∴ ふたり 少女は同じ一日をずっと繰り返す。 ひたすら同じことのループで、時間というものは帰らぬ日々を指す線というものではなく、同じことの再生の様な円だと少女は思っていた。 いつからだったのかは分からない。 始まりも終わりも分からない。 ただ気づいたら、少女は男の怒鳴り声と女のすすり泣く声が日常だった。 怒号をあげている男は少女の父親で、その脇で嗚咽を漏らしている女は母親だった。 静寂な時間などなく、暴力と暴言がいつも飛んできた。 特に母親は、少女を庇いよく殴られていた。 弱いながらも小さい子供を懸命に守る母が本当は一番強かったのかもしれない。 そして、そんな日々がずっと流れていた。 家族三人もそんな日々がずっと流れていくと思っていた。 ある年の八月十日、その日も同じだった。 父親は一応働いていた。なんの仕事かは少女は知らなかったが。 父親は朝早く仕事に行く支度をしている時は、少女と母親が唯一殴られない時間だった。 いつも父親は急いでいたのでそのおかげだろう。 そして、出ていく父親を確認してから母親はパートに出かける準備を始めた。 少女は夏休み中で母親が家を出ると共に公園に行っていた。 いつも通り一人でベンチに座っていた。 何時間もずっとそこで過ごした。 このまま夜が来なければいいのにと何度も願った。 帰ったら温かいご飯を囲む家族、仲良く今日の出来事を話したり、テストの点を褒められたり、そんな普通の家族を願った。 しかし、現実は残酷で時は進み、やがて暗くなる。 少女はもう帰らないと行けない時間だった。 父親よりも遅く帰ったり、鉢合わせたりすると殴られるのでなるべくギリギリまで粘りつつも、玄関で会わないように気を付けていた。 家に帰るとドアの向こう側からいつもよりも大きい怒鳴り声が聞こえ、食器が割れる音がした。 恐らくかなり父親の機嫌が悪かったのだろう。 恐る恐る少女が家に入ると、リビングの方から母親の咽び泣く声が聞こえてきた。 少女は、静かに開いていたドアから中の様子を覗いた。 いつも通りとはいえないほどに状況が悪かった。 テーブルがひっくり返って乗っていたご飯や食器の破片が床に落ちていた。 そして、父親が母親の髪を片手で掴んでいた。 もう片方の手には、包丁の様なものが握られていた。 少女は唾を飲んだ。 父親の目はいつも怒鳴っている時の目ではなかった。それよりももっと鬼みたいな目だった。 少女は気がつくと父親の後ろにあったもう一本の包丁目掛けて走っていた。 父親が存在に気付く前に、少女はそれを掴み思いっきり背中に刺した。 躊躇はなかった。ただ、全身の力を込め、物体へ押し込んだ。 父親は持っていた包丁を落とし、母親も離した。 そしてゆっくり父親は物凄い形相で振り返った。 この時の少女の人生で、これより怖いものは見たことはなかった。 体が動かなかった。脱力というのか、自身が存在しないみたいに力が全く入らない。 意識だけがそこにいるみたいで、ただの置き物みたいな少女の体がそこにはあった。 父親が少女に掴みかかろうとした時だった。 母親は床に落ちた包丁をいつの間にか持って父親に振りかざした。 迷いなく冷徹に何度も何度も下ろした。 そして気がつくと父親だったものは動かなくなっていた。 だけど、二人の時間も止まったかの様に母親も少女も動かなかった。動けなかった。 それから、少女は気がつくと床下の地面に空いた穴に沈んだものに母親と一緒に土を被せていた。 古い一軒家で床板が場所によっては割と簡単に外れてていたので、そこを開けたのだろう。 そして、また気がつくと近所に住んでいた人に「何処かへ行ってよかったね」と声をかけられていた。 そこからの少女の記憶は曖昧で、気づいたら田舎に住む祖父の家で過ごしていた。母親はいなかった。別の県に住んで仕送りを送ってくれていた。 たまに一緒に住んでる祖父に電話がかかってくるが、少女とはあまり話さなかった。 ただ、前の様なことは何もなかった。 ただの悪夢だったのかもしれない。長かったけど、今となっては一瞬の一夜の悪夢。それだけ。 少女は祖父と二人で静かに、だけど和やかに過ごした。 祖父は優しくて面白い人で、でもちょっと体が弱い人だった。それでも、少女に沢山優しく愛情を持って接していた。 少女はやがて中学生になり、田舎の中学校に通い友人を作り、勉学に励み優秀な成績を収めた。 