かなしき人よ、どうか手を | ナノ
▼ 02

ぱちぱちと火の粉が時折はぜる暖炉。床に敷かれた毛足の長い絨毯。小さいが女一人が立ち回るには十分なキッチン。木製のテーブルと椅子は二人用。花の形をした電灯が室内を明るく照らしておすり、カーテンは温かみのあるクリーム色。奥まった場所にはキッチンもあるし、レストルームもちゃんと備わっている。あとは食料さえちゃんとしていれば、多分人一人が暮らすには何ら問題のないことが見受けられる。
しかし少年がその手を引かれて足を踏み入れたのは、あのいつ倒壊しても可笑しくないボロ小屋だ。屋根には穴が空き、窓ガラスも割れ、ニブルウルフに体当たりされたらそれこそ一発で吹き飛んでも可笑しくない年季の入った掘っ立て小屋。おまけに外観と中の面積が全く合致していない。

「何度も言ってるけど」

そんな、少し考えれば摩訶不思議な空間で、少年クラウドは当たり前のように椅子に腰掛け、テーブルに置かれたスコーンの皿に手を伸ばし、はぐ、とそれに食らいつく。昼ご飯を食べたばかりだったのだが、焼きたてのスコーンの香ばしい香りは酷く食欲をそそった。

「俺にはクラウドって名前がちゃんとあるんだからな」

できたてのスコーンは仄かに甘くて美味しい。うっかり緩みそうになる表情筋を叱咤して一応抗議してみるものの、相手は全く堪えた様子を見せない。少年、もといクラウドが不機嫌顔を崩さないのに対し、彼女は何処までもご機嫌だった。

「天使君は天使君だよ。こんなに綺麗で可愛いし、オマケに空から降ってきたしね」

にしし、と笑う女に嫌味は無いものの、それが逆に居たたまれない。クラウドは肩身が狭そうにしながらも、それでも何とか抗議する。

「……好きで落ちたんじゃない」
「うんうん、それはそうだろうね」

むすっと眉根を寄せたクラウドの眉間を、ちょいちょいとつっついてくる手が煩わしくもくすぐったい。

「でも私の上に落ちたのが運の尽き。私にはもう君が天使にしか見えないのさ」

きっぱりと言い切られて、逆に反論のタイミングを失う。黙りこくってスコーンをひたすら食べるクラウドを、女は酷く満足げに見つめてくる。柔らかく細められた双眸は、顔つきも色も全く違うのに、何処かクラウドの母親に似ている気がする。
奇異なものを見るようでも、哀れむでも疎むでもない。当たり前のように子供を庇護する大人の目を、他人から向けられる。そんな当たり前の経験も、少年は希薄だった。馴染みのないそれに居心地が悪くなったのを察知してか、女は「さて」と不意に席を立つ。

「お茶のお代わりを煎れようか。スコーンは喉渇くからね」
「あ……」

止めるどころか答える間もなく、女はそのままキッチンの方に向かってしまった。既にお湯は沸いているらしく、給湯器に入れたお湯を一旦ポットに入れて温める。そして中のお湯を一回捨てて、茶葉を入れてもう一回お湯を注ぐ。
そして煎れたお茶に、ブランデーをほんの少し。寒村であるニブルヘイムでは一般的な飲み方なのだとクラウドに教えられて以来、彼女は必ずクラウドに煎れるお茶にだけこの一手間をかける。彼女自身は寒い地方の生まれではないらしく、紅茶にアルコールを入れるというのがあまり受け付けないらしい。

「はい、おまちどおさま」

ことり、と小さな音を立てておかれたティーカップから、紅茶の良い香りが立ち上る。クラウドはおずおずとそれを手に取った。

「ありがとう……フィー」

消え入りそうな声だと自分でも思ったが、相手にはちゃんと届いたらしい。女、改めオフィーリアは、取って付けたように呼ばれた己の名に、それでも酷く嬉しそうに微笑む。
何がそんなに嬉しいのかと思うくらい、何の衒いも無い笑い顔。最初に会った一ヶ月前から、会う度に一度は見る。クラウドはそっと紅茶に口を付け、彼女との初対面を思い出した。

――ニブル山は死の国の入り口。

そんな伝承は、ニブルヘイムの育ちであれば誰しもが聞いたことのあるものだった。当然クラウドも母親から聞かされていたし、危ないから決して近づいてはいけないときつく言いつけられた。
クラウドのみならず、村の子供は皆そうだ。村長に溺愛されている愛娘のティファもそれは例外では無く、寧ろ他の子供の倍くらいは煩く言われていた筈だった。

『ママに、会いたい』

一ヶ月前にティファの母親が亡くなり、すっかり意気消沈した彼女はそう言って単身ニブル山の山頂を目指した。彼女の取り巻き達も何人か同行したが、皆ニブル山の冷たく厳しい、そして恐ろしい空気に呑まれて引き返した。残ったのは、彼女たちから何メートルも離れ、こっそり後を追った、普段は殆ど彼女と話すこともないクラウドだけだった。
ニブル山は所謂『自然豊かな山』ではない。草木は殆ど生えないし、出没するモンスターは凶暴。古くは冥界の女王が住んでいたとも言われており、外から見ていても不気味な山だった。そんな危険な場所を、子供がふたり。恐ろしくはあったが何よりティファが心配で、クラウドは何とか彼女を見失わないようについていった。

『ひっ』

大人が二人も体重をかければ壊れてしまいそうな程に老朽化した吊り橋。下を見ればそこは深い谷間で、子供どころか大の大人であっても足が竦むような高さだった。吊り橋は体重を僅かにかけただけでもギシギシと悲鳴を上げ、足場もボロボロでいつ腐り落ちてもおかしくなかった。

『きゃああ!!』

ただでさえそんな不安定な場所で、精神的にも落ちついていなかったティファが平静でいられた筈がない。彼女はまるで導かれるように(或いは引き摺られるように)谷底へと落下し、反射的に彼女を助けようとしたクラウドもまた、バランスを崩してその後に続いてしまった。
死ぬ、と思った。生まれて初めて死を覚悟した。先に落ちていくティファへ手を伸ばそうとしても、短い手足に加えて空中では何も出来ない。無力さに泣きそうになったクラウドの身体が――ふわり、と突如落下をやめて浮き上がり、そのまま何か温かいものに捕まえられた。

『ああ、びっくりした』

不意に落ちてきた脳天気な声に、びくりと身体を揺らしたのは無意識のこと。それを暴れていると受け止めたらしい相手は、『大丈夫だよー』とやはり緊張感のない声で言った。

『じっとしててねー、今下ろすから』

言われて初めて、クラウドは此処が本当に崖の下だと気づいた。日の光が殆ど届かないそこは、冷たく暗い岩ばかりに囲まれていて、そこにいるだけで不安が募る。見ず知らずの誰かに抱き抱えられているという状況と相俟って、クラウドは酷く落ち着かない気持ちになった。

『びっくりして気絶しちゃったんだね。怪我も無いしすぐ目を覚ますよ、きっと』

動かないティファをそっと横たえ、脈拍や呼吸を確かめた女がこちらを振り返る。

『……わあ』

女はクラウドと眼を合わせると、一瞬酷く驚いた顔をした。そしてまじまじと穴が空くほどクラウドを眺めた。そして驚いて声も出ないクラウドを、まるで高い高いでもするかのように両手で抱き上げた。
あまりに突然のことに、照れるのも怒るのも忘れて悲鳴を上げたクラウドは

『天使!』

という、突拍子もない女の言葉に反論する術など、当然持っていなかった。

『天使が空から降ってきた! 凄いね! 凄いねえ!』

私天使君受け止めちゃった! そう言って満面の笑みを浮かべ、クラウドを高い高いしたままくるくる回り出す女。その物凄い場違いなはしゃぎっぷりは、彼らが凶暴なニブル山のモンスターに目を付けられるそのときまで続いたのだった。

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