――夜中に、目が覚めた。目を開けてすぐに飛び込んできた、いつもより低い天井に驚いて瞬きを繰り返す。
午前の、一時ごろのことだ。
(ああ、そっか)
今日から寮だったんだっけ、と寝起きの脳が思い出す。柔らかい枕に頭を沈めれば、慣れ親しんだ家のそれとは違う臭いがした。
こんな時間に起きてしまうなんて、柄にもなく緊張していたらしい。あいにく枕や布団が変わったくらいで寝れなくなるような繊細な神経は持ち合わせていないので、この緊張は別のところから来ているのだろう。
原因なんて、もうとっくに判っているのだけれど。
「珂瑞……」
うわ言のように、幼なじみの名前を呼ぶ。それに応える声は、当然、ありはしない。
会えば、何とかなるのではと思っていた。けれどやはりそう簡単にはいくはずもなく。結局、子鶴は未だ、まともに彼と話せてはいない。
どちらにせよ、昼間はお互いそれどころではなかったのだけれど。――子鶴は久しぶりに見た珂瑞の姿にしばらく動けなかったし、珂瑞は珂瑞で子鶴たちを寮に送り届けたあと、慌ただしく人を探しに行ってしまった。
新入生のうちの一人がその場にいなかったからだ。
「一人いない?」
「はい。……式が終わったらいつの間にかいなくて」
そう言ったのは、眼鏡を掛けた真面目そうな子だった。式で子鶴の隣に座っていた男だ。
その言葉で我に返り、そういえば、と子鶴も思い出す。あの時、彼を含め確かに横並びで三人いたのだけれど、彼を挟んで子鶴の逆隣りにいたはずの顔がどこにもない。
「名前は判る?」
「知らない奴だし、それはちょっと……」
「そっか。ごめん、じゃあ今から名簿とペンを回すから、自分の名簿の横にチェック入れてってもらえるかな」
言って、珂瑞は制服のポケットからくしゃくしゃの紙とペンを取り出す。新入生名簿らしいそれを近くにいた女子に渡すと、眼鏡の子へと向き直った。
その間、子鶴と目が合うことは当然ない。
「それで、伏見。その子、顔とかどんな子だったかな。雰囲気とか」
「下向いてたので、よく見えなかったですね――」
何だろう。
(当たり前かもしれないけど)
伝わる疎外感に、身体が動かない。
「――わかった、ありがとう。じゃあ、とりあえず先に寮に行こう。名簿、全員に回ったかな」
珂瑞がそう声を上げると、瞬間、隣に座っていた女の子が大きく身体を震わせた。何事かとそちらに目をやれば、いつの間に回ってきたのか彼女は手に持った名簿を握りしめている。
「あの、これ……」
小さな声で、遠慮がちに差し出されたそれを受け取る。丸の数をざっと確認した限り、どうやら子鶴で最後らしかった。
自分の名前の横に丸をつけ、顔を上げる。――珂瑞と目があったのは、その一瞬だけだ。
「……私で最後です」
「うん、ありがとう」
じゃあ、遅れないように着いてきて。その子のことはとりあえず、寮長に任せるから。
言って、珂瑞が方向を変え歩き出す。駆け寄って隣に並んだのは、珂瑞を先輩と呼んだあの男の子だ。親しげに会話しながら歩く彼らの後ろに、少し間を開けて他の新入生が続いた。子鶴は、最後だ。
ほんの一時とはいえ彼に一番近かったはずの子鶴なのに。たかが数十秒の差で、今はこんなにも遠い。
――せっかく会えたのに。
先ほどまでの焦りはどうしたのだろう。すぐそこにいる、走り寄れば手の届く距離にいる珂瑞に、話しかけることができない。
久しぶり。背、伸びたね。元気だった?
それから、あの時のことなんだけど――。
「……、」
意気地無し。
結局、隣に駆け寄って声をかける勇気も出ないまま。
その日はぼんやりと一日を終えたのだ。
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