「全くもって、貴方という人間は屑ですね」

珍しく事務所にやってきたイズミに浴びせられたのは同僚からの冷たい侮蔑の眼差しだった。横を通り過ぎようとしたイズミを引き留めた一言に、彼は両手でいじっていたタブレットから顔をあげる。

「同じ仕事をしているっていうのに、僕だけ屑扱いってのは納得がなかなかいかないね」

自分よりも下にある同じ仕事仲間である男から向けられる負の感情を、慣れたように皮肉交じりの言葉と共に返す。

同僚とイズミしかいない廊下の温度が一気に下がったような気がした。目の前の男から漂う空気の刺々しさに鋏を入れたくなる。今日はなんだか朝からこうなる気がしていた。人気の少ない時間帯を選んでやってきたのに、コイツはいつでもここにいるな、と関係の無いことを心の中で呟いた。

「確かに私達は軽率な暴力と淹れ混ざった善悪を生業に生きています。いつか誰かに刺されて命を落とすことは既に決まっているようなものでしょう。しかし、貴方の場合、誰に刺されるのでしょうね?」

この問いかけに、イズミの脳裏に今まで騙し搾取してきた女達の顔を思い出した。女達専用の携帯電話に登録された名が、一斉にこちらを睨んでくる。中にはイズミのいいように弄ばれたことにすら気づかない可愛い可愛いレディもたくさんいるのだが―――自分が殺されるならば、その中の女性達に違いないのだ。そしてその日は、あまり遠くない。

「それは、当然僕の可愛い花達に違いないね。まあ、騙しているわけだから、仕方ないよね」

そう簡単に殺される訳にはいかないけど。ぼそりと囁いた言葉は目の前の男にはきっと届いていない。眉間に皺を寄せて嫌悪感を表情に露にされた。

「自覚があるようで結構なことですし、私は貴方が女性に刺されて殺されても、きっと悲しまないでしょう。自分より弱い女性だけを餌に狙っている貴方は、真性の屑ですよ」

「自分より弱い人間を利用するのは、君だって同じだろ。自分だけお綺麗なふりをしないでほしいね」

「独りで生きられない雑魚が私を馬鹿にするおつもりですか」

殴りかかってはこないものの、同僚の纏っていた雰囲気が一気に膨れあがったのを感じ取った。この程度の挑発にのるとはこの男らしくない。それほどまでに、自分が見下している男に馬鹿にされるのは嫌なものなのだろか。イズミにはよく分からなかった。

彼は全ての人間を見下さない。見下したら、人知れず同情が混じってしまう。恋愛とは、似非でも同等の立場の人間がするべきだ。人を見下してしまうと、彼の仕事はうまくはいかなくなる。実践済みの経験を、目の前の同僚に重ねてみる。この男は、多分恋も愛もうまくはいかない性質だ。

「じゃあ、僕も忙しいからここらでお邪魔させて貰うよ。明日も仕事もあるし」

嫌悪感を塗りつぶす程の怒りを追い払うように手をヒラヒラと振りながら背中を向ける。

「女を誑かすことしか才がない貴方が仕事なんて笑わせますね」

一言言い返されたが、それ以上突っかかってこない分、彼も大人だった。お互い遠ざかっていく足音を耳にしながらイズミは事務所を出た。

後味の悪いデザートを食べた気分だ。喉元に残る異物感を無理矢理飲み込み、ちょうどいいタイミングで震えたタブレットを取り出した。

「今日の晩御飯はカレーライスです!イズミさんの好きな甘口なので早く帰ってきてください!」メッセージには写真がついている。カレーライスが入った鍋と、こちらに笑顔を向けているウサギ君の構図に、自然と笑みがこぼれ落ちる。きっと野菜がとことん少ないカレーライスだ。

「早く帰ろう。ウサギくんが待ってる」

薄暗くなってきた空を見上げる。たまには早く帰らないと、寂しい思いをさせてはいけない。まだ浅い青色を残し、星空に染まりかけている夕空がとても綺麗だった。

願わくば、カレーライスと共に帰りを待ってくれている、彼とみたいものだ。とイズミは思う。帰る頃には、夕空は夜に飲み込まれ、この鮮やかな橙はもう見られない。少し考え、タブレットを顔の前にかざしながら、カメラを開く。黒手袋越しに画面の真ん中をタップすると自動的に焦点があい、くっきりとした紫陽花色が映し出される。

かしゃ、と短いシャッター音に満足して、イズミは夕暮れの街に消えていった。
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