かなしき人よ、どうか手を | ナノ
▼ 02

ザックス・フェアは神羅カンパニーの元ソルジャーである、らしい。そしてそのソルジャーという精鋭達の中でも数少ない『ファースト』クラスであり、社内でもなかなかの武勲を上げていた、らしい。
『らしい』と敢えて付けているのは、他ならぬザックス自身にその自覚が全く無いからだ。否、そもそもザックスには、自分がそのソルジャーであったという認識、記憶そのものが欠落している。それどころか『ザックス』という名前すら、自分の名だと言われなければそうと思うことはなかっただろう。
深い深い昏睡から目を覚ました彼を、エアリスが『ザックス』と呼んだ。だから彼は自分を『ザックス』であると認識している。それだけのことだった。

「はよ、フィー」
「おはよー」

正直『宿屋』を名乗るのもどうなんだと思うようなボロ部屋から出て階下に降りると、先に朝食を摂っていた女がひらりと手を振った。彼女の皿はもう半分ほど空になっていて、どうやら自分が寝坊したらしいとザックスは息を吐く。

「悪い、もしかして俺出遅れた?」
「平気だよ。私のが早起きしなきゃ駄目だっただけー」

ホラ、と端末の時刻表示を翳してみせるオフィーリア。パサパサのパンをスープに付け込んで平らげ、唇の端をぺろりと舐める。子供染みた仕草が何故か色っぽく見えるのは、多分本来の顔立ちに『愛らしさ』という成分があまりないせいだろう。
いつもにこにこへらへらしているからわかりにくいが、元々彼女はつり目できつめの顔つきだ。だからふとした瞬間に真顔になると、それに見慣れていない大抵の人間が一瞬気圧される。

「あー、そうか。フィーは遠出の依頼だっけ」
「うん。ただの護衛だけどね。ジュノンまでだけどトラックでガーっと行くから、一週間くらいで帰れるかな」

ごちそうさまー。といつの間にか空っぽになった皿をそのままに、料金もテーブルに載せて立ち上がる。この宿では宿代と食事が別料金のためだ。そのためコストはやや割高であるが、ある程度好きなときに温かいものが食べられるという利点もある。

「てゆーか、私よりそっちだよ。ちゃんとエアリスについててあげてよねー」

びしっと両手の人差し指でザックスを指さすオフィーリア。先程までの笑みとは一点、渋面を作ってみせる彼女に、ザックスも「分かってる」と真面目な顔を作った。しかしオフィーリアはそれで良しとは言わず、「君もだからね」と再度ザックスを差した。

「向こうさん、エアリスのことは大事にしてるみたいだけど、ザックスのことは寧ろ殺してやるかみたいな勢いじゃん。一体君がどんなやんちゃしたのか分かんないけど、君こそエアリスから離れたら即効で殺されるかも知れないってこと自覚してなよ」
「……おう」
「調子乗っちゃ駄目なんだからねー」

耳に痛いことを言い残したオフィーリアは、そのままひらりと手を振って宿を出て行く。残されたザックスははふりと深い溜息を吐き、ようやく運ばれてきたカチカチのトーストに食らいついた。

 † † †

全生活史健忘。俗に言う記憶喪失。心因性のものが多数であるが、稀に頭部外傷を起因とするものもあるという。所謂「此処は何処? 私は誰?」という状態になる症状を指すのだが、二ヶ月前に昏睡状態から目を覚ましたザックスは、まさにその状態だった。

『なあ、アンタ誰? 此処は何処? っていうか……俺って誰?』

痛む頭とさかのぼれない記憶。見慣れない部屋に見慣れない女。軽くパニックを起こしかけたザックスを容赦なく引っぱたいて現実に引き戻したのは、その『見慣れない女』であるオフィーリアだった。

