わりと広いダイニングのある2DKの部屋に決めた。
20階建ての高層マンションの19階。大きな窓のあるその部屋からの見晴らしはとてもよかった。風通しもよく、窓を開ければ秋らしい匂いを風がはこんで、少しあたたかくて少し冷たいふっくらとした空気が室内を充たした。
ここならヨークシンを一望できて位置の把握もしやすいし、駅も近い。何をするにも最適な立地条件で、少々値は張ったがそれでもお釣りがくるくらいだ。

最低限の家具を揃えなきゃなあ。
そもそも今日は1日オフの予定だったし、いい機会だから街に馴染むためにも外に出よう。大まかな地図は頭にいれたのでさして困ることもないだろう。
簡単に支度を済ませ、外にでた。秋の空は高く高く澄んでいて、大きく吸い込めばしゃんとした空気が肺を充たした。







「その衣装棚と、本棚のセットをひとつ」
「かしこまりました。お客様、ご転居なされたのですか?」
「まあ、そんなところです」
「それではこちらのテーブルもこのシリーズになっておりますが、如何でしょう」
「じゃあそれもセットでお願いします」

街で一番大きいであろう百貨店の家具売り場を見ていた。
こう沢山あると、目移りしてしまう。
普段からあまり物事をすぐ決められるたちではなかったので、いつも一番最初に目についた気に入ったものをすぐに買うことにしていた。でないと日が暮れてしまう。
大型家具は大体セットで統一しようと思っていたし、赤いポイントの入ったシンプルなシリーズが可愛くて、それに決めた。

今日中に運び込みなどの作業はやってくれるらしく、手続きもあっとかいう間もなく済んでしまったので、最近は本当にすごいなあなどと呆気にとられながらも思った。時代の流れほど早いものはないと思う。


一から生活を初めていくというのは、なかなかどうして面倒な作業だった。
それはアドレス変更の大規模版とでもいうような。これからしていかなければならない事を一つずつ確認し、潰していくそれだけの作業すら億劫だった。

何かを始めるのにはそれが何にしろ、とても体力とか、精神力とか、そういった人間の持つ力を必要以上に消費する。
それでも人は変わっていかなければ、それはもう死んでいるのと同じなのだから。










粗方必要最低限の生活に必要な買い物は終えて、あとは食器とか、調理用具とか、そういった日常的に使うものを買い揃えなければなあ、などと思いつつエレベーターに乗り込んだ。一人だけ男の人が乗っていた。あっという間に空はオレンジ色になりつつあって、ガラス張りのエレベーターからぼうっとその景色を見ていると、ふとその男の人が口を開いた。

「お嬢さん、何階にご用ですか」
「え?ああ、7階に……わっ?!」

不意にぐいっと強い力で腕をひかれて、何も反応出来ないままにひかれた方向によろける。ぼすっとその黒い腕に包まれて、ぎゅっと抱き締められた。ひやりと冷たい大きな手のひらに包まれてゆっくりとあげられた顔に、そのまま互いの唇と唇が触れる。彼の熱をもった舌が私の唇を、ゆっくりとなぞるようにして這う。

「ん…っ、………」

彼は貪るように何回もキスを落として、離れる度に名残惜しそうにその瞳を細めた。よく知るその一連の動作にびっくりして、動けないままの私にちゅっとリップ音をたててゆっくり唇を離した彼は、いつものように笑った。

「久しぶりだな、名前」

案の定、その低音で静かに響く、まるで水面に広がる波紋のような、森に響き渡るこだまのような、私の好きなその声は全然変わっていなかった。

「クロロ………」

何で?と聞かずにはいられなくて、でもびっくりしすぎてうまく言葉にならなかった。
そんな私をみて、クロロはしてやったりと悪戯っぽく笑う。

「ハハッびっくりしてる」
「するに決まってるでしょ!!」
「いつみても名前の驚いた顔は見飽きないな」
「もう…勘弁してよ」

呆れた。そういう男だった。
変なところで子供みたいで、こっちが振り回されてばかりで。思えばいつもそうだった。

「許して」そう言って頬に一つキスを落として。こうすれば私がどうしたって悔しいことに、許さざるを得ないことも知っている。
どくんどくんと脈打つ鼓動を誤魔化すように、一つ溜め息を吐いた。

