かなしき人よ、どうか手を | ナノ
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「は……?」

ぽかん、と阿呆のように口を開けて固まる少年は、白い頬を真っ赤に染めることすらなかった。脈絡がなさ過ぎて、何を言われたのかいまいち理解出来ていないのだろう。オフィーリアはここぞとばかりに、そのまろい頬をうりうりと指で突いてやった。

「だーかーらー、好きな人だってば。いるんでしょ? ティファちゃんとかティファちゃんとかティファちゃんとかさー」
「んなっっ、ぁ……!!」

ようやく脳味噌が言葉の意味を咀嚼し終えたらしく、クラウドはぼんっっと大変愉快な音を立てて顔中、首まで真っ赤に染め上げた。何度も述べているが、肌が雪のように白いお陰で、赤くなると大層分かりやすい。
ぱくぱくと金魚のように口を開けたり閉じたりしているクラウドの反応があまりにも初心なもので、少しではなく刺激が強すぎたらしいとオフィーリアは少し自制する。
……というかまさか、この期に及んで気づかれていないつもりだったのだろうか。

「まあ、天使君の初恋物語云々は置いておくとして」
「っっ……!」

だったら何故言った、という心の叫びが聞こえてきそうだが、それはそれとして。

「別にそういう意味じゃなくてもさー、ホラ、君のママさんとかね。家族として好きー、とか、友達として好きーとか。何でも良いんだけどさ」
「ま、んぐっっ」
「しーずーかーにー」

恐らく「紛らわしい言い方するな!!」と怒鳴ろうとしただろう少年の口を軽く塞ぐ。もごもごと口を動かしつつ、しかし手に噛みついてこない辺り彼は本当にイイコだ。オフィーリアは自分の腕にギリギリと爪を立てられている事実を華麗に無視して微笑む。
多少は痛いが、まあこの程度は許容しよう。

「まあ、何だろうね」

夜のニブルヘイムは静かだ。が、今日は村唯一の宿屋がなかなか賑やかで喧しい。恐らく商人達が酒盛りでもしているのだろう。カーテンの閉め切られた窓から、僅かに室内灯の明かりが漏れている。酒を飲んでいる人間特有の、張り上げる必要の無い、大声や笑い声が絶えず聞こえてきている。

「くっさい言い方をするとね……どうせ強くなるなら、君が好きな人のために強くなって欲しいなっていう、まあ、うん。それだけの話なんだよねー」

魔女という生き物は、その魔力以外は然程人間と変わりない生態を持つ。元は人間の女がなるのだから、そうそう羽が生えたり角が生えたりしたりするわけではない。
けれどその能力を除いてもう一つ大きな違いを挙げるなら、それは――ある条件を満たさない限りは、どれほど傷ついても決して死ぬことが出来ないこと。そしてそれに伴い、老いることが出来なくなることだろう。

「オフィーリアさんはね、これでも君が思うよりずーっと長生きをしているんだよね。で、まあ、そうやって無駄に生きてるとね、色んなことに出くわしたり巻き込まれたり、自分から巻き込んじゃったりするわけだ」

オフィーリアはもう、自分の年齢を数えていない。魔女が死ぬための条件を意図的に満たさぬままに、惰性で年を重ねて生きているからだ。見た目こそ若い女だが、心は既に枯れてしまっていると言っていい。
過去の大まかな出来事は何となく記憶しているが、これもいつまで覚えていられるかは自分でも分からない。もとより記憶力には然程自信がないので、何となく思い返す出来事がいつのものだったのか、その前後関係すら正直よく分からないことも多かった。

「生きていくとね、色んな人に出会うよ。良い奴も嫌いな奴も、強い人も弱い人も。これから大きくなる君が、きっとそうであるように」

よしよしと跳ねた金髪を撫でる。常ならぬオフィーリアの雰囲気に押されてか、クラウドの腕の力はいつの間にか抜けていた。

「そういうわけで、オフィーリアさんも統計取ったり共通点探すのも馬鹿らしいくらい、色んな人に会ったけど。でもね、その中でも凄く……そうだね、印象的っていうのかな、見てて、『ああ、いいな』って思った人たちにはね、みんなみんな『好きな人』がいたよ」

腕っ節の強い者もいた。軟弱極まりない者もいた。出会ってからすぐに旧知の仲のように馬が合った者もいたし、どうあっても仲良くはなれないと倦厭した者もいた。

「物凄い力自慢がね、奥さん相手だとすっかり腰が低くなるの。へっぴり腰過ぎてダガーも触れないようなお兄さんが、妹のためにって物凄い距離を行き来して医者を呼ぶの。物凄い剣の達人がね、たまたま拾った捨て子の赤ん坊を抱き抱えて幸せそうに笑ったり。親兄弟失って悄気返ってた子供が、同じように困ってる人たちのために知恵を絞るの」

報われるような出来事ばかりでは、勿論なかったけれど。

「だからね、クラウド君。君が今好きな人を、出来るだけ長く好きでいなさい。どうしても好きになれなくなったら、別の人を好きになるの。そうすればね、いつだってその人のために頑張ろうって気持ちになるよ」

仮に彼がこの先、望む強さを手に入れられなくても構わない。武力が全ての世界なんて、酷く狭苦しいものだ。強くならなくても、何かを成すことは出来る。挫折しようが何だろうが、彼がいつかそこに行き着いてくれれば良い。

「好きな人のために頑張る人ってね、そりゃあもうみっともなくて見苦しくって意地汚くて――うつくしくて、さいわいなんだよ」

とろりと蕩けるような笑みを見せて、オフィーリアはそっと空を見上げた。金色の月がぽっかりと浮かんでいる。クラウドの髪と同じ色だ。夢のように美しいあの衛星にはしかし、地上に蔓延るよりもずっとおぞましいモンスター共が棲んでいる。

「フィー……?」

戸惑った声音で名を呼ばれ、視線を落とす。オフィーリアに無理矢理膝の上に座らされたままの体勢で、クラウドは何とかこちらを振り返ろうとしていた。オフィーリアはクスリと笑みを零し、よいしょ、と自分の隣にクラウドを腰掛けさせる。そして代わりに自分が立ち上がり、一段低い場所に膝を突いた。

「君は、どんな大人になるのかな」

戸惑ったように、クラウドの瞳が揺れる。緑がかかった青い瞳。いつか見た、南の国の海の色。宝石のように美しいこれも、いつか現実の冷たさにひび割れるのだろうか。

「君が望むような君に、なれるのかな」

そう、と両手で頬を包む。寒さでやや体温を失ってはいても、それでもなお温かい。柔らかな金色の髪と睫毛が、月明かりにキラキラと輝いている。

「可愛い私の天使君」

綺麗な子。心の美しい子。少しだけの不器用さで、色んなものに弾かれてしまっている子。

「強くなっていいよ。気の済むままにやりなさい。だけど、ひとりでいちゃあいけない。君が今好きな人を、これから好きになる人を、心の片隅にいつもおいておくの。そうすればきっと、溺れることも見失うこともなくなるから」

強くならなくていい。とは、言わない。彼はまだ幼いから、強いものに憧れて、夢を見て、ひたむきに歩く頃だから。がむしゃらになっていれば良い。

「フィー……」

そうしていつか、世界の何処かで、

「しあわせに、なりなさい」

目を伏せて、こつんと額を合わせれば、小さく息を呑む気配。
きっと別れれば二度と出会うことの無いこの少年が、どうかさいわいであるようにと。
魔女は静かに、けれど確かに希った。

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