2 その歌声を聞いたとき、経験したことのない感覚が沸き上がった。 * 同室のトキヤは、帰宅が遅い。 音也も授業が終わった後は、サッカーなどをして遊んで帰るが、トキヤがそれよりも早いことはなかった。 校舎に残っている様子もないし、一体何をしているんだろう。 今日はトキヤが帰ってくるまで待っていて、直接聞いてみよう、と思った。 音也はトキヤを待つ間、勉強机で作詞の課題に取りかかった。 * 「〜、……」 甘いテノールの声が、音也の耳に微かに届く。 「ん……」 優しい歌に、音也の意識はゆっくりと覚醒した。どうやら課題をしながら眠ってしまったようだ。 「〜、〜……」 今度はしっかりと、歌が聞こえた。歌詞はなく、メロディだけを口ずさんでいる。 軽やかに、時々しっとりと、何げなく歌っているようで、正確で印象的なメロディ。 トキヤだ。 音也はハッとした。普段の低く、何かを圧し殺したような声とは違う。伸びやかで気持ち良さそうに声が踊る。 普段だったら、誰かが歌うと、一緒に歌いたくなった。リズムとメロディがピッタリ合うと、心まで重なったようで嬉しくなった。 けれど、音也はトキヤのメロディに圧倒されて、一緒に口ずさむことが出来なかった。 トキヤの歌には色々な感情が詰まっていた。軽やかな中に歌が好きな気持ちが、しっとりとした中に何かに焦がれる切ない気持ちが、正確なメロディにはストイックさを求める強さが。……その深淵に音也が合わせられるはずかなかった。 胸が苦しくなる。この感情はなんなのだろう。 嫉妬?羨望?敗北感? 平和主義の音也にとって、特定の人間に対して、こんなに激しい感情を抱いたことはなかった。 音也は眠った振りを続けながら、耳を押さえた。 聞きたくない。 それは、負けたくない、と同義の感情だった。彼の歌に心を揺さぶられた事実を認めることが嫌だった。 音也は逃げるように、再び意識を手放した。 → |