そして、ただ単に平和な日々を過ごしていた。 ずっとこの日々だけを過ごしてきたみたいに。 そんなある日、祖父が認知症になった。 しかし、まだ程度は軽く日常生活には支障をきたさないほどだった。 それでも少しずつ時間をかけてゆっくりと、病気は祖父と少女の平和な日々から光を抜き取っていった。 祖父は、少しずつできないことが増えていった。 それでも、少女は自分のできることを増やしていって補っていた。 そんな中でも平和で優しい日々だった。 そして、十二月二十二日の少女の十七歳の誕生日。 かなり冷え込む冬だった。 少女は、冷える足を奮い立たせいつもの帰り道を走っていた。 中学校の時も使っていた田んぼ道で、この一本道が家まで続いている。 こじんまりとした古い家に着くと、靴を脱ぎ居間へ寒さで固まりそうな足を進めた。 中に入ると、祖父がお茶を入れているところだった。 「おや、真重おかえり。」 「おじいちゃん、ただいま。」 少女はカバンを床に置くと、向かいのキッチンへ向かった。 「真重、今日は誕生日やろ。」 祖父のこの一言に固まる少女。 「覚えてたの...?」 「忘れるわけないだろう。ケーキを買ってきたから一緒に食べようや。」 「うん...!」 祖父はゆっくりと立ち上がると冷蔵庫を開け、白い箱を取り出した。 二人はこたつまで戻ると、白い箱を開けた。 中には小さいチョコレートケーキが二つ入っており、一つには『お誕生日おめでとう』とかかれたチョコレートのプレートがささっていた。 「おじいちゃん、ありがとう」 少し潤んだ目で少女はそう言うと、ケーキを取り出した。 その様子を満足げに祖父は見ていた。 少女はチョコレートケーキが大好物で、誕生日の日に買ってくる祖父のケーキが一番好きだった。 これが人生での一番幸せな思い出だった。 チョコレートケーキを口に含むと、甘いがくどくないチョコレートの味とラズベリーの酸味が広がった。お互いがお互いを引き立たせて、口の中に甘い幸せな匂いが広がる。 スポンジもふわふわでチョコレートの生クリームも甘さ控えめて、チョコレートのビターなカカオの部分もよく味わえる。 気づけば最後に残していた、メッセージ入りのプレートだけだった。 それを口に入れると、少女は夕飯を作り始めた。 本当は夕飯の後に食べたかったが、お腹が空いてる一番最初にケーキを食べることでより美味しく味わえる気がして誕生日になるとよくこうしていた。 冷蔵庫から野菜を取り出すと、素早く刻み沸騰したお湯を張った鍋に入れた。 その時だった。チャイムが小さい家に響いた。 どうやらお客さんの様だ。 「向こうの酒井さんが野菜持ってきたのかな」 一度火を止め、祖父を避け玄関へ向かった。 「はーい、今開けますね」 スリッパを急いで脱ぐと玄関の鍵を開け、戸を開いた。 目の前に現れたのは酒井さんではなかった。 全く知らない人だった。 黒い長いコートを着て佇んでいた。 身長は少女よりも高く、一瞬男性かと思ったが違った。 顔の綺麗さ、妖艶さが女性だということを感じさせた。 そして、真紅の口紅が雪みたいに白い肌の上に咲いていた。 少女は初めてこんな美人を見た、と数秒固まっていた。 数秒後、少女は我に返り最初に聞くはずだった言葉を出した。 「どちら様ですか?」 その言葉に表情一つ変えることなく、女は高すぎず低すぎずな声で言った。 「お会いしたかったです。」 少女はその言葉は覚えていた。 だがそれ以降の記憶は全くなかった。 それ以前の記憶も若干朧げだ。 気が付いたら自分の何倍もの大きさのふかふかなベッドに一人で寝ていた。 とても寝心地がいい布団で、こんなものが存在するのかと一瞬思った。 唯一知っているものは自分が着ている制服だけだった。 それ以外のものは何も分からなかった。 一人には広すぎる大きな部屋に外の夜景が見えるベランダ、そして全く見たこともない白い壁の部屋。 一体ここはどこなのだろうか、心配や不安が頭を巡り続けた。 そんな少女をよそに、目の前のドアが開く音がした。 ドアから見覚えのある女が見覚えのないプレゼントの山を持って現れた。 訳がわからず少女は固まった。 一瞬自分は入院中なのかと思ったが、病院の雰囲気でもないし、体も怪我をしているわけでもないので尚更訳がわからなくなった。 どぎまぎしている少女の代わりに、女はプレゼントをベッドの前のテーブルに置き、口を開いた。 「起きたんですね、良かったです。」 その言葉に、少女は「はあ。」としか返せなかった。 少女の考えが分かったのか、女はハッとするとベッドの脇にやって来てしゃがんだ。 そして、少女の手を取りこう言った。 「はじめまして。私は雲類鷲千華と言います。」 少女は雲類鷲という文字に聞き覚えがあるような気がした。 だが、それよりも今起きている事態があまり掴めず、小さくお辞儀をした。 そんな少女に、女は言葉を続けた。 「貴方が誰なのか、何をしたのか、私は全てを知っています。」 言葉の意味が一瞬わからず、顔が強張った。 だが、やはり女は続けた。 「あなたのお父さんやお母さんが何をしたか、あなたが何をしたか、真実を知っています。」 その言葉を聞いた瞬間、少女はコンクリートで殴られたかの様な感覚に陥った。 「(今この人なんて言った...お父さん?お母さん?全てを知ってる...?)」 そして今まで忘れていた、少女が閉まっていた悪夢が過去だったということを思い出す。 父親がしたこと、自分がしたこと、母親がしたこと、全て現実的な感覚を思い出した。 暑くもないのに、冷や汗が止まらなくなった。 動悸が激しくなるのも分かった。 体がこれ以上のことを拒んでいるのも分かった。 「な、何を言ってるんですか...」 青ざめた顔で過呼吸になりそうになりながらも堪えて、声を捻り出した。 しかし、そんな少女に容赦なく女は言う。 「証拠も握っています。私は全てを知っているんです。」 証拠という言葉にさらに動機が激しくなる。 そして、少女は気付いた。 この女は警察なのだと。 自分がしたこと、母親がしたことが知れてしまったのだと。 昨日までの平和な日々が一瞬で打ち壊された。 あまりの絶望さに、開いた口が塞がらない。 そして、母親のこと父親のこと祖父のこと、それに自分がしたことが頭を巡り吐きそうになった。 全てがいっぱいいっぱいになった。 「私は貴方のお母さんを守っています。」 あまりにも予想外の変化球な言葉に再び、戸惑った。警察の人ではないのかと。 尚更、状況がつかめなくなってきた。 そんな時、女は見たこともない朗らかな温かい眼差しで言った。 「真木真重さん、私は八年前から貴方に惚れています。私の運命の相手なんです。好きです。」 一瞬では何が起こっているのか、この女が何を言っているのか理解するには時間があまりにも足りなかった。 「え...、はい...?」 予想外ホームランを打たれ、真重は只々唖然としていた。 そしてそんな真重を気にすることもなく、 「付き合ってください。」 少し照れながらも真剣な眼差しで女は言った。 真重は状況についていけず、ただ銅像の様に固まるしかなかった。 数秒数分数時間、時間の流れが分からなくなるほど彼女は現実世界の数十秒の間現状を思考していた。 だが、それも虚しく一向に理解できることはなかった。 そして、そんな混乱の中彼女が口を開くよりも早くお腹の虫が鳴った。 「あ、夕飯にしますか。」 女はそれだけ言うと、立ち上がり部屋から出て行った。 女が部屋から出て行っても、真重は全く変わらぬ体勢と表情のまままだ固まっていた。 「え、え...今の何、てかここどこ、あの人誰、好きです?付き合うってどこに?え、は...え...え?」 「そもそも待ってどういうこと。あの人は警察...じゃない?私とお母さんがしたことを知ってる...?でも守ってる...?共犯者?いや、あんな人知らないし、え、誰。」 「証拠を掴んでるとか真実を知ってるって言ってたけど、どういうこと...」 真重は独り言を言っている中、はっと気付いてしまった。 「脅し...?」 バラされたくなければ言うことを聞け、といういつもの文句ということなのだろうか、と真重は思い、居ても立っても居られなくなった。 「どこか出られるところは」 ベッドから飛び出すと、先ほどから夜景が見えているベランダに行った。 ベランダの戸を開けて下を覗き込むと、かなりの高さだった。明らかにここから落ちたら即死。 逆に上を見ると、空しか見えなかったのでここが最上階だということが分かった。 どうやらここは一番奥の部屋らしく、左を見ると少し離れた場所にもう一つベランダがあった。 「すみません」 真重がそのベランダの方に大声で叫ぼうと、風の音しかしなかった。 