9月の中頃。段々と真夏の暑さも抜けていき、朝や夜は涼しくなり始めた。今日は私は日直で、いつもよりも朝早く学校へ来て一人黒板そうじをしていると、ガラっと教室の扉が開いた。
「おっはよ優奈!あれ、今日日直?」
「花ちゃんおはよぉ。せやで」
意外と朝が早い花ちゃんと喋りながら黒板掃除をしていると、次第にクラスメイト達が登校し始めた。
最近の私の学校生活は、やけに穏やかだった。
新学期が始まったころは、財前くんとは気まずいし、高野さんは怖いしで、私の学校生活は一体どうなることやらと不安しかなかったけど、思ったよりも平穏な毎日が続いている。
鬼の形相だった高野さんは、私と財前くんが一言も話さないのを見たからか、何を言ってくるわけでもなく。夏休み前と同じ、「ほぼ話をしないクラスメイト」に戻っていた。
そして財前くんとは相変わらず会話の一つもない他人のような間柄になってしまっているのだけど、1つ変化があった。
「優奈、教室移動やで」
「うん」
花ちゃんに声をかけられ、家庭科室へ向かうために家庭科の授業道具を持って席を立つと、ちょうど私の斜め前(といっても果てしなく向こう側)の席の財前くんも席を立ったところで、振り返り際に、目があってしまった。
「…!」
「…!」
そして必ず私が先に顔をそらす。
…というやり取りが、ここのところずーーっと続いていたのだ。
「優奈?なにしとんの、はよいくで」
「あっ、ごごごめん」
待ちくたびれたような花ちゃんのあとにひょこひょこついていき、二人並んで廊下を歩いた。私と花ちゃんの少し前には、財前くんが歩いている。
…財前くんと目があったとき、もしも私が顔をそらさなければ、財前くんが話しかけてくれたかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。私は無視されるほうがずっと怖かった。だからそうなる前に、自分から顔をそらしていた。
最近あまり財前くんを視界にいれていない。だからこの位置はすごく良い。財前くんの真後ろにいるから眺め放題だ。
「……はぁ」
私と財前くん…。一体いつまでギクシャクしてるのだろうか
「優奈、ため息多いで」
「……うん」
「…はよ財前と前みたいに話せるようになるとええな」
「………うん」
少し心配そうな顔をした花ちゃんがそう言った。…そもそも、なんで財前くんとギクシャクしてるんだっけ…。
一年近く見つめ続けた財前くんと、やっと会話ができた今年の5月。段々仲良くなって、…勝手に良い雰囲気だなと思ってしまった8月。
『もしかして二人、付き合ってる…とか?』
『…ちゃうわ』
あの時のやり取りを思い出すと、いまだに胸がチクっとする。財前くんと友達になれただけで十分だったのに、いつのまにか好きになって、こんなにも欲が出てしまった。
「…あ…」
好きなの、やめれば、元に戻れるかもしれない
「…そんなの、できひん」
「んー?なにが?」
「…ううん…」
話しかける勇気もなければ、好きなのやめる勇気もないし…。私はどこまで弱虫なんだろう。本当にこのままじゃあ友達以下の関係になってしまいそうだ。
・
・
「…話しかける、…やめる、…話しかける、…やめる…」
「…優奈…アンタついにおかしくなったんか」
机の上に並べた二つの石ころを指さしながら、私にとっての最大の二択をつぶやいていると、その様子を見ていた花ちゃんがドン引きした顔で話しかけてきた
「…今、人生最大の二択に悩んでるねん」
「なんやのその石ころ」
「えっと…えーっと…石ころ、占い」
「石ころ占いぃ?絶対いま作ったやろ!」
「二択なんて、鉛筆転ばせばええねんで」と適当なことを言う花ちゃん。私にとっては重大な二択なのに…。机で頭を抱えながらう〜〜〜んとうなっていると、クラスの出入り口から理科の先生が大声で私を呼んだ。
「今日の日直は桜井やな。このノート、理科室運んどいてや」
「あ…はい…」
そう言われて手渡されたノートはかなりの量で、思わず体がよろけた。
「あー、一人で持つには多いな、…あ、君!ちょっとこれ手伝ってや」
「…はい」
先生が声をかけた人が、私の持っていたノートを半分持ってくれて、すっと手元が軽くなった。ちらりとその人を見ると、なんとまさかの財前くんだったのだ。
「……っっ。」
「…理科室、持ってけばええの?」
「…ははは、はい」
「……」
財前くんはすたすたと歩き出したので、私もその後ろを追った。
・
・
理科室は別棟だったので、人気が少なく廊下もしんとしていた。
この空間には、私と財前くんしかいない。
「…………」
「…………」
ひたすら無言が続き、なんだか胸が痛かった。…もしかしたら、財前くんが何か話しかけてくれるかも、と都合のいいことを思っていたけど、そんなことは全くなく、ただただ気分が落ち込んでいくばかりだった。
つんっ
「…あ!」
バサバサバサ
半分放心状態で歩いていたせいで、廊下の小さな段差につまづき、持っていたノートをばらまいてしまった。
「…いったぁ…」
床についた膝が地味に痛い。目の前に散らばったノートを目にしたとたん、はあ、と大きなため息をついてしまった
「なにしとんの」
前を歩いていた財前くんが散らばったノートを拾い始めた。
「あっ…ご、ごめん、なさい」
「……別に。それよりその手、どかして」
「え…あっ」
散らばったノートの上についていた手をパッと自分のもとへ引き戻すと、そのノートを財前くんが拾った。
「ほら、しっかり歩け」
「…ありがとう…」
拾ってもらったノートを受け取る寸前、ぱしっと財前くんに腕をつかまれた
「えっ…」
「ここ。血出とるで」
「…あ、ほんま、や」
「…ほんまドジやな」
あ…
なんか、ちょっと前に戻ったみたい。と思った。
そしたらなんか、急に気が抜けて、一気に目から涙があふれ出た。
「…は」
「……っ」
「…おい、そんなに痛かったん?」
「…ぅ、…っ…ずっ」
「あーもう、…鼻水出とる」
そういうと財前くんは、前みたいに制服の裾で私の涙と鼻水をぬぐってくれた。今日は「きたねえ」と小声で言われてしまった。
「…ごめ、んっ」
「…何泣いてんねん」
「……だって、」
「………」
「…もう、財前くんと、…話せないんじゃないかって、…思ってたから…」
「…なんで」
「……わからへん…」
「…お前が、目そらすからやん」
「…せやな」
「……そんなん、避けられてるわ思うやろ」
「……せやな、…ごめん」
「…しゃーないから、許したるわ」
ぽんと私の頭に財前くんの手が乗った。少し視線を上げると、なんだか少しはにかんだような、財前くんの顔が目に映った。
「休み時間終わるわ、はよいくで」
「…うんっ」
私、やっぱり財前くんのこと、すきなのやめられそうにない。でもそれは弱虫だからじゃなくって、本気でこの人のこと、好きだからなんだって思った。もっともっと、この気持ちは大切にしなきゃいけないんだって、思った。