何度でも君に恋をする

撮影が早めに終わり、時間に余裕が出来た。目的地までいく間にどこかに寄り道しようとカーナビのタッチパネルに触れる。
付近の地図が表示されたと思ったら、指先の乾燥が気になって手を止めた。

ささくれが捲り上がり、血が滲んでいる。少し痛みがあるくらいだが応急処置をしておこう。
目的地をドラッグストアに変更すると、ちょうど次の現場の近くにあった。

今度の現場は、雑誌の撮影だが、指先がアップになるようなシーンがあっただろうか。
始まる前に念のためスタッフにも伝えておこうと考えながら、エンジンをかけた。

車を走らせながら、最近抜けているな、と肩をすくめる。
普段なら手荒れなんてすぐ気付くのに。
そもそもハンドクリームを持ってくることも忘れていた。

それとも、まだハタチだっていうのに、年を取ったのだろうか?
自分はあまり長生きはしないだろうが、老化を感じるのはまだ早過ぎるだろう。

バカなことを考えるな、と自分を叱責する聖川が脳裏に浮かび、唇が歪んだ。

関西圏の人間は、バカという単語はキツい言葉で滅多に使わないというが、聖川にはけっこう言われている気がする。バカなこと、というのは、大体神宮寺が自身を蔑ろにする行動や言動を取る時だから、母親みたいに思えて、悪い気はしない。

仕事は順調で、忙しい日々が続いているから、真面目で実は沸点の低いその恋人とは、すれ違いの日々が続いていた。

ドラッグストアでハンドクリームと絆創膏を購入し、スタジオ近くの駐車場に到着した。

三十分ほど時間があることに確認し、さっそく購入したハンドクリームを開封した。
仄かなローズの香りのするハンドクリームを手の甲に塗り、指一本一本に伸ばしていく。
乾燥した肌にひんやりと浸透していく感覚に、気持ちがほっと落ち着いた。

絆創膏を出そうと手を伸ばしたとき、助手席に置いていたスマートフォンから電子音が鳴った。
画面を見ると、聖川真斗という文字が表示されている。珍しいな、と思いながら、画面をスライドして電話に出る。

「もしもし」
「神宮寺か。すまない、今大丈夫か?」
「ああ。十分くらいなら」

腕時計を見ながら神宮寺が答えると、聖川はふ、っと息を吐いた。

「それほどかからない。その、今日はお前の部屋に、行ってもよいだろうか」
「別にかまわないが・・・・・・?どうしたんだ?そんなことで電話をかけてくるなんて」
「最近、あまり一緒にいられなかっただろう。その、お前の好きなものでも、作ってやろうかと思ってな」

ためらいがちに言う聖川に、神宮寺は首を傾げる。
料理が得意な聖川は、以前から栄養が偏りがちな神宮寺に手料理を振舞ってくれたことはあったが、こんな風に電話をかけてくることはあまりなかった。

「実は、偶然スケジュールに空きが出たんだ。神宮寺は何時頃に帰れるだろうか?」
「今日は、19時くらいには帰れると思う。そうか、暇になったから、電話してきた?」

合点が行き、からかうように聞くと、電話の向こうで息が詰まった。
どうやら、まだ何か、あるらしい。
付き合いが長いため、顔を見なくても息遣いで、なんとなく気持ちを察することが出来るようになってしまった。

「聖川、どうしたんだ?」
「、なんでも、ない」
「嘘はよくないな」
「神宮寺、時間は大丈夫か?」

時計を確認すると、仕事まで二十分だ。
あと五分は大丈夫だろう。
それまでにこの頑なな恋人の心を開くことは出来るのか。
あまり自信はなかった。

「神宮寺?」
「なんだか久しぶりに声を聞いた気がするな。ああ、あと五分は大丈夫だ」
「ああ。そうだな。メールなどはしていたが、こうして声を聞くと、より寂しさを感じる。不思議なものだ」

聖川がしみじみと語りかけた。
落ち着いた声の奥には、深みのある優しさが感ぜられる。
この声が好きだな、と神宮寺は思った。

「何か、あったのか?」
「・・・・・・少し。仕事でな」

低音が揺らぎ、その後、振り切るように芯を持って、続けられた。

「まあ、帰ってきたら、慰めてくれよ。待ってるから」

そんな風に軽口に隠して弱音を吐くなんて、結構厄介なことがあったのかもしれない。ふっと、心配が過ぎったけれど、無常にも時計の針は進んでいた。

「ほんと、珍しいな」
「俺だって、寂しく感じることはある」

聖川が不服そうに言うので、神宮寺は笑ってしまう。
確かに聖川より神宮寺のほうが、自分を被害者に仕立て上げるのは得意分野だった。

「聖川、」
「仕事、頑張ってくれ。すまないな、いきなり電話してしまって」
「いや、気にするな。ああ、ちょっと待て」

切られるのを阻止しながら、さて、どうしたものかと思案する。
あまり時間はない。
けれど、とびきりの、彼を浮上させる言葉を。

「どうした?神宮寺」
「あー、その、夕飯、楽しみにしてるよ」
「ああ。期待してくれ」

電話が切れて、むなしい電子音が耳に届いた。
言葉が浮かばなくて、歯がゆい。

声を聞いた途端、好きだという気持ちが溢れて、今すぐに触れたくなった。
愛しているよ、という甘く心地よい言葉を、簡単には使えなくなってしまった。

神宮寺はくしゃり、と自身の長い髪を撫で付けながら、これはもう今夜、ベッドの中で伝えるしかないだろう、なんてふざけたことを考えた。

END




 

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