諦めて、部屋に戻りベランダの戸を閉じた。 部屋は大きなキングサイズのベッドとテーブル、奥には先ほど女が出て行ったドアとは別のドアがあった。 真重はそのドアまで行くと勢いよく開けた。 他の部屋への道を期待したが、そこはウォークインクローゼットだった。 中は空でただ白い壁で包まれていた。 少し落胆しつつも、ドアを閉めた。 「遅くなってすみません、ご飯ができましたよ」 いつの間に部屋に入ったのか、すぐ後ろから女の声が聞こえた。 「あ、すみません」 部屋を勝手に詮索していたので、真重はなんとなく謝ってしまった。 「(脅してくる人に、何謝ってるんだ...)」 そう思いつつも、女に手を引かれ部屋を後にした。 部屋から出ると、先程の部屋何個分なのかという広さのリビングに出た。 「ひ、広い...」 リビングに付いているドアは真重が出てきたドアも合わせて三つ、この内の二つのどちらかが玄関に繋がっているドアだ。 リビングはキッチンとダイニングが一緒になった部屋でこの部屋はベランダがないがその代わりキッチンの向かいが一面ガラスだった。 誰がこんなところ住むのかというほどの広さで、こんなに広い家を見たことがない真重は唖然としていた。 「ご飯食べましょう」 女はいつの間にか無駄に面積の広いテーブルに料理を並べていた。 真重を椅子に座らせると、女も真向かいの椅子に座った。 「いただきます」 女はそういうと、箸を取りおかずを口に入れはじめた。 脅してきている犯人とは思えないほどの和やかな雰囲気の女で、真重はますます訳がわからなくなった。 「あ、あの、私は何故ここにいるんでしょうか...」 ようやく真重はずっと疑問だった事を口に出した。 「え、一緒にいたいからですかね?」 女はきょとんとしながらもおかずを頬張っていた。 「いや、あのそういう事ではなく、私は脅されているんですかね...私お金とかないです...」 おどおどしながら真重は言った。 「いえいえ、脅迫とかではないです。お金も取ろうとしていませんよ。」 「じゃあ、警察...」 「警察でもないですよ」 あれこれ聞いているのに、真重はさらに状況把握が困難になってきた。 「あ、私自己紹介もちゃんとしてなかったですよね。すみません」 こほんと咳払いをすると、食べる手を止め少し笑顔で女が言った。 「私は、雲類鷲千華で、仕事はいろんな事をしています、例えば為替関係や他の会社の役員など。あ、歳は二十五で、誕生日は三月十日。身長は百七十五です、ここまで伸びなくて良かったんですけどね。あと好きなことは、読書や体を動かす事、好きな食べ物は漬物です。古くさくてごめんなさい。」 えへへと女は笑っていた。 「あと、好きな人は真木真重さんです。」 またしても急な告白に、少し驚く真重。 「いや、あの好きってどういうことですか...それに私は貴方に会ったことないですし、誰なのか存じ上げないのですが...」 困った顔で真重が女を見た。 「あ、そうですもんね。私はずっと前から知っていたので、なんだか初めて会った気はしなかったのですが、ごめんなさい。」 「先ほども言ったように、私は貴方のお父さんが失踪ではなく亡くなっている事を知っています。」 その言葉を聞くたびに真重は背筋が凍るような感覚がした。 「いや、あの失踪です...」 彼女は小さく呟いた。 「もう私は証拠を握っているので、お母さんを庇わなくて大丈夫です。」 そんな小さい訴えをかき消すように女は言った。 「じゃ、じゃあ、それが仮に本当だとして、私をどうしたいんですか...」 冷や汗をかきながら青ざめた表情の真重。 この女に従わなければ、警察に突き出されると分かった。 「え、一緒に居たいんです。だから、拉致してきました。その件に関しては本当にごめんなさい。でも私どうしても貴方を一目見た時運命だと思って、だってこんなに胸が高鳴ること今までなくて。それでこれが私の生きている意味だって分かったんです。だからどうしても、貴方に会わなきゃと思って。」 早口で熱く語る女とは真逆に冷めた声が響いた。 「じゃあ貴方といれば私と母がしたことは口外しないということですか...?」 真重は渋々聞いた。 「え、誰にも言いませんよ。」 熱く語っていたが、女はそう言われてきょとんとする。 「わかりました...貴方と一緒に居ます...」 警察が介入することだけは避けたいので、真重が助けを呼んだとしても、また面倒なことになるだけだと分かりとりあえず様子を伺うことにした。 しかし、そんな疑心暗鬼な彼女をよそに女は舞い上がっていた。 「ほ、ほほほほんとですか!?え、あ、ありがとうございますすす!!!」 嬉しいのか悲しいのか分からないくらい、今にも号泣しそうな勢いで女は言った。 「さ、さあ、とりあえずご飯を食べてください。ご飯も私が丹精込めて作ったんです!あ、でももしお口に合わなければ、私が何でも買ってきますので」 「いえ、大丈夫です」 反射的に真重はそう言ってしまったが、何か買ってきて貰えばよかったと後悔した。 その間に、この家のことも調べられるし、確実に失敗したと反省した。 「いただきます」 手を合わせそう言うと箸を取り、恐る恐るおかずへと箸を伸ばす。おかずはデパ地下並みのバラエティ豊かで、美味しそうだった。 真重はなすと鶏肉の和物を口に入れた。 口に入った瞬間、鶏肉のジューシーさと油を吸った柔らかいナスの味が広がった。そして、甘いポン酢の味がそれに続いた。 正直感動してしまう程の美味しさで、ここがこの女の家でなければ喜んで食べていたことだろう。 警戒しながらも美味しそうに食べる真重を見て女は安心した方に、彼女も食べ始めた。 よくよく考えれば今が何時で何日なのか分からないが、最後に家にいた時真重は晩ご飯を食べ損ねていたのでかなりお腹が減っていた。 より、出されたご飯が美味しく感じた。 色んなおかずや飯を食べている間にお腹がいっぱいになり、皿からも料理が消えたので、箸を置いた。 「ごちそうさまでした」 真重が小さくそう呟くと、女は満足気に「お粗末様でした」と返した。 全てのことに不安しかないが、この女の言う通りに聞いていれば害はなさそうなので、暫く聞いていることにした。 「あの、私は貴方のこと何と呼べば...」 真重は顔色を伺いながらそう聞いた。 「雲類鷲でも千華でも何でも好きな呼び方で、お呼びください。」 相変わらず真重とは対照的に目を輝かせた。 「じゃあ、雲類鷲さんで...」 そう言ったときに、雲類鷲は「はああああ」と椅子から転げ落ちた。 あまりの出来事に、驚いて「大丈夫ですか」と声をかける真重。 どうやら病気などの発作ではないらしい。 「ごめんなさい、あの、私の名前呼んでくださったので、ちょっと感動しちゃって。」 その時真重は遅いながらに気付いた。 この女やべえと。 「(この人私のこと好きとか言ってたけど性的にってこと...?私女なんだけど...)」 だがやはり、何か危害を加えるような人ではないと分かり、少し安心した。 「(まあ、私を連れ去ってる時点で危害加えまくりだけど...)」 ごろごろと転がっている雲類鷲に声をかける。 「あ、あの...」 「な、なんでしょう」 はっと自分がしていたことに気がつき、恥ずかしそうに立ち上がり衣服の乱れを直す雲類鷲。 「祖父はどうなっているのでしょうか」 自分がどういう状態で連れ去られていたのか全く分からないので、祖父がどうなっているのかも分からなかった。 母親と父親のことで頭がいっぱいで、祖父のことを考えていなかったが、どうなっているのだろうか。 「それは大丈夫ですよ。貴方のおじいさんは、かなり評判の良い、病院と併合されている介護施設にいます。あの方は軽い認知症だったし、これからどうなっていくかは分からないので、これが一番だと思って。」 拉致犯とはいえ、雲類鷲も彼女なりにちゃんと考えていたようで少し安心する真重。 「よ、よかった。でもお金なんてどこから...」 二人で暮らすのがやっとだった家にそんな介護施設に出すお金なんてあるはずもなく、真重疑問に思った。 「それは心配しないでください、私持ちです。」 「え...」 よく考えればそういうことになるのだが、簡単にそう言ってしまうから真重は驚いた。 「あ、私が勝手にしたことなので、気にしないでください。」 拉致犯に怒ればいいのか感謝すればいいのかよく分からなくなったので、とりあえず「ありがとうございます」とお礼をした。 しかし、祖父が安全なところにいると真重は聞けてほっとした。 そんな彼女を見ながら微笑む。 「それじゃあ、今日からよろしくお願いします。真木さん。」 こうしてよく分からない、一体いつまで続くのか謎の二人の共同生活が始まった。 |