ピロートーク
仕事の話などをしながら、和やかに夕食を終えた。 後片付けをしてくれるという聖川に甘えて、神宮寺はリビングに入った。
部屋の真ん中のソファに腰掛け、かすかに聞こえる水音に耳を傾ける。 こんな風に穏やかな心地になるのは、初めてかもしれない。
なんとなく、神宮寺は自分は幸せにはなれないだろう、と諦めていた。 博愛主義を気取り、来るものを拒まない付き合い方をしてきたけれど。
本当に好きなタイプ、それこそ、聖川のような真面目な堅物タイプは、大抵神宮寺を敬遠した。何の間違いか、来てくれたとしても、神宮寺の過去や本性を知れば、すぐに去っていく。
それをみっともなく追いかけることなど、神宮寺には出来なかった。
聖川との始まりは、取引先の人間に無理やりキスマークを付けられた後、自暴自棄になって行動した末の出来事からだった。
まさかこんな風に転ぶなんて思ってなかった。軽蔑され、今度こそ存在しなかったように無視され、終わるだけと思っていたのだが。
彼には、聖女のように穏やかで可愛らしい女が合っているだろう。
こんな風に汚れ、骨張った男の身体など、ふさわしくない。 けれど。
神宮寺は手の平をぼんやりと見つめる。
せめて、聖川が許してくれるまでは、この関係を続けていきたい。 この関係を精一杯楽しみたい。 神宮寺は切に願うのだった。
「神宮寺?」
洗い物を終えた聖川が、リビングに入ってくる。
「寝ているのか?」 「ん……」
ひんやりとした指先で、額を撫でられる感触に、肩をすくめた。 ソファの肘掛によりかかり、気付いたらうたた寝していたようだ。
「今風呂を入れているから、それまでは寝ていればいい」
低く、優しい声が遠くで聞こえる。 不意に襲うどうしようもない不安を、軽々と消し去ってしまう。 この男は、どれだけ自分を甘やかせようとしているのか。 迫りくる恐怖を予感しながらも、髪を撫でる聖川の指を振り払うことは出来なかった。
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「っ……」
浴室に入るや否や、後ろから抱きしめられ、性急に唇を奪われた。 一緒に入ることも、こんな風に能動的に攻められたのも、初めてのことで神宮寺は動揺を隠せない。
「ひじり、かわ……?」
口腔内を乱暴にかき回され、やっと開放された後に、ふやけた頭で名前を呼ぶと、聖川ははっと我に帰った表情を返す。
「すまない、いきなり」 「いいけど、」
照れたように視線をそらす彼につられ、神宮寺もしどろもどろに答え、口をつぐんだ。 強引に求められるのは、嫌いではない。何でも答えたくなる。しかし、慣れていないから、恥ずかしい。
「神宮寺、愛している……」 「聖川……?」
切なげに、ぎゅっと抱きしめられる。どうしたのだろうか、いつもと違う聖川に戸惑っているうちに、神宮寺の後ろにあるシャワーのノズルから水音が流れ出した。
「洗わせて?」
ちゃっかりとシャワーを手にし、にっこりと笑う聖川に、よく分からない性癖のやつだな、と神宮寺は微笑んだ。
聖川は神宮寺を椅子に座らせ、シャンプーを開始した。 神宮寺の肩先まである髪の毛を丁寧に指を梳き、シャンプーを全体に泡立たせる。 器用に頭皮をマッサージされ、気持ちよさに神宮寺は息を吐く。
「これ、営業先で何か言われないか?」
指先で揉みこみながら、後れ毛をぴん、と引っ張られた。
「普段は縛ってるし、そんなに目立たないよ。年配には印象悪いけどな」
神宮寺が答えると、ふうん、と気のない返事をされる。 蛇口がひねられ、シャワーノズルから水が出てきた。 ちょうど良い温度になるまで、聖川が確認しているのが横目で見えた。
「まあ、似合ってるしな」 「そう?」
どういう意図だろう。聞くのが怖くて神宮寺は気にしていない振りをした。
髪型は短髪よりも自分には合っていたから、そのままにしているだけだった。 新入社員の頃よりは伸びているし、煙たく思っている人間もいるかもしれない。 けれど、特に不自由も感じていないから、気にしていなかった。
聖川に言われた途端に、言葉の裏を探ってしまう。
「流すぞ」 「ん」
温かい湯で、緩やかに泡が流されていく。 優しい指先に撫でられながら、胸の奥には微かなしこりが残る。
神宮寺は以前、聖川に嘘を吐いた。 直接的な嘘ではない。 けれど、確かに意識的に、彼が勘違いするような態度を取った。 それは、まさに二人の関係が始まった夜のことだった。
娼婦のように誘った後に、生娘のような反応を見せて。
もしも、聖川が神宮寺が初めてであったと勘違いし、責任を感じていて、こんな風に優しくしてくれているというならば。 好きな人間に対して自分はひどい裏切りをしている。
きゅっと蛇口を閉めた後、水音がやむ。
「おつかれ」 「ありがと」
ぽんぽん、と頭を撫でられ、バツが悪く視線をそらす。
そういえば、聖川は経験あるのだろうか。
始まりの夜は、聖川を童貞扱いしてバカにしたけれど、実際抱き合ってみたらぐずぐずに責められて、啼かされることになった。
こんな風に、自分以外の誰かと一緒に風呂に入って、頭を洗ってやったり。きっと世話焼きな彼は、そんな愛し方をする。そんな愛し方を、自分にも適用させているだけなのだ。
「お前を抱きたい。いいか?」
切羽詰った声に耳元で囁かれ、神宮寺は彼を抱き返した。
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