8 聖川は自宅玄関のチャイムを鳴らした。 訝しげに出てくる神宮寺の体をそのままかき抱く。 ボストンバッグが床に落ち、軽く音を立てた。 「……おかえり」 神宮寺が一言吐き出す。聖川はその柔らかな響きにほっと胸を撫で下ろした。 「ただいま。神宮寺」 聖川がやっとのことで声を絞り出すと、神宮寺の腕がゆっくりと背中に回された。 * 「家族に伝えてきた」 リビングのソファに座り、お茶をすすりながら、聖川は神宮寺に宣告した。 「何を」 神宮寺は憮然とした表情のまま聖川に問う。 「俺は結婚する気も子供を産む気もないということをだ」 神宮寺は表情を崩さない。聖川の確信はその態度に崩れ落ちそうになった。神宮寺はため息を吐き背もたれに体重をかけ、その長い足を組み直した。 「馬鹿だな」 「神宮寺、俺は」 吐き捨てるように言った彼に、聖川の視界がぐるりと歪む。受け入れてくれるだろうか。諦めないでくれるだろうか。一度別れを宣告されているから、怖くて仕方なかった。 「聖川、お前なんで帰ってきたんだよ」 「神宮寺」 「俺はお前が戻ってくる前に、俺の物を全部荷物にまとめて、出てこうと思っていた」 神宮寺が天を仰ぎ、その後頭を抱えた。 「でも出来なかった。俺が持っていきたいと思ったものは、ほとんどお前との共用物なんだよ。愕然としたね」 神宮寺は畳み掛ける。 「別に身ひとつでも良かったんだ。でも俺は、もうお前と以外無理だから、せめて思い出だけでも……持っていきたかった」 顔を覆った神宮寺の頬に涙が伝ったのが見て取れた。聖川は、向かいの神宮寺の方へ移動し、震えるその身体を抱き締めた。 「お前なんて、帰って来なければ良かった」 「帰ってくると言っただろう。俺が約束を破ったことがあるか?」 「たくさんある。」 「、そうだな」 拗ねた言い方に聖川は微笑んだ。神宮寺の腕を引き、紅潮した泣き顔を目に焼き付けた。 確信は正しいと予感した。神宮寺の思いはまだ、聖川にある。それならば聖川はそのまま、伝えるだけだ。 「神宮寺、赤ちゃんが生まれたら、会いに行こう。きっと、とても可愛いんだ。」 「……」 「あと、俺の両親にも会ってくれ」 聖川が言うと、神宮寺はみるみる内に冷たい表情に変わる。造形が整っているため、一層酷薄に映り、迫力がある。 「想像通りの反応だ」聖川が吹き出す。 「聖川?」 「いいんだ。神宮寺、すまなかった」 聖川はもう一度、神宮寺の身体を抱き締めた。腕の中の身体からは戸惑いを感じた。 「どういうことだ、聖川」 「俺は、お前の気持ちとか、思いやりとか、やっと分かったんだ。お前と一生付き合ってくっていう意味をさ」 「お前、一体どこまで家族に話したんだ」 「そこまで具体的には話していないから安心してくれ」 「聖川?」 肩を震わせ笑う聖川を、神宮寺は不思議そうに覗き込んだ。 「神宮寺、すまなかった。」 「謝るなよ」 「ありがとう」 「……」 「家族の縁を切られるかと思ったが、大丈夫だった。それで、お前が傷つくことを承知で、会わせたいと思った。だから、謝ったんだ」 「そんなことだろうと思ったよ」 神宮寺がやっと、初めて笑顔を見せた。 「神宮寺の思いも、家族の思いも、全てを汲むことができない。中途半端で申し訳ない気持ちもある」 だから、今すぐに無理やりにでも家族と会わせようというわけではない。続けると、神宮寺が真剣な目で聖川の腕から離れた。 「やっぱり、お前分かってないよ。俺は別に、お前を思いやってとか、そういう意味で別れるって言ったんじゃない」 「そうなのか?」 「俺はただ二人だけでいられればそれで良かった。でも、それはお前の言う一生とか、永遠とか、そういうのとは違うから」 神宮寺の瞳に涙が溜まった。 聖川は妹に見せてもらったエコー写真を思い出す。 もし、連綿と続いていく命の営みが、永遠だというならば、俺たちの関係は確かに刹那的かもしれない。 けれど、確かに己の中では永遠に存在する思いであると、聖川は確信していた。 「別にいいんだ、違って。そんなこと、分かりきっているだろう?」 神宮寺の腕を掴むと、その手を振り払われそうになる。 「なんなんだよ、もう……違うんだ、俺が言いたいのは…」 神宮寺が額に手を当てながら、言い淀む。 聖川はもどかしく思う。 刹那的なこの関係を、一生続けていく誓いを、どのように立てればいいのだろう。 「聖川、お前はそれで幸せなのか?お前は俺と一緒にいて、本当に幸せなのか?」 神宮寺の言葉に聖川はハッとする。 聖川は神宮寺と同じことを考えていた。 けれど聖川は、自分の気持ちを優先していた。 今は互いの、思いに対する根本的な違いに感謝するばかりだ。 「神宮寺らしくないな。普段から、レディに甘く、囁いているだろう?お前が俺を、幸せにしてくれるんだろう?」 軽口を叩くと、神宮寺の表情も少し緩んだ。 「やっぱりお前、わかってない。」 わかってたまるか。聖川は反抗的に思う。俺たちは別の個体だ。 しかも神宮寺は気まぐれで、寂しがり屋で。男らしいと思ったら甘えん坊だったり。ああ、それから時々ひどくてたまに優しくて。そんな複雑な人間の全てをどうして理解できようか。 それこそ一生一緒にいたって、わからないだろう。 けれど、だからこそ、聖川は神宮寺と共にいたいと感じるのかもしれない。 聖川は神宮寺を全力で引き留める。神宮寺は受け入れてくれるという根拠のない自信があった。 「……別に不幸だって構わないんだよ、俺は。お前といられれば」 それはお前も、一緒だろう? 聖川が囁き、神宮寺の身体を押し倒す。神宮寺はお手上げだ、というポーズのまま、されるがままにソファに寄りかかった。 → |