雨だれのハーモニーを歌いましょう 1/3




 

「んー、こうしたらもっとノリが良くなると思うんだけどなァ」
「だけどそれじゃ他のパート置いてかれない? まだ練習不足だと思うけど」
「そうかァ? みんなもっといけんだろー」

 練習時間も終わった、とある放課後の楽器室。
 煌々と部室を照らす蛍光灯の下、机に広げた楽譜の上で神峰と刻阪は額を突き合わせていた。

(ああ、いいなァこんな時間…)
 突き合わせて真面目な話をしながらも、神峰はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ浮かれていた。
 自分の「心が見える目」を肯定し、吹奏楽部に誘ってくれた親友――今目の前にいる刻阪と二人でいる時間を、とても貴重なものに思っていたからだ。
 神峰は、この親友に抱く気持ちが少し普通とはズレていることをよく知っていた。この気持ちが刻阪にバレてしまったら、今まで通り二人で過ごせなくなるだろうということも。
 だから、精一杯本当の気持ちを隠しながらも、一緒にいられる時間を大切にしようと決めていた。


 そんな下心など知らぬはずの刻阪と、神峰は音楽について意見を戦わせる。
 さっきの合奏を受けて今後の練習について話し合うものの、なかなか方針が合わずにいたのだが。

「まぁ、神峰がそういうならいいか」
「え」
「迷ったら指揮者に下駄を預けるよ。僕はお前の目を信じる」

 迷いなく微笑んで見せた刻阪に、神峰の方がドキッとしてしまう。きらりと浮かぶ刻阪の心象は、嘘をついていない。
 こういう時の刻阪の顔と心に、神峰はほとほと弱かった。神峰のすべてを肯定するような笑顔と心の煌きは、いつも嬉しさと動揺を同時に引き起こす。
(刻阪は、本当にそう思ってくれてんのは、分かるんだけど)
 そんな感情の揺れを抜きにしても、刻阪の言葉にはすぐに頷けない。
 ある程度経験を積んだとはいえ、神峰はまだまだ初心者だ。経験も実力も遥か上を行く刻阪の言うことは、結局は間違っていないと分かっている。
 その刻阪に「信じる」と言われれば──それは嬉しいけれども、ちょっとだけ不安になるのも、また本音だった。

「……そ、そっか。なら、明日はコレでいくよ」
 でも、そうまで言われて否定する事などできないから、神峰は覚悟を決めた。
「うん。失敗したらその時はその時さ」
 刻阪も頷いて、結論は導き出された。その時。

「おーいお前らァ、そろそろ帰れよー」

 ガラリ、と楽器室の引き戸を開けたのは、顧問の谺夕子だ。
「鍵閉められないでしょうが。また明日にしなさい」
「あ、先生。すみません」
「うわ、もうこんな時間か」
 にわかに神峰と刻阪は慌て出す。手早く楽譜を片付け、帰り支度をしていると。

「あ、そういや外、雨降り出してきてるからね。傘持ってるだろうね?」
「え?」
 谺が何気なく言った言葉に、神峰は支度の手を止めた。今まで全然気づかなかったが、確かに外から雨音が聞こえる──それも、結構しっかりめの。
 そしてある事を思い出す。

(…オレ、傘持ってねェ…)

 確かに、朝流し見したニュースでは雨の予報が出ていた。でも、夜遅くからという話だったので、まあいいやと放っておいたのだ。
(だって、荷物になるし)
 けれど、見事にそれが仇になったわけだ。濡れて帰る事を考え、げんなりとしてしまう。
 そこへ、手の止まっている神峰を見かねてか、刻阪が声をかける。
「神峰? どうした」
「刻阪…オレ、傘持ってくんの忘れた」
「えっ、本当に?」
 濡れて帰るしかねェなァ、と神峰はぼやく。傘を買って帰る手もあるかもしれないが、高校生の小遣いには傘代もバカにならない。
 諦めの境地で支度を再開する神峰をよそに、刻阪は数瞬顎に手を当てて、

「なぁ、神峰」
「あん?」
「良かったら、僕の傘入ってかないか?」

(――は?)
 唐突な提案に、思考が止まる。声すら出ず、頭に巨大な疑問符が浮かぶ。
 けれど、刻阪の言ったことは気のせいでも幻聴でもなかった。
「僕、折り畳みはいつも持ってるし。ちょっと狭いかもしれないけど、それでもよかったら」
「……いい、のか?」
「濡れたら風邪引くかもしれないだろ。それで部活に来られなかったら、僕が困るよ」
 思わず、神峰の「目」が刻阪を見る。心象の輝きはやっぱり1点の曇りも無く、ニュートラルに言っているのがよく分かる。
 二、三度瞬きして、それが幻覚じゃないことを確認してしまった神峰は――やがてこっくりと、頷いていた。

「……じゃ、じゃあ、お世話にナリマス……」

(――これは、もしかしなくても相合傘?)
 女子同士でもカップルでもないのにそんなベタなシチュエーション、本当にあったのか。しかも刻阪と。
 わたわたと暴れまわる感情とは別の部分で、妙に冷静な神峰の思考が呟いた。





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