夏は私にとって、あまり好きな季節とは言い難かった。夏。夏。あいつが消えた夏。私の前から姿を消した夏。未だ色褪せない、夏。

纏わりつく湿った空気と体内から放出される汗でほとほと嫌気がさしていた午後。突き抜ける程に青い空も、もはや私の中では忌々しいものと化していた。
降り注ぐ日射。紫外線が、酷そうだと思った。しまった日焼け止め、塗ってくるんだったな。なーんて。


「俺東京いくわ」


がつんと後ろから鈍器で殴られた気がした。くらり、目眩がする。その宣告はあまりに残酷で。残酷で。

田舎のこの小さな村で生まれ育った私たち。生まれた病院も幼稚園も小学校も中学校も高校も、これから先もずっと一緒だと思ってたのよ。私は。

だけどあんたには違ったみたい。

「なぁーにが、もっとでっかい世界が見たくなった、よ」

大馬鹿野郎め。あんたみたいなプーで成り上がりのヤンキーもどき(しかも正真正銘の田舎者)が東京なんて行ったって結局ボロ雑巾みたいんなって帰ってくるだけでしょうが。

そんな私の制止も振り切り親の反対も押し切りここを飛び出して行ってからまったく音沙汰無し。


「連れてってやろうか」


冗談。鼻で笑った。
あいつがいなくなる前日の事。


「寝言は寝て言え」
「は?人が折角親切で言ってやってんのによォ」
「…そ、んな親切、」

拳が震えた。ああやばい。これは抑えらんない。自分が本気で苛ついてるのが犇々と伝わってくる。なんでわかってくんないの。なんであんたはいつもいつも、


バキィ!と骨と骨がぶつかって鈍い効果音を生んだ。ビリビリと痛む拳は今晋助の右頬にクリーンヒット。


「なにすっ「あんたは!!なんでいつもそうなのよ!いつもいつもいつもいつも!!後先考えないで突っ走って勝手にずんずん進んでっちゃって!!いい加減にしろ!!馬鹿!!死ね!!晋助なんか勝手に東京でも地獄でも行きゃいいんだ!!それで向こうに美人でぐらまーな女でもつくっていいように弄ばれた挙げ句の果てに裏切られて絶望して死ね!!!」

息をつく間もなく捲し立てて、呆然とへたりこむ晋助にもう一発平手打ちかまして、捨て台詞が「もう二度と帰ってくんな!!」ですよ。なんて可愛いげのカケラも無い女。その帰り道は自分でも情けなくなって涙がぼろぼろ止まらなくて、泣けた。年甲斐もなくわんわん泣いた。もう知るもんか晋助の事なんて。そう思って忘れようとしてふと考えてるのは晋助の事だった。あたしの世界の中心はいつだって晋助だった。いつだって晋助以外いらなかったのに。ああもう少しあたしに可愛げってもんがあったなら、きっときっとあの時、連れてってって言えたのに。言えたのに。ああもう。
後悔したってもうどうにもならない事ぐらいわかってんだよ。
そんな親切ならいらなかった。だったらずっとここにいればいいじゃん。ずっとここで馬鹿やってりゃよかったじゃん。そんなこと言いたくてでも言えなかった。言わなかった。


ふと、立ち止まって、土手から河川敷を見下ろして、だだっ広い空を仰いで、沈む夕陽を眺めて、呆然と、立ち尽くした。


あたしって、晋助の何?


死にたくなった。全速力で走る。額から脂汗が後ろへ流れてゆく。零れ落ちてはきらきらと夕陽に輝いた。あたしは走った。めちゃくちゃに走った。やっぱり涙は溢れた。ぼろぼろぼろぼろ。ねえ。あたしはあんたの何だったのよ。一方通行すぎて笑いたくなった。喉が震えた。嗚咽にも似た叫び声をあげた。とにかく走った。そしたらもう晋助の事なんかプレスされて後ろへすぽんと流れ出てくれる気がした。吹け。風。あたしを押し流して。この荒れ狂う濁流のように黒々と心臓を呑み込むこの感情を、記憶ごと流し去って。消えてしまえ。
がつんっと爪先に衝撃を感じて「え?」と思う間もなく体が宙に浮いて、ずしゃっと落ちた。地面を皮膚がざりざりと擦って、皮が捲れる。血が滲む。そのまま横に転がったら土手を転げ落ちた。ああもう体の節々が痛い。痛い。痛い。


「痛いよ、」


落下は止まってぼうっとそのまま上を見詰めていた。視界が滲んできた。まだ涙は出るのか。紫がかった橙色に燃える空が、眩しくて、目を瞑った。
なにやってんだろうなあたしは。
「何やってんのお前」
「…銀八?」
「担任呼び捨てにすんな」

あーあー傷だらけじゃん。何、コケたの?ださっ
あたしが何も言わなかったら銀八も黙った。あたしの横に立つ銀八を、下から眺める。煙草の煙が目に滲みた。


「まだ、2ヶ月だもんなあ」


もう会えない。帰ってきた晋助は冷たかった。話すらしなかった。眠ったまま。もう、目を開けなかった。

なんで寝てんのよ
ビックんなって帰ってくんじゃなかったの
免許とった時あんな大喜びしてすげー自慢しといて、事故るとか馬鹿なの?あんた
何で返事しないの
何で怒んないの
いつもみたいにうっせえって言えばいいじゃん何で黙ってんの。ねえ。黙ってないで何とか言え馬鹿野郎!!!

小さい棺に収まった晋助の亡骸の前で、信じらんないくらい罵倒して、信じらんないくらいわあわあ泣いた。


だってもう会えないのに。最後に言ったのもう二度と帰ってくんな、って。馬鹿はあたしだ。大馬鹿もんはあたしだった。意地はって後悔するくらいならはじめからちゃんと言えばよかったのよ。馬鹿。


「あたしさ」
「ん」
「晋助の事すきだったんだよね」
「ああ」
「消えてくれないの、あいつ」

どこまでも憎たらしい奴。好きだった。当たり前みたいに好きだった。もう奴はいない。あたしの胸にでっかい爆弾落として、奴は消えた。もう会えない。もう話せない。もう、伝えることすら、出来ない。


「あいつから伝言」


ひら、と落とされて、顔を覆ったのは紙切れ一枚。


「あいつが出てった後、俺の机の上はさまってた」


くしゃくしゃの紙切れをつまんで、広げる。ああ、ああ、何て馬鹿野郎なんだあたしもあいつも。きったないあいつの字だった。紛れもなくあいつの手紙だった。




銀八へ
東京ででっかくなったら迎えにいくって、アイツに言っといて











「馬鹿」




泣いた。ぼろぼろ泣いた。体内のすべての水分が飛んでったんじゃないかって位、泣いた。銀八は黙って煙草吸ってた。あいつも少しだけ、泣いてた気がする。

ねえ、馬鹿なのあんた本当。思えばあんたも意地っ張りだったね。忘れてた。忘れたかった。あたしたち本当に馬鹿だったんだね。

夏は私にとってあまり好きな季節ではなかった。晋助といた夏。晋助と馬鹿した夏。晋助と笑った夏。晋助と生きた夏。


まだ色濃く残る晋助の色は、やがて薄れて、消えてしまうんだろうか。
世界は回る。きっとちっぽけだった晋助なんてあっとゆう間に埋もれてしまう。

忘れないでいてやろう。仕方ないから、私だけは、ここに晋助がいたこと、覚えててやる。ありがたく思え。馬鹿。


晋助が死んだ、夏の話。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -