「せんせ、今日は午後から雨だって」
「そか」
朝ごはんをもしゃもしゃとほおばりながら、ニュース画面をぼうっと見つめる先生をみて、くすりと笑う。
先生は朝が本当に弱いらしい。
「ごちそうさまー玄関の所におりたたみ傘置いておくから、出るときちゃんといれてよー」
「おー了解」
「いってきます!」
「いってらっさい」
いちご牛乳を飲みながら(朝からほんと甘ったるくないのかな…)ひらひらと手を振る先生に笑顔で返して、私は一足先に家を出た。一緒に登校はまずいから、私の方がいつも先にでる。
この時はまだ、知らなかった
昨日の自分の軽薄さに、気付けなかった
「神楽ちゃんおはよー」
「名前!オハヨーアル!」
下駄箱で一緒になった神楽ちゃんと、教室までたわいもない話をしながら歩いていく。わたしの日常が始まろうとしていた、その時。
「なあ知ってるー?なんか3Zの担任の坂田、うちの学校の生徒と付き合ってるらしいぜ」
一瞬、びくりと体が硬直した。
振り返ると他クラスの人達が数名で笑いながら話している。
まさか、誰かに見られた?
見られてた?
冷や汗が背中を伝う。やばい。ばれた?いつ?昨日。昨日?誰がみてた?でも私って事はばれてないみたいだけど、
先生。
先生は?
「…名前?」
神楽ちゃんに呼ばれてはっと正気にかえる。心配そうな顔で見上げる彼女に、大丈夫、と言って歩みを進めた。
「本当に大丈夫アルか?顔が真っ青アル」
「…うん、平気だよ」
大丈夫。きっと大丈夫。
心の中で何度も、そう唱えて。
それから数時間過ごすうちに、学校はその話題で持ちきりになっていた。話題性が強すぎるんだと思う。先生と生徒。私はなるべく聞こえないよう、机に突っ伏していた。
運悪く、四時間目は国語。
ああ今わたし、先生の顔まともに見れない。
泣きそうになった。
「オラ授業はじめんぞー」
「先生ー!」
「なんだよ」
「先生がうちの学校の生徒と付き合ってるって本当ですかー?」
誰かがそう放った瞬間ざわめきが先生に集中する。ああ、こうなること分かってたから、嫌だったのに。
私の存在は今、
先生にとんでもなく迷惑をかけている
そんな事わかっていた。
「付き合ってはいねェよ」
はあ、と溜め息をついて、先生は私の方をみて、笑った。
安心しろ、って言ってるみたいに。
「オメーら禁断の愛だの恋だの言ってる暇あんだったらもっと勉強しろー」
そう言った先生はいつもの調子で、それから私と目を合わせなかった。
先生。
なんで私の心配なんかしてるの。
今一番大変なの先生なのに
もっと自分の心配してよ
私は教科書に隠れて堪えながら、泣いた。
「名前、昼休みプリント取りにきて」
先生はそう言い放って、やっぱり私を安心させるように笑って。授業終了のチャイムが鳴る。
「名前」
総悟くんが私の制服の裾を引っ張ったので私が振り向くと、総悟くんは
「大丈夫ですかィ」
と心配そうな顔で言った。
…総悟くんは、分かってるのかもしれない。
「ん、大丈夫」
「…無理はしないでくだせェ」
「ありがと、先生んとこいってくる」
そう言って笑うと、総悟くんは黙って行かせてくれた。私のまわりの人は優しい人ばっかりだ。
私は1つの決意と共に、国語科教師室へ向かった。
「せんせ、」
「おーきたか」
国語科教師室なので人は私達しかいない。けれど念のため鍵を閉めた。閉めた瞬間先生は、優しくぎゅっと抱き締めてくれた。すっぽりとはまった腕の中は、すごく暖かくて。
「悪かったな、今日一日辛い思いしたろ」
こんな状態で、先生は
まだ、私の心配をする
「っ…ううん!先生のほうが大変でしょ」
「先生は大人だから大丈夫」
そう言ってぽんぽん頭を軽く撫でてくれた。私はもうとっくに泣いていた。堪えきれない涙がぽろぽろこぼれ落ちて、先生の白衣を濡らしていく。
なんで私の心配ばっかりしてんの。優しすぎるよ先生は。ちょっとくらい自分の事考えてよばか。
「ああそうだ」
本題はこっち、と言って先生はかばんから私の折りたたみ傘をだした。
「あれ?なんで…」
「人に持ってき忘れるなとか言っといて自分で忘れんなよー」
傘でぐりぐりとほっぺたを押してくる先生。自分で入れ忘れていたらしい。
「濡れて風邪ひいたらどーすんのバカ」
わしわしと私の髪の毛をぐしゃぐしゃにする先生の顔を見上げる。
これが、最後。
「先生、」
「んー?」
「私は先生の事が好きです」
ぴたりと先生の動きが止まって、私の方をみた。
「もう言わない。本当は言わないつもりだった。だけど、どうしても、今だけは言わせてほしい」
ごめんなさい、と言って私は一方的に無理矢理先生から離れる。そこからはほとんど覚えてない。ただ走って走って、気付いたら道の真ん中で突っ立っていた。
先生、先生はこの仕事好きでしょう?
知ってるんだよ、片付けた時、もうぼろぼろになった教科書とか、まとめのノートとか、資料とか、いっぱい散らばってたの
私と会う前からずっとずっと、なりたかった職業なんでしょ?誇りなんでしょ?
私がいたらきっとこれからも迷惑をかける。先生の邪魔にはなりたくない。
好き
好きです
好きでした
だいすきでした
先生
わたし先生と出会えた事
先生からもらったたくさんのもの
忘れないよ
「…うっ……ふ、……っ…」
ぽつりぽつりと降ってきた雨に濡れながら、片手に持つ傘をさすこともせず、
私は泣いた
声をあげて、泣いた
さよなら、先生
さようなら
涙 の 雨
頬を伝うのは涙か 雨か
はたまた両方か