腹を括って下に降りると、それに気づき、いの一番に駆け寄ってきたのは藤井だった。
「あっ、先輩!」
勢いよく抱きついてきた藤井を、両手で受け止める。連絡は取っていたものの最後に会ったのはもう二ヶ月も前のことだ。久しぶりに見る姿はけれど以前と何ら変わりはなく、嬉しそうな笑顔には自然と懐かしさを覚えた。
「藤井」
人の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめてくる後輩に、珂瑞も自然と笑顔になる。一人っ子の珂瑞にとって、藤井は弟のようなものだった。
――ああ、彼がいて良かった。
少しの罪悪感に駆られながら、藤井の髪をわしゃわしゃとかき混ぜて、心を落ち着ける。気持ちはどうであれ身体は正直だ。後輩の姿にホッとしている自分を自覚し、どうにも呆れたくなった。
「へへへ、先輩だー」
人前にも関わらずやたらと甘えてくる彼はしかし、そんな珂瑞に気づいていない。それを良いことに、視線はそのままに意識を別のところへ向ける。
降りてきたとき、視界の端にばっちりと捕らえた彼女へ。
(……子鶴はまだ気づいてなかったけど)
さすがにもう、気づかれているだろう。現にそちらから何とも言いがたい視線を感じ、反射で逃げ出しそうになった。――幸い、藤井のおかげで醜態を晒さずには済んだのだけれど。
しかしだからと好きにさせていたら、いつの間にか腰に抱きついていた彼をいい加減にしろと引き剥がす。
「はいはい。……藤井は変わってないな。――ごめんね、遅くなって。寮まで案内します、二年の岩倉珂瑞です」
気を取り直し、新入生たちを見回すと、目が合った数人が慌ててお辞儀をする。そんなに畏まらなくていいよと笑えば、彼らは一様にホッとした顔で肩の力を抜いた。やはり緊張していたらしい。
無理もない、何しろ周囲からの不躾な視線が遠慮を知らないのだ。こういう事態を想定し、集合場所を建物内にしようという話もあった。けれど外部からの新入生もいる以上、判りやすい場所でと――そう提案したのは、珂瑞だ。
(……まずった)
いくら動揺していたからとはいえ、さっさと来るべきだった。心中で改めて謝罪しながら、くしゃくしゃの名簿を取り出した。
「じゃあ――」
「……あの、」
人数の確認をしようとしたところで、言葉を遮られる。眼鏡を掛けた、真面目そうな子だった。
「遮ってすみません。――入学式の並びって寮ごとなんですか?」
「? うちはそうだよ。他の寮は違うけどね」
「そうですか」
「……どうかした?」
いや、と少し口ごもったあと、彼が話してくれた内容は、式で隣に座っていた一年がこの場にいないということだった。
「一人いない?」
「はい。……式が終わったらいつの間にかいなくて」
「そうか……まずったな、もっと早く来るべきだったか」
今さら仕方ないとはいえ、さらに後悔が押し寄せた。次いで言うなら、長岡を返すべきでなかったかもしれない。
「名前は判る?」
「知らない奴だし、それはちょっと……」
表情を変えずに、目の前の彼が軽く首を振る。まあそうだろう。
「そっか。ごめん、じゃあ今から名簿とペンを回すから、自分の名簿の横にチェック入れてってもらえるかな。他にもそういう子がいないか確認するから――えっと、まず君は?」
「あ、伏見です。伏見学人」
「ふしみがくとくん、な……」
復唱しつつ、彼の名前を下から探す。――伏見学人。
……頭の良さそうな名前だ。
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