匂いフェチ | ナノ
もう、これ以上一緒にいてはいけないと、これ以上一緒にいては取り返しのつかないことになると、気付いてしまった。

「白石は混乱してるんだ。わたしの匂いが好きなだけで、わたしを好きなんだと勘違いしたの。わたしもそう。白石の匂いがたまらなく好きで、そしたら白石が好きだって勘違いしそうになってる」

「これ以上依存したら、きっとわたしたちは人をちゃんと好きになれなくなるよ」

「だから、もうやめよう」


そう言って白石と会わないようになってからどのくらい経っただろう。わたしからケジメをつけた。何よりも白石の為に。白石にはわたしみたいな普通で変態な女じゃなくて、もっとかわいくて素敵な女の子がきっと未来で待ってるはずなんだ。だから目を、覚ましてあげないといけないと思った。わたしからケジメをつけたんだ。白石がいなくても平気だと。白石に出会ってない頃に戻るだけ。欲求を満たしたくなったら放課後の誰もいなくなった教室で、男子生徒の汚い体操服を嗅ぐんだ。そう、前となにも変わらない。はずだったんだ。

「ゔ…ぇ…」

昔のようにこっそりと男子の体操服を嗅いだ瞬間、とてつもない吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。吐いた。拒絶した。どうして。自分から出た吐瀉物を見て止めどなく涙がこぼれる。昔に戻れない。受け付けない。白石以外を受け付けなくなったんだ。なんでなんでなんで。頭がイタイ。イタイよ。白石よりもわたしの方が依存していたなんて。イタすぎる。

全部吐き出して、教室に戻った。男子の体操服を息を止めてきれいに戻す。外から聞こえるパコーンって気持ちいい音に、窓の外を見るとテニス部が楽しそうに打ち合いをしていた。白石はどこかな、なんてつい探してしまった。あの日が恋しい。やけどしそうなほど熱い体も、湿った首筋も、濡れたユニフォームも、わたしの首にかかる吐息も、腕も指も髪も目も声も全部全部全部ぜんぶ、好きだ。抱き締めあって、お互い見つめあったときのあのはにかんだ顔が頭に浮かんで消えなかった。匂いどころじゃなかった。全てが大好きになっていたんだ。

「先輩フラれはったんですか」
「…違うよ、元から付き合ってないもん」

突然響いた声に、振り向くことなくそう答えた。なんてタイミングの悪い後輩だ。

「なにしにきたの」
「千歳先輩に貸した本もらいに」

そう言って千歳くんの机をごそごそと漁る。すぐにお目当てのものが見つかったのか、立ち上がって、でもそこから動く気配がなかった。

「早く戻らないと怒られちゃうよ」
「…部長がさっき、女の人と一緒におった」
「そう」
「めっちゃきれいでスタイル良くておしとやかな感じやった」
「そっか。きっといい人見つけたんだね」
「アンタとは真逆」
「あはは、ほんとだ」

笑ったら溜まっていた涙がぼたぼたと零れ落ちた。泣いてる乙女に追い討ちかけるなんてやっぱり財前くんはドエスだなあ。あ、乙女じゃないわ変態だった。

「あんたはそれでええんですか」
「うん、白石の為なら」
「部長の幸せを望んではるんとちがうんですか」
「そうだよ、だからきっとこれからそうなる」
「俺はあんたらがどんな関係やったんかは知らん。せやけどあの時窓から見たあんたらは凄まじかった」
「うそ、よだれ垂れてたとか?」
「垂れてました」
「うわ、さいあくだね」
「最悪やった。ふたりしてよだれ垂らして顔真っ赤にして、自分らが世界一や言うみたいにめっちゃ幸せそうやった」

その言葉に思わず振り返る。財前くんはひどく怒っていた。

「キスもセックスもしとるんと違うのに、ただ抱き合っとるだけやのになんやどえらい気持ち良さそうな顔してはった」
「…一瞬しか見てないんじゃなかったの」
「ふたりしてやで。それってすごいことと違うん」
「たまたまね、相性がよかったっていうか、気があったんだよ」
「それがすごいっちゅーてんねん。俺はあんたら見て、なんやよおわからんけど、いい意味ですんごい衝撃走ってん」

形のいい唇が噛み締められる。眉間には皺が深く寄っていた。ああ、きれいな顔が台無しだ。

「あんたらみたいなんを運命って言うんとちがうんですか」
「わたしにはきっと運命だった。でも白石にはそうじゃない」
「見てくれだけやないって言うたやろ」
「わたしなんかよりいい人は絶対いるの」
「…あーもう、鈍感な上に頑固とかなんのギャグやねんほんま」

痺れを切らした財前くんがわたしの腕を引っ付かんでずんずんと歩き出した。強い力に抵抗ができない。ごめんね財前くん。わたしたちをそんな風に見ててくれたんだ。ごめんね。期待を裏切ってごめん。


 


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