雨だれのハーモニーを歌いましょう 3/3




「…それじゃ、僕が嫌だな」 
「へ?」

 ──不意に、傘を持っていた右腕をぐいと引かれる。


「これなら、少しはマシだろ?」
 気づいた時には、傘の柄は刻阪の左腕に奪われていて、
 さて自分の右腕はというと──刻阪の左腕と、体の間にきちんと挟み込まれている。
 それは所謂、『腕を組んでいる』という状態で。
「…!?…っっ…!?」
 肩と腕にぎゅっとくっついた体温に、神峰は言葉も出ない。雨で冷え切った空気とはまるで異質な温もりが、神峰の体も心も捕らえて離さない。
 いったい、何が起きているのだろう。刻阪は自分に何をしているんだろう。

「……ち、ちかく、ね…?」
 やっとのことで、神峰はそれだけ言った。雨音にさらわれそうなほどか細い声は、けれどきちんと刻阪には届いていて。
「お前が濡れて風邪引く方が嫌だよ」
 当然とばかりに返事をする刻阪の方を見ることすら躊躇われる。いったいどんな心で刻阪はこんな事をしているのか。
「神峰が嫌なら、やめるけど…さ」
「……」
 初めて気遣わしそうに下げられた声のトーンに、しかし神峰は是とは言えなかった。

(だって…あったけェ、から)

 雨に打たれて冷えた左肩を補って余りあるほど、刻阪の体温は心地よくて。
 刻阪がいいと言うのなら──手放せるはずもなく。
 嫌じゃねェ、雨音に乗せて呟く。すると刻阪はそれ以上問うこともなく、傘を握り直して、水っぽい道をゆっくりとした足取りで歩いていく。
 うっかり水たまりを蹴ってしまわないように、──あるいは、この時間、瞬間を踏みしめるように。


 角を一つ曲がって、そしてそれからの数百メートル。
 下校のピークはとっくに過ぎた駅前の通りは人影も少なく、傘の上と道の上に散華する雨だれの音だけがしとしとと響く。──あれほどうるさかった神峰の心臓の音も今は遠く、刻阪もあれから何かを話すこともない。
 
(…なんで、何も言わねェんだよ)
 頼むから、何か話してくれと思う。そうしたら、今にも弾けてしまいそうなこの気持ちをなだめることができるのに。
 かといって、自分から話題を振れるほど神峰は器用になれない。なにしろ刻阪に会うまで、長い事同年代との話し方を忘れていた。
(あぁ、だけど、)
 終わってほしくないな、と愚かにも願ってしまう。決して叶うことのない想いには、この瞬間は大きな報いとなるだろう。
 けれど神峰の願いとは裏腹に、傘の下、歩く道はだんだん明るさを増していく。駅が近いのだ。
 別れの時まで、あと数十秒──あと、数歩。

「ついたな」

 どちらからともなく、その事実が告げられる。それと共に、ごく自然な動きで腕がほどかれる。
「…サ、サンキュな、刻阪」
「どういたしまして。…電車下りた後、大丈夫?」
「あ、ああ…いざとなったら、親に傘持ってきてもらうし」
 だから大丈夫、念を押すように頷けば、刻阪は安心したかのようにちょっと笑った。
「そっか、なら良かった。気を付けて帰れよ」
「おう。…ホント、ありがとな」
「ああ。また忘れたら言ってくれよ、また入れてあげるからさ」
「え」

 思わず目を丸くした神峰に、刻阪はいつもの笑顔で、ひらひらと手を振って歩き去っていった。
 また明日、の挨拶に、うまく返事もできなかった。


 ホームに差しかけられた屋根を、ひっきりなしに雨だれが打つ音がする。
(『傘、持ってきてくれ』…と)
 短いメッセージを送りながら、神峰はそれを聞いていた。普段ならうるさいだけかもしれない、その音が楽しそうに聞こえるのは、きっとふわふわと落ち着かない自分の心のせいだろう。

 ──また入れてあげる、刻阪は、そう言った。
 
 今日の事は、もう二度と起きない奇跡だと思ったけれど。
(もう一度、傘忘れても、いいのかな)
 もう一度くらい、言い訳は許されるだろうか、なんて。期待してしまうことくらい、今日は大丈夫だろうと思える。


「雨、雨、降れ、降れ」

 雨音のリズムに乗せて、刻阪が歌った歌を呟く。
 今度は一緒に歌えたらいいな、と、まだ少しだけ残る温もりに触れながら。





end.


+ + + + +

今日帰り道が雨だったからって理由だけで生まれた小話でした。
定番ネタってやっぱり美味しい…笑

Up Date→'16/3/15
 

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