寺は泣かなかった。 けれど、誰かに強く抱きしめられた感触だけ、強く記憶に残った。 * 「…寺、神宮寺!」 聖川の声に、はっと目を覚ます。聖川は心配そうにこちらを伺っていた。 「聖川…」 「どうかしたのか?うなされていたぞ。」 聖川の指が頬をなぞる。 濡れた感触に神宮寺は泣いていたのだと気付く。 「夢……か。そうか。」 「悪い夢でも見たのか?」 神宮寺は首を左右に振った。 「いや、悪くなかった。昔の夢だ。お前がまだ小さくて、おにいちゃん、おにいちゃんって、俺についてきた頃。可愛かったよなあ、お前」 からかうように笑うと、聖川は頬を紅潮させ、焦りを見せる。 「なっ、一体どんな夢を見たのだ」 「さあな、忘れちゃったよ。ただ…ああ、そうか。」 「?」 「母さんだ。なあ聖川、前に二人で、道に迷ったことがあったよな」 神宮寺の問いかけに聖川は吹き出す。 「どの話だ。小さい頃はお前に振り回されて、とにかく迷った記憶しかないぞ」 神宮寺もつられて笑う。 「そうだったか?とにかく、その夢を見たんだよ。帰ったときに、母さんが抱きしめてくれたんだ。泣かないで偉かったわね、もう勝手にどこにも行っちゃだめよ、って……」 神宮寺は余韻を残し呟いた。 亡くなった母を思い出し、感傷に浸って、だから泣いていたのだろうか? 神宮寺は自問する。 でも、もっと違う理由で、自分は涙した気もする。 「なあ、神宮寺」 聖川は静かに語りかけた。 「あまり、夜遅くに帰ってくるなよ」 唐突にも思える内容だった。 しかし、不思議と自然に神宮寺の心に染み渡り、頑なだった心が溶解していくようだった。 「ああ、そうだな」 神宮寺は素直に頷く。 聖川は安心したように神宮寺の頬を撫でた。 神宮寺は、心地よい指の感触に、目を瞑った。 ああ、もしかしたら、涙の理由は、これかもしれない。 道に迷って、やっとのことでたどり着いた先で、強く抱きしめてくれる存在。 それが、この同室の男だといいなんていう真相心理。 亡くなった母でもなく、「おにいちゃん」だった自身でもなく、年下で泣き虫だった聖川に対して。 複雑で情けなかったんだろう。 それでも想いは止められそうになく、こんなにムードのない恋は初めてだと、神宮寺は天を仰ぎたくなった。 END |