『此処はミッドガルのスラム街。私はオフィーリア。君のことは知らない。だって君と私は知り合いじゃないからね』

聞けば、ザックスはこのミッドガルを見下ろせる丘(というか崖)の上で死にかけていたのだという。全身は銃創に切り傷、火傷だらけ、出血量はとうに致死量を超えており、辛うじて無事と言えそうなのは首から上だけ。文字通り虫の息だった彼を見つけたオフィーリアは、最初「何とか助けよう」ではなく「取り敢えず埋めてやるか」としか考えなかったらしい。

『ひっでえなソレ! だって俺まだ生きてたんだろ!?』
『まあねー。でも正直無理かなって思ったし。幾ら魔法得意だって言っても、MPが無限って訳じゃないからさー』

だったら無駄なことしなくて良いかなって思って。あっけらかんとそう続けたオフィーリアに呆れかえったものの、じゃあ何故助けたんだと尋ねたザックスに、彼女は「君が探し人かも知れなかったから」と答えた。

『私の友達のボーイフレンドがね、どーも君とよく似た人なんだよ。神羅のソルジャーだって言ってたし、特徴が凄く一致するから。他人かも知れないけど、本人確認するまでは死なせちゃ駄目かなと思ってさー』

というわけで。
幾重にも蘇生魔法と回復魔法を重ねがけされ、更にはエクスポーションだのエリクサーだのといった高価な薬を傷にぶちまけられまくった結果、ザックスはどうにか一命を取り留めた。しかし容態が安定してもそのまますぐに目覚めることはなく、半月にわたる昏睡の末、ようやく意識を回復した。
自分の名前を含めた、全ての過去を代償に。

『それ、人違いだったらどうするんだよ』
『そのときはそのとき。ケ・セラ・セラってね』

あまりにも暢気なオフィーリアの言葉に、そのときは感謝しつつも酷く呆れたものだ。今も思い返せば呆れの色合いが強いが、それはそれとして。

「ま、折角助かったんだし、文句を言うのはお門違いってな」

本人は全く覚えていなかったものの、『ソルジャー』である彼の身体は一度目を覚ませば見る見るうちに回復していき、目覚めるまでにかかったのと同じ半月程度で自立歩行が出来るようになった。そして、

『今日このあとお客さん連れてくるから、ちょっと覚悟しといてねー』
『客?』
『前言ったでしょ、君のガールフレンドかも知れない子がいるって。人違いかも知れないから、あんまり詳しいこと言わないで連れてくるつもり。悪いけどそのときは適当に話合わせてね』

と、雑なことを言い置いたオフィーリア(彼女はその日までザックスを『君』としか呼ばなかった)が連れてきたのは、ピンク色のワンピースが良く似合う女性、もといエアリスで。

『ザックス……!!』

と、数秒の硬直の後に涙をボロボロとこぼして抱きついてきた彼女のお陰で、ようやくザックスは己を『ザックス』であると認識できたのだった。

「ザックス、何か言った?」

ミッドガルのスラム街。珍しく花などが群生しているその教会で、黄色い花を摘んでいたエアリスが首を傾げる。印象的なグリーンの瞳がぱちぱちと瞬き、年齢には不相応な程に純粋な輝きに、ザックスは思わず目を細めた。

「エアリスとまた逢えて良かったな、って思ってさ」
「ザックス……」

また、といっても、ザックスにはエアリスと過去に会った記憶は無い。エアリスもあまり多くは語らないから、実際に『ザックス』と彼女がどんなやりとりをしたのか、その具体的なところは分からない。一ヶ月前に『再会』したとき、ザックスが記憶を持っていない分かった時ですら、彼女は昔のことを必要以上に話さなかった。

「私も、だよ。ザックス。ザックスにまた逢えて、私、ほんとに良かった」

だがそれでも、エアリスは笑ってくれた。また逢えて嬉しいと言って、泣きながらも笑ってくれた。そしてザックスもまた、そんな彼女の笑顔を酷く愛しいと思ったから、困惑も自己嫌悪も跳び越えて彼女に笑い返したのだ。

[ back to top ]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -