かなしき人よ、どうか手を | ナノ
▼ 01

そこはとても美しい場所だった。静謐で、生臭さともカルキ臭とも縁の無い、澄んだ水の匂いがした。頭上にあるガラスのような天板が、光を集めてそれそのものが月のように輝いている。寝転んだ岩肌はつるりと滑らかで、月長石か白大理石に似ている。銀色の光が一面に降り注いでいて、まるで夢のように美しい。
しかし、

「が、は……っ!」

そんな幻想的な風景も、この死に体では楽しむ余地がない。いや、死に体というのはもののたとえに過ぎない――死にたくて死ねる身体ではないから――のだが、兎に角『死にそう』な傷は負っている。
人間は身体の三分の一に火傷を負うと、皮膚呼吸が出来なくなり危険度が増すという。しかし今や彼女の身体は、三分の一どころかほぼ全身が火傷に覆われていた。おまけに腹部の、丁度盲腸がある辺りには何かの機械の破片が深々と刺さっている。刺さったままであるお陰で出血は多少抑えられているものの、じわじわとしみ出す赤黒い液体が服と床を汚していた。

「あ、あは……くない。痛くないのが、逆に怖い……あは……あはは」

びっくり、した。暢気にそんなことを呟きながら、ひゅーひゅーと危うい呼吸を繰り返す。舌と歯が無事だったのが有り難い。これなら、詠唱出来る――魔法が使える。

「ロキ」

掠れた声で名を呼べば、その場に巻き起こる旋風。間もなく現れた美しい青年に、彼女はにっこり笑って「手伝って」と囁いた。

『何をだ? 介錯か?』
「あはは……別に……いーよ。……それで、殺せる、と、思うなら、ね」

口の端からだらだらと血を零し、咳き込みながら。それでも余裕を崩さない女に、男はちっと舌打ち一つ。そしてやおら手を伸ばし、女の腹を抉る鉄の塊に手をかけた。

『五秒数えろ。引き抜いてやる』
「ん……お願い」

目を閉じて、歯を食いしばる。五秒、四秒、三、にぃ、いち……

「――……っンぐ、ゥン゛んんっっ!!」

傷どころか全身、指の先から脳髄までを食い破るような激痛。思うがままに悲鳴を上げれば多少軽減出来たのかもしれないが、舌を噛み切る事態になれば一大事だ。パキン、と奥歯が割れる音がした気がするが、それも最早些末なこと。ずるりと抜き取られた破片から、ぼたりと血液が垂れた。

『おい、寝るな馬鹿女』
「ぅ、ァ゛、かって、る゛……」

引き攣れた声で、縺れる舌で、それでも何とか唱えたのは最高位の治癒呪文であるケアルガ――ではなく、蘇生呪文のアレイズだ。蘇生とはいっても本当に死んだ者を蘇らせる魔法ではないが、普通これを使うのは死の一歩手前くらいの場合だ。意識の無い間にかけられた経験はあっても、自分自身にかけた経験がある者はあまりいないだろう。

「っは、ァ、あ、はァ……」

飛び出た内臓がきちんとしまわれたことを触診で確認し、あとはフルケア。全身の痛みが綺麗に取り除かれ、女はやっと人心地ついた。傷は塞がったものの恐ろしく失血したことによるショックが消えていないため、頭痛と気怠さと吐き気はまだまだ残っているのだが。

「ん、ぅ」

何とか呼吸を整え、少しずつ上体を起こす。目眩がしたが、何とか堪える。霞がかかったような頭を鞭打って回転させ、改めて周囲を見回し――

「此処、何処?」

聞きようによらなくても、大変に間抜けな独り言を零した女。残念ながら無人らしいそこで、彼女のそれに親切にも答えてくれるような物好きは何処にも存在しなかったのだった。

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