これは、何だ。
訳が判らず、子鶴はただ混乱していた。原因はつい十分ほど前のことで――入学式が終わり、いざ寮に向かおうとしていた矢先のことだ。
「あっ、……京極!」
「? はい」
前を行く人の流れに乗って進めていた、その足を止める。振り向けば、先ほど式で担任だと紹介されたばかりの男がそこにいた。
「悪いな、呼び止めて。渡そう渡そうと思ってすっかり忘れてた」
「は?」
「ほらよ」
人の良さそうな笑顔で渡されたのは、薄いパンフレットのような冊子だ。表紙に目を落とせば、『寮生活のしおり』と印刷されていた。
「あの、これは?」
思わず、首を傾げる。用意してあったのはその一部だけのようで、受け取ったのもこの場で見る限り子鶴一人だ。
けれど、しおりなら入学式の案内状と一緒に送られてきたため既に同じものを持っているし、それについて彼に何か相談した覚えもない。そもそも彼とはこれがほぼ初対面である。
「あの。私、もう同じの持ってますけど…」
「ああ、悪い。それな、桜寮と楓寮用のパンフレットなんだ」
「……は?」
訳の判らないまま、間抜けな声を上げて瞬きを繰り返す。「京極が持ってるの、薄紫のやつだろ?」――問われて、一つ頷いた。確かにその通りではあるのだけれど、だがそれがどうした。何が違うのだろう。
「連絡もらったのが資料を送り終えた後だったみたいでな。いっても内容は殆ど変わらないから、直接渡すかってことになったんだ。すまん」
「は、はあ。わざわざすみません」
「いや。とにかく入学おめでとう。学校も寮生活も楽しめよ」
こちらの様子には気づく気配もなく、彼はそう言って笑う。子鶴は小さな声でお礼を言うのが精一杯で、「じゃあ、俺は行くから」と、去っていく担任を半ば呆然と見送るしかできなかった。
「……」
手元に残ったのは、混乱といくつもの疑問。あとは表紙の右下に『第三寮』と印刷された、薄オレンジのしおりだけだった。
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