5 「じゃあまたね」 音也は曖昧な笑顔で手を振り、校舎へと走っていった。 小さくなる音也の背中を見つめながら、トキヤはある決意をしていた。 * 「ただいまー」 授業が終わり、音也が自室に戻ってきた。椅子に座り本を読んでいたトキヤが目を向けると、元気になったみたいだね、と優しく微笑む。 トキヤは決意していた。音也に、自身の秘密を話そう、と。 どう思われるかは、わからない。それが怖い。けれど、音也はきっと、何でもないことのように、笑ってくれるような気がした。 音也は制服の上着を脱いで、トキヤの横に座る。トキヤがごくりと唾を飲み込み、口を開こうとしたその時だった。 「トキヤ、俺考えたんだけど、いいよ。」 音也がトキヤに横顔を向けたまま、呟く。 「え……」 拍子抜けした声を上げると、音也は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。 「教えてくれなくていいよ。だけど、無理はしないでほしいんだ。昨日とか、今日も、俺あんなに取り乱しちゃって。ごめんね」 音也の声は不安げに揺れていたが、表情は固く、意志に揺らぎはなかった。 全てを音也に打ち明けようと、一歩踏み出そうとした矢先の出来事に、トキヤは戸惑う。むしろ段々と腹が立ってくる。 音也が踏み込んできた癖に、無理やりに開こうとした癖に、今さら引き下がるのか。 隠していたのはこちらなのだから、身勝手さは自覚していた。しかしトキヤは、沸き上がる苛立ちをコントロールすることが出来なかった。 「こちらを向きなさい」 「えっ」 横顔を向けたままの音也の顎を掴み、こちらを向かせる。強引な行為に音也は目を見開いた。 「トキヤ、どうしたの?」 「私の顔を見ても、同じことが言えますか?」 「言えるよ」 音也がへらっと笑った。トキヤの刺すような視線も、あまり気に止めていない様子だ。きっと、この少年は自分以上にかわすことがうまい。相手も、自分自身の感情についても。 「待っててくれるんじゃなかったんですか。こんな感情は初めてだと言っていたのに、その程度だったのですか」 「違うよ!」 音也を責めるような言葉を紡ぐと、彼は否定の言葉を叫んだ。 「トキヤは優しいから。待っていたら、気にして、言えないことに苦しむと思ったんだ。だから……」 涙をこらえるように目を細める音也に、トキヤははっとする。 「何を馬鹿なことを言っているんです。私は、優しい人間ではありません。」 自分の感情を優先させ、周囲に迷惑をかけるような人間なのに。音也の方が、何倍も何十倍も優しいのに。 「トキヤは優しいよ。」 「音也」 「そうやって、名前で呼んでくれる。初めて会った時に、俺が名前で呼んでって言ったの、守ってくれてる。トキヤは優しいんだよ」 音也がはにかみ、トキヤの指を手で掴み、ゆっくりと離れる。 「だから、俺はトキヤの迷惑にはなりたくないの」 「音也、私は」 離れていく音也に、寂しさともどかしさを感じた。繋ぎ止めておけるなら、自分の全てをさらけ出しても、音也のいう迷惑というものを感じても、構わないと思ってしまう。 キスをしたい。 沸き上がる衝動に、トキヤは音也の腕を引き抱き締めていた。 「トキヤ!?」 密着した体から音也の戸惑いが伝わる。大きな抵抗がないのを良いことに、トキヤは静かに続けた。 「聞いてもらえますか?音也……」 あなたに聞いてほしい。 トキヤは自身の秘密と、今自分が学園にいる理由を、努めて淡々と説明した。 腕の中にいる音也は、真剣な表情で聞いてくれる。 優しい相槌にトキヤは初めて、自分は誰かに現状を肯定されたかったのだと自覚した。 全てを話したその後に、音也はなんて返すだろう。 腕の中の音也が時折見せる蠱惑的な笑みに、トキヤの不安は和らいでいくのだった。 ……end…… |