「ルゥ様、歳を取らないって本当なんですか?」
フランから秘密を聞いた後の夏休み。
ミントは、いつものごとく城を抜け出してちょっかいを出しに来た国王、ルゥに真偽を尋ねた。
「お?」
するとルゥは紫の瞳を閉じ、
「……おお。ミントが生まれるずっと前、って言うか、オレが生まれるから」
むかしむかしの話を紡ぎ始めた。
「この街にな、貧民街ってのがあったんだ」
≫≫≫
「ルクレツィア様、お食事のご用意が出来ました」
大きなテーブルに豪華絢爛な料理を並べ終わると、城の使用人は恭しく頭を下げて報告した。
「……。下がれ」
そんな彼に、ルクレツィアと呼ばれた銀髪の少年は、見向きもせずに命令した。
「かしこまりました。失礼いたします」
再び頭を下げてから言われた通りに彼が部屋を出ると、
「……」
その少年――王子、ルクレツィアは、帝王学の書をため息混じりに閉じて立ち上がった。
テーブルに並べられたご馳走を見ても、何の感情も湧きはしない。
将来の王となる身として必要な知識を身に付けるための勉強も、身を守るための稽古も、目の前にある豪華な料理も、いずれもすべていつものこと。
決められた時間に決められたことをする何一つとして不自由のない暮らしは、とても退屈で詰まらない。
ガタンッ
そんな贅沢な悩みを抱えている彼の目の前で、天井の一部が外れ落ちた。
「――ひっ!」
それと一緒に落ちてきた男は、身なりからして明らかに城の者ではない。
――泥棒。
「お、お許しをっ!!」
輝く白銀の髪と紫色の瞳。
男の目の前に立つは、その王族の特徴を色濃く受け継いだ少年。
まさか王子の部屋に出るなんて思ってもいなかったその男は、彼を見るなりその場で土下座して許しを乞うた。
王宮に忍び込んでおいて、許しが出る筈もないと分かっていながら。
「……。いいだろう、許してやる」
しかし、彼、ルクレツィアは、冷たい瞳をすっと細めて口を開き、その男を驚かせた。
*
男が通ってきた抜け道を使い、ルクレツィアは城から抜け出した。
天井裏から繋がった地下通路を抜けたその先は、槍と魔法の稽古をする城の中庭以外、ほとんど出たことのない外の世界。
「……ここは……」
しかしここは、城の窓から見える街とは一風かわった場所。
乾いた風に砂埃が舞うこの街は、王都市シャイアの貧民街。
「……」
生気のない寂れた街に不似合いな格好で、ルクレツィアは歩きだした。
ここしばらく雨が降っていないせいか、カラカラに乾いた土地。
整備がまったく行き届いていない砂利道。
照りつける太陽からは逃れられても、雨風は凌げそうにない家々がまばらに存在するその街をしばらく歩いていると、
「きゃあああ!!」
悲鳴と共に、紫色の髪の少女が姿を現した。
ガバッ!!
「っ!? 貴様、何をする?!」
突然現れた見ず知らずの少女に盾にされ、ルクレツィアが声を荒げると、
「お、おねがいします、たすけてくださいっ!」
ボロボロな服を着た少女は、彼のマントに顔をうずめて懇願した。
「何を――」
わけの分からないことを、と言い終える前に、
「おお? これはこれは、随分と素敵なナイト様の登場だなあ?」
少女が走ってきた方向から、見るからにガラの悪そうな男たちが現れた。
「……?」
ゲラゲラと下品に笑う彼らに眉を顰めるルクレツィア。
て言うかナイトじゃない。
プリンスだ。
「ナイト様、お姫様をこちらにお渡しいただけないでしょうか?」
わざとらしく馬鹿丁寧に頭を下げたのは、三人組の先頭にいた男。
「……」
その問いに、背後にいる少女の震えが伝わっているルクレツィアは、
「……こいつをどうする気だ?」
と、男たちに聞き返した。
「どうするって」
その反抗的な紫色の瞳に、
「金に変えるのさ」
彼らは少年に殴りかかった。
「――」
瞬間、少女を突き飛ばしてその拳をかわしたルクレツィアは、
「ファスチネィションサンダー!」
その年齢からしてまず予想することのできない、雷属性の最大魔法を発動させた。
――直後、雲一つない空から、まばゆい雷が落下した。
*
魔法を発動させた直後、少女の手を引いて駆け出したルクレツィア。
彼は、シャイアの外れにある森の近くまで来たところでやっと足を止めた。
「……はあ……はあ……」
彼に引っ張られていた少女は、足の速さが合わなかったために、荒い呼吸を繰り返している。
「……お前、何故D地区に入った?」
振り向いた彼は、そんな彼女にきつい口調で質問した。
「あ、え、えっとね、いどまで、……は……ちかみちしようと思ったんだ。えへへ」
その問いに、少女は明るく笑ってそう答えた。
「お前――」
貧民街は、王都市シャイアで暮らせなくなった者が行き着く街。
そこは、誰が決めたというわけでもなく、ABCDの四つの地区に別れている。
治安の順も、アルファベットに連れて悪くなる。
それを知らないのかとルクレツィアが口を開き掛けたところで、
「たすけてくれて、ありがとう! わたしは"クロレカ"。クロレカ=ヴォルグランダムっていうの!」
少女、クロレカは、にっこり笑ってお礼を述べた。
「あなたの、おなまえは?」
そう言って、綺麗な紫色の瞳をルクレツィアに向けるクロレカ。
――名前。
「……」
自分に向かって敬語も使わないということは、この目の前にいる話を聞かない少女は、先程の男たちと同様に、自分が王族であることに気付いていない。
「……。"セルシオ"」
それならばわざわざ名乗って騒がれるよりも、と、ルクレツィアは彼女にセルシオと名乗った。
「セル、シオ……セルシオっていうのね」
それを確認するように復唱したクロレカは、
「セルくんは、かっこいいね!」
再びにっこりと笑ってそう言った。
「……は?」
今度は何を言い出すんだと、いきなりニックネームを付けてきた彼女に疑問符を浮かべるルクレツィア。
「つよいし、やさしいし、かんむりかぶってて、王子さまみたい!」
みたい、じゃなくて王子だ。
「……」
もの珍しそうに目を輝かせて近づくクロレカが鬱陶しくなったルクレツィアは、
「きゃう?!」
彼女のキラキラ対象を自分の頭から外し、彼女の頭に押し付けるように被せた。
「やる」
瞬殺。
きょとん顔を向けてきた彼女にルクレツィアが言うと、
「! ほんとう?! ありがとう!」
クロレカは明るい顔を更にぱあっと顔を明るくした。
「わあ! わたし、おひめさまみたいっ!」
頭に載せた冠にはしゃぐクロレカと、そんなものを貰って何が嬉しいのか理解できないルクレツィア。
「あ!」
お姫様気分でクルクル回っていたクロレカは、
「セルくん、ケガしてるよ!?」
ルクレツィアの右の頬にできた切り傷を見て言った。
「……?」
男たちの拳はかわしたが、どうやら彼らは拳に風の魔法を纏わせていたようだ。
「……騒ぐほどのことではないだろう。この程度の傷――」
低級の回復魔法で十分だ、とルクレツィアが頬の他に腕にもできていた傷に右手をかざしたところ、
「ダメだよ! ばいきんが入ると、しんじゃうんだよ!?」
彼がそのまま放置すると見たのか、クロレカはその右手を取って駆け出した。
*
「はい、おしまいっ」
二人がやってきたのは、A地区の隅にあるクロレカの家。
「……」
"ヒール"を使えばちょろっと治ったところを、ルクレツィアはジンジン染みる薬草を塗り付けられていた。
「この薬草はね、キズにつけておくと、あっという間になおっちゃうんだよ?」
すごいでしょ、と胸を張るクロレカ。
だが、確実にヒールの方が速いし、まず染みない。
「森にたぁくさんあったから、セルくんにもあげるね!」
しかも、なんかお土産まで貰ってしまった。
「あ。えへへ、かんむりのおかえし♪」
そして、とってつけたようにお返しとして渡された。
「……。ここがお前の家なのか?」
ジンジン染みながらも、彼女に薬草を握らされたルクレツィアは、平静を装って質問した。
「うん、そうだよ」
それに頷くクロレカ。
家、と言っても、それは先程ルクレツィアが見てきたような粗末なもの。
古びた布が屋根の役目をかっている他は、ゴミ捨て場から拾ってきたようなものや、適当な石や植物で取り繕ってあるだけである。
「……」
ましてや豪華な王宮の広い部屋にいたルクレツィアにとって、尚更それは家には見えない。
「……何故こんなところで暮らしている?」
明らかに子ども一人分しかない生活スペース。
孤児ならば、施設に行けばもっとましな暮らしができるだろう。
「え? あ、うん。えっとね、セルくんは、まほうがつかえるでしょ?」
そう思って聞いたのに、返ってきたのは的を得ない解答。
「……?」
それに疑問符を浮かべながらも頷くと、
「わたしはね、まほうがつかえないの」
クロレカは、えへへと笑ってそう続けた。
彼女くらいの歳の子どもが魔法を使うことができないのは、至って普通のこと。
「だからね、お母さんに、ここにすてられちゃったの」
にも関わらず、実の母親に捨てられた彼女。
その事実が意味するところのものは、
「バースが、ないのか?」
魔力の源、"バース"を持たない人間。
心臓の中心にあるその魔法の石は、血液を介して全身に魔力を供給しているとされている。
魔法を主として生活を営んでいるこの世界で、それが使えない人間は役立たず。
そんな人間は、家族の汚点。
――だから、いらない。
「うん」
そんな差別がまかり通っているこの世界で、彼女は困ったように笑いながら頷いた。