10
寮に戻ると、聖川はホットココアを入れてくれた。

鈕の取れたシャツを剥ぎ取られ、学園指定のジャージを今は羽織っている。

ココアを飲むと、体の芯にじわりと沁みた。ひどい目にあったなあ、と妙に冷静に思う。
向かいに座る聖川は、未だに心中穏やかではない雰囲気で、神宮寺に強い視線を向ける。


「何をしていたんだ」

「それは…」


神宮寺は視線を泳がせる。本当のことを言ったら、怒られることは自明であった。


でも。神宮寺は思う。


それこそ、自分が望んでいたことではないか。


「確かめにいっていた」
「何をだ」

「お前への思い」

神宮寺が言うと、聖川の表情が疑問に満ちていた。神宮寺は補足をする。
どうせ伝わらないだろう。そう諦めながら。


「男でも大丈夫かどうか、確かめたかったんだよ。お前が言った通り、好きな奴を探しに。ああでも、ひどい目にあった」
「神宮寺」

「未遂だけど、グロテスクな玩具を出されてな。珍しく本気で逃げた」


神宮寺が乾いた笑いをこぼすと、聖川は自分が傷付いたみたいに、顔を歪めた。そして神宮寺に近付き、抱き締めた。


「聖川…」

「とにかく、無事で良かった。もうこんなことするなよ」


悲痛な声に、こちらまで泣きたくなってしまう。聖川の背中に腕をまわし、神宮寺は素直に頷いた。


「なあ、聖川。それでわかったんだが…」

「?」

「俺はお前じゃないとどうやら駄目みたいだ」


神宮寺は本心を告げる。先刻の嫌悪感と恐怖は、聖川の体温で取り払われていた。寧ろ今は、甘く疼いてたまらない。

抱き締める腕を強くする。聖川は小さく息を吐いた。


「俺と付き合ってよ」


神宮寺が言う。暫く沈黙が続いた。


終わりか。神宮寺は覚悟した。


「神宮寺、少し、自分の話をしていいか?」

「ん、ああ」


意外な言葉で沈黙は破られた。聖川は続ける。


「俺は人の好意か信用できない」

聖川の声音はいつも通り、落ち着いて響く。


「正確に言うと無償の愛というものをだ。幼い頃から、家督を継ぐものとして育てられたためかもしれないが、理由はわからない。しかし、だからこそ、それを理想としている。」


「無償の愛を、か?」


聖川は小さく頷いた。


「でも、お前への思いは違うんだ」


聖川の声が震える。不安、苛立ち…そんな負の感情が内包されている。見たことがない聖川だった。


「もしお前と付き合うことになったら、お前を全て欲しいと思う。お前にも俺と同じくらいの思いを要求する。俺は、お前を傷付ける。きっとお前は俺を嫌いになる。」


聖川の心情に、神宮寺は驚かされた。


ギブアンドテイク。

好きな人に、ひたすらに与えたい。なのに、気持ちが強ければ強いほど、見返りを求めてしまう。
その衝動を、否定したい気持ちが神宮寺にはあった。だから、聖川の言いたいことが、よく分かった気がした。


「それでもいい」


神宮寺が伝えると、聖川は体を離し、神宮寺の表情を伺った。


「ていうか、そうじゃないと、俺は嫌だ。俺は与えられることに慣れているから、求めてくれないと困る。何をしていいかわからない。ほら、子供の頃のように、素直に表情に出して言ってくれればいい。」


神宮寺が笑うと、聖川は安心した表情を見せた。

「信じていいのか」


「信じてほしい。まあ…説得力ないのは自覚しているが」


「全くだ。俺はお前の思考回路が理解できない」

「俺もだけどな」


二人で顔を見合わせ、微笑む。手のひらを合わせ、互いの鼻の先をつける。

「交換条件、覚えているか?」

「ピアノと…」

神宮寺は、聖川の途中の言葉を唇で奪った。ぺろりと唇を舐めとり、悪戯っ子のように笑う。

「今はこれでいい。」

「神宮寺」

不意討ちに驚いた聖川は、冗談混じりに呟く。

「絶対抱いてやらない」

「いいよ。別に。信じてくれるまで」

「調子に乗るな」

再び二人、遊ぶようにキスをした。神宮寺は心が満たされていくのがわかった。

不安も寂しさも、愛しさも全て、互いに存在している。
その揺らぎに抗いながら、理想を求めていく。

足場が崩れれば、すぐに壊れてしまう飴細工のようだ。

儚く、甘い。


そんな恋だと、神宮寺は思った。


END

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