「かわいいのう」
「好いとうよ」
ふとした瞬間に彼が吐くこれらの言葉に私はなやんでいた。初めこそ笑って流していたけど、それでもずっと言ってくるもんだから最近はもやもや。だって言葉こそ甘ったるいものだけど、言い方はどこか冗談めいていてからかっているようにしか聞こえないのだ。さらに言うなら頭をなでたり頬に触れたりとボディタッチは多いのに抱きしめられたことはない。まあこれは単なる私の欲求というか、しょうもない欲望なのだが、とにかく、どういう意味をもってその言葉を口にしているのか。彼がなにを考えているのかよくわからなくて私はなやんでいた。
「お疲れさん」
久しぶりの出勤にくたくたになりながら会社を出ると壁に寄りかかって立つ見覚えのある姿を見つけた。ゆるりと気だるげな動作で手をふる銀髪に驚いてそちらに駆け寄るとその勢いごと抱きしめられた。
「な、なんでここに…?」
「…すこしでも早う会いたかった」
どくどくどくどく。心臓の音が耳のなかで盛大に鳴り響いて彼の声が霞む。だけどしっかり入ってきたそれは鼓膜でぐるぐると混乱に姿を変えて脳内で暴れ回った。
「雅治、くん」
どうにか名前を呼ぶと返事の代わりにまわされた腕の力がすこしだけ強くなった。早鐘を打つ心臓がいたい。低くてどこか焦りを纏った声。それに初めて彼に抱きしめられて、なにも考えられなかった。
「…、帰るか」
されるがままの状態からすこしして体が解放された。見上げた顔はいつも通りの読めない表情だった。抱きあっていたとき、彼はどんな表情をしていたのだろう。歩き出した彼の背中をみつめて、また考えて、ふと、さらなる疑問をみつけた。
どうしてわたしはこんなに悩んでいるのだろう。
mae tsugi