雨だれのハーモニーを歌いましょう 2/3





(ど、どうしよう、近い……)
 数十センチ向こうには音を立てて降る雨。けれど正直、神峰の耳にそれはほとんど入ってこなかった。
 うるさいほどドキドキと動揺する自分の鼓動と、とても近いところで話す刻阪の声を聞くので精一杯だった。

「まったく、ついてないよな。もうちょっと遅くなるって天気予報言ってたよね?」
「お、おう…オレ、完全に帰るまで大丈夫だと思ってた…」
 雨音のノイズと混じり合う刻阪の柔らかなテノールは、いつもと違う響きを伴って神峰の耳に届く。
 そういえば、人の声は雨の音と混じった時に一番心地よく聴こえるのだと、どこかで見たような、見なかったような気がする。
 
 緊張を発散させるように、神峰は傘の柄をぎゅっと握り締めた。最初刻阪が持つと言ったのだけれど、神峰が頑として譲らなかったのだ。
 ──だって、これ以上ないほど甘えてる気がするのに、傘まで持たせてしまうのは居た堪れなさ過ぎる。
「明日は雨じゃないといいね。僕は家近いからまだいいけどさ」
「そ、そうだな」
 こちらを向いて笑う顔が近い。とても近い。すっかり日の沈んだ暗い道でも、はっきりとその表情が分かるくらいに。
 幸福と気まずさの両極端で、神峰はがくがくと震えていた。


「それにしても、なんかこういうの懐かしいな。子どもに返ったみたいだ」
 神峰の複雑な感情も露知らず、刻阪は朗らかにそんなことを言う。
「小さいころはね、レッスンの帰りにモコと相合傘したことあるんだ」
「マジかよ、このリア充め…」
「よく二人で歌ったなぁ、あーめあーめ、ふーれふーれ、母さんがー♪」

 そして本当に刻阪は歌い出す。やめろ刻阪男子高校生のくせに恥ずかしい、と思う一方で、めったに聞けないその声につい聞き入ってしまう。
 刻阪の歌う声と一緒だと、雨の音まで機嫌よく聴こえるのが不思議だった。刻阪の胸に浮かぶ心象も、いつもと違う色で煌いている。
(なんだろう、ちょっと金色というか…あれだ、指輪とかで見たことあるカンジの色)
 金色と言うには少し赤みがかったその色が何を示すか、神峰には分からないけれど、とりあえずこれだけは言える。

「随分ご機嫌だな、刻阪…」
「そうか? …うん、そうかもな。雨は嫌いじゃないし」
「そうなのか?」
「うん。雨の音、いろんな音がするから、よくよく聴くと楽しいなって思っててさ」
「ふーん…」
 刻阪の言葉を受けて、神峰はじっと意識して雨の音を聴いてみる。刻阪の言うことだからと、今までうるさかった鼓動も少しトーンダウンしてくれた。
 傘に落ちる音、水たまりに跳ねる音、コンクリートを叩く音。確かにそれらは、意識してみれば無数の滴が奏でる和音のようにも聴こえる。
 打樋先輩はじめ、打楽器パートのメンバーが練習する時の音も、少なからず連想させるな──そんなことを神峰が思っていると。

「ふわっ!?」
 不意に髪に触れた感触に、神峰は危うく傘を取り落としそうになる。
「な、何!?刻阪何!?」
「あ、いや。神峰の右っ側の髪、雨の時だといつもよりぶわってしてるなぁって」
「ハァ!?」

 まったく脈絡のない刻阪の行動に、神峰は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 確かに、神峰の向かって右側の癖っ毛は頑固に神峰の言うことを聞かず、高校に上がってからはセットを諦めたという代物だ。雨の日などは広がってしまって、本当に手に負えない──というのは、事実だが。
「オ、オレだって気にしてんだよ…!」
 またもや音高く鳴り始めた心臓のあたりを抑えながら、神峰はやっとのことでそれだけ言う。
「そうなんだ。やっぱり湿気てるからかな」
 と言って、刻阪はまた二、三度確かめるように神峰の癖っ毛に触れる。その触り方はなぜかさっきよりも優しく感じられて、神峰の動揺は加速するばかりだ。

(な、な、なんなんだよ…!!)
 刻阪の心象は相変わらずさっきのようにきらきらとしていて、逆にどういうことなのかまったく読めない。
 他意はないのだと、本当に髪が気になっただけなのだと必死に納得させようとするが、下心と期待と疑いが渦巻く神峰の脳内はショート寸前だった。

「ていうか神峰」
「へ?」
 呼びかけに辛うじて気づき、神峰が刻阪の方を向くと──なぜか、その眉根が寄っている。
「濡れてるじゃないか、肩」
「え、ああ」
 刻阪の指摘通り、神峰の左肩が濡れている。それはそうだ、刻阪の持ち歩いていたコンパクトな折り畳み傘では、男子高校生二人の身体を収められる訳がない。
 それを分かっていて、持ち主である刻阪の方に傘を寄せていたのは、もちろん神峰の意思だ。
「そ、そりゃお前の傘なんだから、お前が濡れないようにするだろ?」
「……」
 当然のように返してみるが、刻阪は納得がいかないかのように口を曲げる。
「…それは、確かに。…僕でもそうすると思うけど」
「っ、だ、だから気にすんなってば。どうせ、駅もう近ェし」

 あと、角を一つ曲がれば、もう駅に面した大通りだ。そこまでくれば、数百メートル走って終わり。それと共に、このかくも幸せで異常な時間も終わる。
 雨がもたらした小さな奇跡もここで終わり。明日からはいつも通り親友に戻るんだと、神峰はそこまで自分に言い聞かせる。

 しかし。




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