8
聖川は自宅玄関のチャイムを鳴らした。

訝しげに出てくる神宮寺の体をそのままかき抱く。


ボストンバッグが床に落ち、軽く音を立てた。



「……おかえり」


神宮寺が一言吐き出す。聖川はその柔らかな響きにほっと胸を撫で下ろした。


「ただいま。神宮寺」


聖川がやっとのことで声を絞り出すと、神宮寺の腕がゆっくりと背中に回された。





「家族に伝えてきた」


リビングのソファに座り、お茶をすすりながら、聖川は神宮寺に宣告した。


「何を」


神宮寺は憮然とした表情のまま聖川に問う。


「俺は結婚する気も子供を産む気もないということをだ」


神宮寺は表情を崩さない。聖川の確信はその態度に崩れ落ちそうになった。神宮寺はため息を吐き背もたれに体重をかけ、その長い足を組み直した。


「馬鹿だな」


「神宮寺、俺は」


吐き捨てるように言った彼に、聖川の視界がぐるりと歪む。受け入れてくれるだろうか。諦めないでくれるだろうか。一度別れを宣告されているから、怖くて仕方なかった。


「聖川、お前なんで帰ってきたんだよ」


「神宮寺」


「俺はお前が戻ってくる前に、俺の物を全部荷物にまとめて、出てこうと思っていた」


神宮寺が天を仰ぎ、その後頭を抱えた。


「でも出来なかった。俺が持っていきたいと思ったものは、ほとんどお前との共用物なんだよ。愕然としたね」


神宮寺は畳み掛ける。


「別に身ひとつでも良かったんだ。でも俺は、もうお前と以外無理だから、せめて思い出だけでも……持っていきたかった」


顔を覆った神宮寺の頬に涙が伝ったのが見て取れた。聖川は、向かいの神宮寺の方へ移動し、震えるその身体を抱き締めた。



「お前なんて、帰って来なければ良かった」


「帰ってくると言っただろう。俺が約束を破ったことがあるか?」


「たくさんある。」


「、そうだな」


拗ねた言い方に聖川は微笑んだ。神宮寺の腕を引き、紅潮した泣き顔を目に焼き付けた。


確信は正しいと予感した。神宮寺の思いはまだ、聖川にある。それならば聖川はそのまま、伝えるだけだ。


「神宮寺、赤ちゃんが生まれたら、会いに行こう。きっと、とても可愛いんだ。」


「……」


「あと、俺の両親にも会ってくれ」


聖川が言うと、神宮寺はみるみる内に冷たい表情に変わる。造形が整っているため、一層酷薄に映り、迫力がある。

「想像通りの反応だ」聖川が吹き出す。


「聖川?」


「いいんだ。神宮寺、すまなかった」



聖川はもう一度、神宮寺の身体を抱き締めた。腕の中の身体からは戸惑いを感じた。


「どういうことだ、聖川」


「俺は、お前の気持ちとか、思いやりとか、やっと分かったんだ。お前と一生付き合ってくっていう意味をさ」



「お前、一体どこまで家族に話したんだ」


「そこまで具体的には話していないから安心してくれ」


「聖川?」


肩を震わせ笑う聖川を、神宮寺は不思議そうに覗き込んだ。


「神宮寺、すまなかった。」


「謝るなよ」


「ありがとう」


「……」


「家族の縁を切られるかと思ったが、大丈夫だった。それで、お前が傷つくことを承知で、会わせたいと思った。だから、謝ったんだ」


「そんなことだろうと思ったよ」

神宮寺がやっと、初めて笑顔を見せた。


「神宮寺の思いも、家族の思いも、全てを汲むことができない。中途半端で申し訳ない気持ちもある」


だから、今すぐに無理やりにでも家族と会わせようというわけではない。続けると、神宮寺が真剣な目で聖川の腕から離れた。


「やっぱり、お前分かってないよ。俺は別に、お前を思いやってとか、そういう意味で別れるって言ったんじゃない」


「そうなのか?」


「俺はただ二人だけでいられればそれで良かった。でも、それはお前の言う一生とか、永遠とか、そういうのとは違うから」


神宮寺の瞳に涙が溜まった。

聖川は妹に見せてもらったエコー写真を思い出す。

もし、連綿と続いていく命の営みが、永遠だというならば、俺たちの関係は確かに刹那的かもしれない。

けれど、確かに己の中では永遠に存在する思いであると、聖川は確信していた。


「別にいいんだ、違って。そんなこと、分かりきっているだろう?」


神宮寺の腕を掴むと、その手を振り払われそうになる。


「なんなんだよ、もう……違うんだ、俺が言いたいのは…」


神宮寺が額に手を当てながら、言い淀む。
聖川はもどかしく思う。

刹那的なこの関係を、一生続けていく誓いを、どのように立てればいいのだろう。



「聖川、お前はそれで幸せなのか?お前は俺と一緒にいて、本当に幸せなのか?」

神宮寺の言葉に聖川はハッとする。
聖川は神宮寺と同じことを考えていた。
けれど聖川は、自分の気持ちを優先していた。

今は互いの、思いに対する根本的な違いに感謝するばかりだ。

「神宮寺らしくないな。普段から、レディに甘く、囁いているだろう?お前が俺を、幸せにしてくれるんだろう?」


軽口を叩くと、神宮寺の表情も少し緩んだ。

「やっぱりお前、わかってない。」


わかってたまるか。聖川は反抗的に思う。俺たちは別の個体だ。

しかも神宮寺は気まぐれで、寂しがり屋で。男らしいと思ったら甘えん坊だったり。ああ、それから時々ひどくてたまに優しくて。そんな複雑な人間の全てをどうして理解できようか。

それこそ一生一緒にいたって、わからないだろう。


けれど、だからこそ、聖川は神宮寺と共にいたいと感じるのかもしれない。

聖川は神宮寺を全力で引き留める。神宮寺は受け入れてくれるという根拠のない自信があった。


「……別に不幸だって構わないんだよ、俺は。お前といられれば」


それはお前も、一緒だろう?


聖川が囁き、神宮寺の身体を押し倒す。神宮寺はお手上げだ、というポーズのまま、されるがままにソファに寄りかかった。







「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -