「どうぞ?」

 と無性に腹の立つ笑顔で渡されたそれを、爽やかな笑顔で引ったくる。ほぼ同時に反対の手で拳を握り、半ば反射で顔面パンチを繰り出した。

「げふー!!」

「うわあああ雅彦――!?」

 鼻から血を流した犬が、地面を背中で滑走する。服に守られた箇所はともかく、剥き出しの顔や腕にはすり傷が出来ていた。
 危害を加えた張本人である咲羽を、まさに鬼の形相で、雅彦は思いきり睨みつける。対する咲羽は、それにただ、無言と無表情を返した。
 時間にして約数秒。

「おい、大丈夫かよ……」

「ゆ、祐喜殿……うぐへぇえええっ!」

「ぎゃあああ雅彦――!!」

 トドメとばかりに身体を思い切り蹴り上げた。ざまあみろ。












 見事に直撃したパンチはなかなかの威力だったようで、さすが体育科だよなあと思わず感心する。本気でやられれば、鼻くらい簡単に曲がっていたのでは、なんて思った。

「で、結局は何渡したわけ?」

 ベシッ。

 擦れた鼻の頭に大きな絆創膏を叩きつけながら、一応とばかりに聞いてみる。当然、祐喜の鼻ではない。先ほど派手に吹っ飛んですり傷を負った、雅彦のだ。
 かなり乱暴に扱ったおかげか軽い悲鳴を上げた雅彦を、祐喜は黙殺し腕を掴んで立ち上がらせる。パレードはもう終えていることだし、今日はこのまま帰寮のつもりだ。
 雪代、今日は途中まで一緒に行くと言う雅彦、祐喜の順に並んで歩きながら、祐喜は二枚目の封を切った。

「まあ、だいたい予想はつくけどさ。けど頼まれたって感じじゃなかったみたいだし」

「……」

「渡し方はいかにもそれっぽくでしたけどね……。あの咲羽があちら関係で雅彦に頼みごとをするなんて、想像できないんですの」

「同じく」

「……」

 言って、隣に並ぶ雅彦の頬に、二枚目を貼りつける。鼻のそれよりはよっぽど丁寧に扱ったつもりなのだけれど、話しながら歩きながらしたせいか、思ったより粗暴になっていたらしい。声は上げなかったものの表情が歪んでいた。
 けれどそこはまあ、自業自得と我慢してもらうことにする。悪いのは咲羽の地雷を判っていて踏んだ雅彦だ。
 むしろこの程度で良かったと思うべきかもしれない。どこか冷たい反応を返す祐喜に、雅彦はシュンと(まさに犬のようだ)なりながらもようやく口を開いた。

「……写真、」

 痛む頬を押さえ(咲羽、アンド祐喜)涙目で呟く雅彦に、ああやっぱりかと納得する。
 咲羽が雅彦から引ったくったものは、ポラロイドカメラで撮られたそれによく似ていたから。

「この前の期末テストの時に撮ったものです。……奴の」

「ああ、そういえば理数科は芸能科とでしたわね」

 最後をボカした雅彦のセリフを雪代が続ける。途端に雅彦の表情がクワッと剥いた。
 ……いちいち赤鬼≠ノ反応し過ぎではないのだろうか。

(雅彦って……紅のこととなるといつもこうだよな)

 毎回思うのだけれど、犬飼雅彦という男は喋らなければカッコイイ≠フ典型だ。全身、それこそ顔の全パーツや手足までを使って怒りを表す雅彦に、祐喜は思わずといった体で顔を逸らした。
 その拍子に、ちょうどこちらを向いた雪代と目が合う。考えることは二人して同じらしい。
 二人で顔を見合わせ笑うと、今まで静かだった雅彦が突然、大声を張り上げた。
 バックに鬼のようなものが見える。ああこれでこそいつもの雅彦。

「ああーっ、まったく! こんなことなら変な気を使わなければよかった……!」

「……あー、どうだろうな。咲羽も嬉しくないってわけじゃないだろうし」

「どちらかというと雅彦の態度の方が気に障ったようですしね……」

 言いつつ、雅彦の頬に三枚目を貼りつける。二枚目より少し上の位置。今度はかなり、優しめに。

「なっ! それは僕が悪いと!?」

 しかし返ってきた返事に顔をしかめて、貼ったばかりのそれを思い切り引っ剥がした。

「あだっ」

「俺は、最初からそういうニュアンスで言ってるけど」

 あ、三回目。雅彦の顔が盛大に引きつる。今度はしっかり声を上げていたのだけれど、それには気づかなかったことにした。
 粘着力の弱くなった絆創膏を叩きつけるように貼り直しながら肯定を示すと、そのあとに、「私も」と雪代が続く。
 犬が地に沈んだ。
 ような、幻覚が見えた。












 場所は変わって数日後の寮、祐喜の部屋。

「ってことがあった」

 と半ばヤケになって、コップに並々と注がれたジュースを一気に飲み干す。何気に三杯目のそれに腹が限界を訴えてきたが、無視して無理やり押し込んだ。半ばどころか完全にヤケだなんてとっくに判っている。

(……ああ、もう、)

 イライラしてきた。

 ペットボトルをひっつかんで四杯目を注ぐ。無理だと判っていてもそうしてしまうのは人間だからとしか言いようがない。
 この苛立ちが理不尽なものであるのだとも、判ってはいるのだけれど。
 はあ、とため息を吐きながら、向かいの一寸に目を向ける。こんな話に突き合わせてしまって悪かったな、と見れば彼の口元は引きつっていてなんだか微妙な表情だった。
 しかも返ってきたのは、「うっわ」、なんて呆れがにじみ出たものだ。

「何ていうか……雅彦ってあれだな。超鈍感」

「! そう、その通りだと思う」

「というより、そっち関係に弱いのか? 祐喜の気持ちに気づかないのはまあ、仕方ないとしても、」

 気づかせる気もないけどね、というのは、話の腰を折りそうだったので言わなかった。

「……自分自身のにも気づかないって。恐ろしく鈍感」

 俺は姫の気持ちも自分の気持ちも判ってるけどな!

 そう続けた一寸の言葉はさりげなくスルーして、祐喜は判ってもらえた嬉しさに思わず、ジュースを片手に持つ一寸の肩をガシッとつかんだ。

「うわっ、危っ」

「そう、それ! まさにそうなんだよな……構ってほしい、ってオーラもう全身から出てるというかなんというか」

「あー、確かに。……ってかさ、」





 犬猿の仲って。

(ある意味ホンモノの犬は、ホンモノの猿にぞっこんなのにな)



「あーもう。なんかじれったいんだって雅彦の奴! ……さっさと気づけばいいのに」

 と言ってからなんだか虚しくなって四杯目を呷ると、それを見た一寸が「好きな奴の恋をそんな風になりながらも応援する桃、らしくて好きだよ」だなんて言ってきた。
 おかげで今度は恥ずかしくなってしまって、誤魔化すように五杯目を注いだ。



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