死んでからすぐの間は、片時も忘れずいつだって思い出して悲しんでくれていた。死んでからしばらく経つと、ふとした瞬間に思い出して「ああ、そういやアイツとこんなこともあったよな」ってしんみりしてくれた。

わたしが死んでからもう、随分と時間が流れた。わたしを思い返してくれる人はいない。みんな悲しむのは初めだけ。時が経てば悲しみは薄れて死んだ人間のことなんて忘れてしまうんだ。愛し合った人だって、ほら、今ではもうわたしの事なんて記憶から追い出して幸せそうにたくさんの人に囲まれて生きている。

確かにわたしが死んだら、わたしのことは忘れて幸せになってね。なんてありがちな言葉を遺してきれいに死んだけど。ほんとうにそれは望んだことだけれど。それでもどこかでわたしが居た日々を思い出してほしいし、いつまでもわたしが死んだことを悲しんで胸を痛めてほしかった。忘れ去られた存在のわたしは今はまさしく透明で、涙なんて出やしないんだけど毎日毎日彼の背中にすがって泣きじゃくった。いつしかわたしは悪霊に成り下がっていた。

近頃は彼のそばにはいつも快活で上品な綺麗なヒトがいる。もしかしたらこの人と将来一緒になる、のだろうか。

彼がとても高価な指輪を買った。ペアリングの意味は、もうわかっていた。あんなに懸命に働いていたのはその為だったのね。

わたしはもう、消えなければいけないのだ。愛した人がとうとう家族を、幸せを手に入れる。彼には何よりも温かい家庭を築いてほしかったから、不思議ともう泣くことはなかった。

彼が花束を買った。とてもきれいだった。ついにわたしが消えるときが来たのだ。彼のポケットに潜んだ指輪がとても羨ましい。けれど、彼の幸せを見届けて消えられるならばそれはわたしにとっても幸せなことなのだと、ようやく笑えた。


「よぉ、」

だけど花束はあのヒトに渡されることはなかった。きれいなきれいな花束は、随分と汚くなった墓石へ無造作に添えられた。

「こりゃひでー有り様だな」

どうして、何故。墓石に積もった汚れを彼が拭き取っていく。

「今日は帰ってんだろ?しばらく来なくて悪かった。…話があんだ」

今日、とは、いつだったか。季節の感覚などとうに失くしてしまった。

「万事屋にガキとでっかい犬が来てな、毎日騒がしくてかなわねー」
「でも俺ァ今馬鹿みてーに幸せだ」

知ってる、全部知ってるよ。だからこそ今日、消えようと思ってたのよ。

「それでも、おめーのことを忘れることは出来なかった」

がしがしと頭をかいて彼は自嘲めいた笑みを浮かべる。ふと蝉の声が耳に届いた。

「さっさと死ぬつもりはねぇ。おめーの分までしぶとく生きてやらァ」
「それまで待たせちまうけどよ、けど、死んだら、」

「あの世で俺と結ばれちゃあくれねーか」

花束の隣に淡く光る指輪が置かれた。わたしの指には多分少しだけ大きい。指輪のサイズなんてわからなかったんだ。なんて、貴方らしい。

貴方をわたしに縛り付けてもっとたくさん得られるはずの幸せを取り上げてしまった。わたしは悪い女だった。

「ったく、慣れねぇことはするもんじゃねーわな、」

また頭を掻きむしる。昔と変わらない照れ隠しの仕草。
わたしなんて忘れ去られていればよかった。ごめんなさい。だけどどうしようもなく嬉しいの。貴方の言葉に喜んでしまってごめんなさい。わたしはとんだ悪霊ね。


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