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「ひとつ、聞いてもいいですか?」


緊張した空気が流れる。トキヤの張り詰めた声に、音也も真剣な表情となった。


「うん、どうしたの?」


至近距離で、音也の睫毛が揺れる。

いつの間にか、こんなに近い存在になっていた。

音也がトキヤの態度や都合に構わず、トキヤの場所に踏み込んできたからだろう。


「あなたは、私の中にもう一人の私がいると言ったら、どう思いますか」

トキヤの声は震えていた。


脳裏には、アイドルとして活動するもう一人の、『一ノ瀬ハヤト』という存在が過る。


明るく元気で面白い、バラエティやドラマで三枚目を演じている、もう一人の自分である。


最初はただ必死に役を演じて、それを素としたバラエティーなどが増えていった。
演じることに罪の意識を感じるようになったのは、いつからだろう。
自分がどこにいるかわからなくなって、不安になったのは。


音也はトキヤの発言の意図が掴めないのか、微かに瞳を見開いた。


「もう一人?」


「すみません、変なことを聞きました」


トキヤは薄く笑い、音也から目をそらす。


空を見上げると、青く清みきっていた。


きっとこの空だって、私の苦悩を理解することは出来ない。


今ある仕事をこなしていけば、必ず歌うチャンスはある。


至極全うな説得もされた。けれど、今を続けていけば、トキヤはトキヤ自身ではなくなってしまうという悲壮な確信があった。自分が愛せるような歌はもう歌えなくなると、焦りがあった。


誰の話も、どんな書籍も、トキヤの胸には響かなかった。トキヤの決意は揺るがなかった。


だのに、同室のこの友人に、不思議とジャッジを迫った。


私は、ハヤトを肯定してもらいたかったのだろうか?


自分自身で否定したのに、なんて都合のよい話だろう。


「トキヤ、……俺は」


音也が言葉を選びながら紡ぎ始める。戸惑いの中どこか甘く包み込むような響きは歌のように響いた。


「俺は、どうも思わないよ。だって、誰にだってあるでしょ。そういうの」


「……」


「もう一人の自分。俺だってあるよ。」


音也の目は不安げに揺れた。トキヤをじっと見つめ、沸き上がる衝動を押さえ込んでいる。


「俺、小さい頃から、誰かに執着するってことがなかった」


「音也?」


風が凪いでいる。音也の声が、表情が何か重大な決意を秘めていて、心臓がトクンと高鳴る。


「最初はギター、それから歌、それだけだった。俺が執着していたものは」

トキヤもそうだった。幼い頃から音楽の好きな父の影響で、様々な楽器を習い、たくさんの楽曲を聞いた。その中で、自分は音楽、歌で人生をかけようと決意した。


音也の震える手が目に入り、軽々しい同意の言葉はかけられなかった。音也が抱えているものを少しでも知りたくて、トキヤは手のひらを重ねた。

「トキヤが初めてなんだ。」


「?」


「拒絶されているのに踏み込みたい。大好きなのに負けたくない。自信がないのに、守りたい。」

音也がぎゅっと拳を握り、小さくごめんと呟いた。



昨日のことを言っているのだろうと分かる。確かに普段の音也とは違ったけれど、それほど、思い悩むことではないのに。


どうも思わない。


音也の先ほどの言葉を思い出す。案外他人の感想など、そんなものなのだろう。


自分の苦悩など、誰にも理解されない。


自分が早乙女学園に入学を決意するときに、思い知っていたはずだ。


けれどトキヤは思う。

出会ってまだ日は浅いが、底抜けに明るいと思っていたこの少年の様々な表情を思い起こしながら。


私は、音也の苦悩を理解したい。


「音也」


重ねた手の平で彼の拳を握る。


名前を呼ぶと、伏せていた目がこちらを向いた。何て言葉をかけていいかわからない。元より何も望んではいないと、音也の表情が訴えていた。


手に入りそうで入らないこのもどかしさは、歌に似ている。


沈黙を破ったのは、昼休みの終わりを告げるチャイムの音だった。









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