そして時間は、現在へと戻る。
(注目の的じゃない。何だって、いうの)
苛立ちを隠そうともせず、子鶴は眉間にシワを寄せた。こちらを見る無数の視線には、明らかな侮蔑が含まれている。注目されるのには慣れているけれど、残念ながらどう考えても好意的でないそれを無視できない程度に子鶴は子供だ。
「……」
落ち着け。私一人に向けられたものじゃない。その場に集まった十数人、全員に向けられたものだ。おそらく子鶴と同じように、第三寮に入るであろう生徒全員に向けられたものだ。
呪文のように、口には出さず繰り返す。実際そうであるのだろうし、気にしたところで理由が判らないのだからどうしようもない。そもそも子鶴は高等部からの新規生だ。
今は、迎えがくるまでの我慢だ。耐えるのよ子鶴。
手にしたままのプリントを握りつぶしながら、自分にそう言い聞かせる。プリントは先ほど担任から受け取った、しおりの表紙を開いてすぐのページに挟まっていたものだ。
書かれていたのは、この後あるはずの入寮式について。そして寮まで案内されるにあたっての新入生の集合場所と、その時間――ちなみに、当に過ぎている。
第三寮が訳ありだと理解するには、そのプリントとこの状況だけでもう十分だった。
子鶴が薄紫のそれを貰ったときには、こんなものどこにも挟まれていなかったはずだ。現に桜寮と楓寮――ようは前者が女子寮、後者が男子寮なのだけれど、そちらに向かう生徒らは各自バラバラに寮へと向かっている。
いくら広い敷地内とはいえ、簡単な地図でもあれば迷うほどの距離ではないのだから、当然といえば当然の光景だ。その地図も入学の案内状に同封されていたので、全員が持っている。
(……遅い)
気まずい雰囲気に耐え兼ねて、時計に目をやる。新しい環境に少なからず緊張しているというのに、こうも疑問ばかり浮かんでしまっては緊張が増す一方だ。
もう、どうにかしてよ。
時間を過ぎてもなかなかやってこない案内役の生徒に、苛立ちを募らせる。プリントに名前は載っていなかったので男か女かすら判らないけれど、少なくとも先輩ではあるだろうその人に平手打ちをお見舞いしたいくらいにはこの状況は耐えがたかった。
近くに友人がいれば、また別だっただろう。けれど今は誰もいない、一人だ。――その事実にふと三年前を思い出して、子鶴の表情が曇る。
ある種のトラウマだ。子鶴がそう思うのは間違っていると頭では判っているのに、未だに考えるとぞっとする。
はなから友人がいなかったわけではない。いたはずなのに、その友人にすら厭われ、あの時の彼は一人だった。誰よりキツい思いをしたのは彼だった。
それはおそらく、いや確実に、今の子鶴などよりよっぽど恐ろしいものだったはずだ。
(……そうだ…)
途端、焦りが生まれる。会わなきゃ。早く会わなきゃ。もう三年もたってしまった。
ちゃんと言わなきゃ――。
突然、落ち着きをなくした子鶴に、隣にいた少女が驚き肩を上げる。けれど子鶴に少女を気にする余裕はなく、何度も時計を確認し、辺りを見回しながら顔も判らない案内の生徒を探す。
だって判らないのだ。この学校にいるというだけで、子鶴は他に何も知らない。探さなきゃ。
――彼が現れたのは、その直後だった。
「あっ」
少し離れたところで、一人携帯をいじっていた男の子だ。彼が声を上げた途端、子鶴を含む、そこにいたほぼ全員が顔を上げた。
同時に、その場の空気が和らいだのが判る。
ああ、やはり居心地の悪さを感じていたのは子鶴だけでなかったらしい。嬉しそうに誰かに駆け寄る男の子を目で追って――瞬間、息が止まるかと思った。
「先輩!」
男の子が笑顔で駆け寄る。そこにいたのは、会いたくて、ずっと会いたくて会いたくて堪らなかった相手。
三年だ。背も随分と伸びた。最後に会ったときはまだ幼さの残っていた顔も、すっかり抜けきっている。でも、面影はしっかり残っている。
「珂瑞、」
そう呟いた声は掠れていて、おそらく目の前の彼には届いていないのだろう。
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