「それで団長様が何でここにいるの?」
「名前に会いたかったから」
「真面目に答えて」

団長様なんてツレないな、なんてぼやくクロロを尻目にエレベーターが目的地到着を告げる。こうなったら何がなんでも買い物、付き合わせようと決めた。

「ヨークシンで仕事?」
「まあそんな所だ。ここで大規模なオークションがあるのは知ってるだろう?名前にも手伝って貰おうと思っていたから、こっちにいたのは好都合だった」
「そっか。私にできることがあるなら手伝うよ。ちゃんとお金はとるけど」
「そういう所、変わらないな」

クロロが私を見る時、たまにみせるその慈しむような表情が、たまらなく彼を好きだなあと思わせた。そういう所は彼も全然変わっていなかった。
自然と繋がれた手のひらから互いの温度が転移する。

「ねえそっちとこっちだったら、どっちがいいと思う?」
「……こっちだな」
「じゃあこっちにする」

クロロとする買い物はとてもスムーズに進んで、さすがは団長様だな、なんてこの時ばかりは思った。彼も付き合わされている事に文句一つ言わなかった。何だか同棲を始めたばっかりのカップルみたいだなあなんて思ったりもして。
それはクロロも同じだったらしく、ちょっと考えこむようにして「一緒に住むか」なんて大真面目な顔で言ってきたから思わず吹き出してしまった。

「生憎うちにそんなスペースはありません」
「でも寝る所はあるだろう?」

結局それか!と盛大に突っ込みたくなったが、今更言う程の事でもないなと思い留まった。
クロロと初めて寝たのも、結局酔った勢いとかだった気がする。

「その前にちゃんと旅団のみんなに会わせてね」

私がそう言えば、当たり前だと彼は笑った。会わせないと、メンバーの方から非難の嵐だと。

「2年くらいか?」
「うん。クロロと2年ぶりくらいだったから、他の皆はもっとかも。みんな元気にしてる?」
「相変わらず、だな。名前を迎えにいくって言ったらあいつら皆してついてきたがったから、おさめるのが大変だった」
「やっぱり偶然じゃなかったんじゃない」
「どこにいても迎えに行くって、言わなかったか?」

惚けたふりして、意外とマメなんだよなあ。もうずっと前の約束なのにしっかり覚えていてくれているなんて。嬉しくないわけがなかった。

ふと、そういえば前髪おろしてるんだなあと思って、見上げるように、私より随分高い位置にある前髪に触れた。

「やっぱりおろしてた方が若くみえるね」
「そうか?邪魔だからあまり好きじゃないんだが…」
「もういい歳なんだから、若く作っておいたほうがいいと思う」
「そんなに歳変わらないだろう」
「6つも違うでしょバカ!」

くつくつと笑いながら「名前はこっちの方が好き?」と言うので、素直に「うん」と言っておいた。

「じゃあ名前の前ではこうする」
「ええーなんか嬉しいからやだなあ」

私がそう言ったらクロロは吹き出して笑うから、私も笑った。これで付き合ってないっていうんだからまた不思議な話である。
彼は彼だったし、私は私だった。
それ以上の何物でもなかったからこそ少なからずこの関係は私を切なくさせたし、恐らくクロロもそうだったと思う。
お互いに、何者にもなれない事を知っていたから。
それでもやっぱり、気付けば隣にいるのだ。
恋とかそういうものをやや一次元ほど超えた所にあるなにか別のものなのだと思った。


「今日は付き合ってくれてありがとう。これから引っ越し作業があるから部屋にはまだ呼べないけど、片付いたら呼ぶから」
「じゃあ呼ばれるの待ってる。俺達はD-33にいるから暇な時…出来れば早めに顔出すこと」
「わかった」

それは暗に「セックスしよう」「いいよ」と言っているようなものだったが、それも今更なことだった。
するりと離れた手から消える温もりを、逃すまいとぎゅっと握りしめた。

背中を向けた彼と、その背に、いつの間にこんなに大きくなったのだろうと無性に寂しくなって。

"クロロ、"

呼べば、振り向く。きっとあの仏頂面で、いつものように「なんだ」と言って笑うだろう。

だからこそ、呼べなかった。

開きかけた口も、漏れた吐息も、ぐっと飲み込んで私も彼に背を向けた。人混みに呑まれていく。私はそこから彼を捜しだせる自信など、なかった。だから彼の元を離れた。今でもその選択を違ったとは思っていない。


彼がいないシングルベッドに言い様のない寂しさを感じてしまうのなら、私は彼の傍にいてはいけないのだと。自分に言い聞かせるようにして。






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