不思議な人
祝賀会を終えて、一週間が経った。
聖川はデスクに肘をつき、ぼんやりと窓の外を眺めた。風が庭先の草木を揺らしている。
締め切りは迫っているのに、全く筆が乗らない。原因はわかっていた。
祝賀会で出会った、神宮寺レンという男が気になっている。
一般人離れした美しい男だった。器用な手つきで聖川の髪に触れ、魔法のようにスタイルを変えていった。見立ててくれた衣装で鏡の前に立てば、まるでどこかの国の王子様のようだとらしくなく自惚れてしまった。
鏡の前で優しく頬を撫でながら、最高に素敵だと褒められれば、後ろ向きな自分には珍しく、霞んでいた視界が一瞬にして開けたような気がした。
最後の挨拶では、舞台の照明にキラキラと煌めく光の中で、彼の姿を探していた。見つけたときは、王子様は自分ではなく彼の方だと真剣にふざけたことを考えてしまった。
「どうにかして会えないものだろうか」
あの後、仕事があるからといって帰ったと一ノ瀬に聞いた。きちんとしたお礼もしていないし、もう一度会いたい。
苦しげに溜息を吐く。と、デスク横の電話からコール音が響いた。
「進捗はいかがですか」
電話の相手は一ノ瀬だった。聖川が小説家としてデビューしてから、ずっと担当編集としてついてくれており、スケジュール管理や的確な指摘など、真摯な態度に信頼を寄せている。そのため、聖川も答えようと必死に執筆に励んでおり、あまり困らせるようなことは言わないように、と思っていた。
しかし、今回ばかりは少し、仕事上は関係のないことを、聞いてもよいだろうか? 執筆以外のことに気をとられ、手がつかないということは初めてのことで、聖川は不安に苛まれていた。
「聖川さん?」
「一ノ瀬、その・・・・・・」
一ノ瀬は、聖川の沈黙に怪訝な声を上げる。
「祝賀会であった、あの、」 「ああ、神宮寺さんのことですか……」
察しの良い一ノ瀬は、もしかしたら聖川の思いに気付いていたのかもしれない。 祝賀会の際に交換していた名刺から、神宮寺の勤務しているサロンを快く教えてくれた。
「原稿を進める上で、少しでも気になっていることがあれば、聞いてください」
それが私の仕事ですから、と普段の真剣な声音で言う一ノ瀬に、聖川は一言ありがとうと返した。
「しかし、原稿とはあまり関係ないことだから、躊躇していたのだが……」 「でも、気になって進まないのでしょう?」
全てを見透かしたような一ノ瀬に、聖川は頭が上がらない思いだった。
一ノ瀬に教えてもらったサロンに電話をかけたところ、人気店のようで予約は三ヶ月待ちと言われてしまった。とりあえず予約をした後に、やはりすぐに会いたい、と部屋の中をうろうろとしてしまう。
自分でも何をしているのだろう、と疑問に思いながら、気がついたら家を飛び出していた。
若者が多く集まるような駅の近くに、そのサロンはあった。 時刻は四時過ぎ、そっとガラス張りのお洒落な店内を覗くが、神宮寺の姿は見えなかった。 店の中はたくさんのスタッフと客でひしめいており、入る勇気は出なかった。
一目でも会えれば、とストーカーめいた勢いで来てしまったけれど、そんな突発的な自分の行動にいまさらながら後悔する。
らしくないことをせずに、大人しく家に帰ろう、とサロンに背を向けた瞬間、声をかけられた。
「小説家センセ……?」
はっと後ろを振り返ると、驚いた顔でこちらを見ている神宮寺が立っていた。夢のような光景に聖川は瞬きを繰り返した。
「久しぶりだね。この前はありがとう」 「い、いや。こちらこそ、この間は世話になった」 「サロンに用かな?俺はもう上がりなんだけど……」
入り口を開けようと身体をずらす神宮寺に、聖川は慌てて首を振る。
「いや、その、今日は……」 「ん?」
聖川はごくり、と喉を鳴らした。 どう言うべきだろうか。一度会っただけの人間の素性を調べ、わざわざ職場にまで行くなんて、客観的に見て気持ち悪いだろう。
どう言えば、自然に聞こえるだろうか。 どうすれば……。
神宮寺はじっとこちらを伺っている。 聖川はふっと力を抜いて、小さな声で呟いた。
「あ、貴方に、会いにきた……」
恋愛経験の少ない自分に、駆け引きなど無理なのだ。 聖川は諦め気味に、今度ははっきりと声を張った。
「祝賀会のときから、ずっと気になっていた……!」
ぱっと神宮寺を見ると、色っぽく微笑み、肩を竦めた。
「ふうん。嬉しいねえ。じゃあ、付き合ってみる? 「え……」 「冗談。でも、俺もセンセのこと、ちょっと気になってたよ」
甘えるような声を出し、神宮寺はこちらに近づいてきた。 そっと腕を掴まれ、耳元で囁かれる。
「ねえ、俺、センセの家に行ってみたいんだけど」 「家、いまからか?」 「うん、こんなに早く上がれるの珍しいし。あ、忙しいならいいんだけど……小説家の先生の家って、気になるんだよね。やっぱり本がたくさんあるの?」
神宮寺の誘いに、聖川はぐるぐると思考をめぐらせた。
彼は、どういう意図でこの言葉を発しているのか。 からかわれているのだろうか。 身体が密着していて、薔薇の花のような、甘い香りがしている。 誘っているようでいて、牽制されているような気もする。
「何のお構いもできないが…それでもいいなら来てくれ。」 「本当?やった!」
不思議な雰囲気を纏ったこの男について、もっともっと知りたい。 そう思っていたら、いとも簡単に了承してしまっていた。
「じゃあ、案内して」
神宮寺がそっと腕から離れた。 薔薇の香りがふわり、と鼻腔をくすぐる。 どきりと心臓が跳ねた。
目を奪われたのは、その美貌だけではない。 所作ひとつひとつが優美で、可憐で、しなやかで、したたかで。 本当に目が離せない、不思議な男だ。
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