かなしき人よ、どうか手を | ナノ
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「す、凄いですね」

どうぞ、と小屋に招かれた少年は、その中があまりにも広く綺麗であることに酷く驚いたようだった。

「ん、何がー?」
「何が、というか……何もかもが、という感じなんですが」

仄かな恋慕に裏打ちされた高揚と、今目にしている奇妙さ故の戸惑いがない交ぜになっている顔。笑おうとして失敗した顔は結構面白いのだが、オフィーリアは我関せずとばかりにほけほけ笑うだけ。そうして当たり前のように紅茶の準備をして、彼の目の前に差し出した。

「あ、あの……」
「どーぞ?」

にっこりと柔和に、けれど有無を言わせない態度で。鼻先がくっつきそうな程……では勿論ないけれど、心なしか顔を近づけて紅茶を勧めれば、それこそ完熟したトマトみたいになった少年が「あ、ありがとうございましゅ!」と上擦った声を上げた。微妙に舌も噛んでいた。面白い。

「甘い物は平気?」
「あ、は、はい!」

作り置きしておいたクッキーを菓子鉢に盛って渡し、にっこり。戸惑いながらも彼がきちんと喉を潤し、クッキーに手を伸ばすのを見てそっと内心ほくそ笑む。微笑ましいからではない。彼がきちんと、我知らずに『取り込んでいる』ことへの安堵と高揚からである。

(よしよし)

彼が胃の中に入れた茶葉、そしてクッキーに使用している小麦粉やバターなどの材料は外から購入したものである。が、紅茶に使用した水、そして湯を沸かしたりクッキーを焼いたりしたときの火は、当然オフィーリアの魔力で生成されている。もっと言ってしまえば、この小屋の中に形成された亜空間の空気自体、オフィーリアが創り出していると言っても過言ではない。
何によって創り出しているかと言えば、それは当然『魔力』だ。つまり此処で呼吸をする度、オフィーリアが出した紅茶や菓子を口に入れる度、此処を訪れる者達は微量ながらもオフィーリアの魔力を取り込んでいることになる。

「ゲイル君、だっけー?」
「っっ!? っげほ! げほっ、ゴホゴホッッ!」
「ありゃま。ちょっとちょっと大丈夫ー?」

あくまで微量であり、数日もあれば体内から消えてしまう程度の微細なそれは、しかしあくまでもオフィーリアが持つ純然たる魔力の断片である。故に取り込んだ人間は、僅かの間ではあるがオフィーリアにとって『干渉』しやすくなるのだ。

「はい、お水。ゆっくり呑んでねー」
「っぇほ! げほ! は、はあ……あ、ありがとう、ございます……」

オフィーリアが得意とするのは空間魔法である。この小屋のように限られた空間の中に自分の意のままに出来る亜空間を創り上げることが、その最たるもの。また、ひとたび一定の空間を支配下に置いてしまえば、そこに閉じ込めたものは全て意のままに出来ると言って過言では無い。
しかしその反面、時間魔法や精神魔法はあまり得手では無い。ヘイストやスロウといった人間でも擬似的に使用できる魔法は問題ではないが、自分や誰かを過去や未来へ送ったり、相手の精神を好き勝手に操るということはどうにも苦手だった。

「落ちついたみたいだねー。よかった」
「……おっ、お見苦しいところを」
「気にしないでいいよー。……と、そうだ。ねえ、ゲイル君」
「は、はい」

故に、

「『此処』には、何もおかしなものなんてないよ」

精神の未熟な子供ひとり操るにしても、事前にこうして魔力を取り込ませておきたいところなのだ。

「え……?」

声音のやや不穏な響きに気づいたのだろう、ゲイルの表情筋が僅かに強張る。オフィーリアは再びにこりと微笑んだ。

「だからね、『此処』は普通なの。何もおかしいことなんて無い。私は此処で『普通』に暮らしてる。君のパパさんや、他の仲間にわざわざ言うことなんて『何もない』」
「……」
「君は私を訪ねて、お茶とクッキーを食べて帰る。『それだけ』なんだよ」
「……」

ゆらり、ゆらり。戸惑ってあちらこちらに揺れていた瞳の動きが、少しずつゆっくりとしていく。まるで振り子が少しずつその振り幅を縮めていくように。目の焦点が僅かずつあわなくなり、瞳孔が開き始める。茫洋とした表情。……精神が掌中に収まる。

「分かるよね、ゲイル君。君は『不思議なものなんて何も見ていない』んだよ」
「……」
「この小屋は山の近くで、モンスターも時々出て危険なんだよね。だから『此処には近づかないように』しないといけないよ」
「……」
「分かるよね、ゲイル君?」
「……はい」

ゆらゆら、ゆらゆら。虚ろな目と声で、けれど確かにハッキリと返事をする少年。オフィーリアはそれに、場にそぐわないほど屈託無く微笑んだ。

「良く出来ました」

パチン、とひとつ、指を鳴らして。

「……え? あ、あれ……?」

そうすれば、まるで虚ろそのもののような面差しをしていた少年が、生き返ったかのように我を取り戻した。

「あ、あの、僕……」

きっと記憶が飛んだかのように感じているのだろう彼に、オフィーリアはにこりと微笑む。

「ちょっとぼーっとしてたよ、君。きっと疲れてるんだねー」

それ飲んだら、もう帰った方が良いよ。悪意の無い笑みで(実際に悪意『は』ないのだ)そう告げて、オフィーリアはよっこらしょと向かい側に腰掛ける。普段はクラウドが座っている椅子だからか、どうしても僅かに違和感がある。

(ま、今回はこれでどうにかなるでしょ)

精神魔法は苦手だが、此処はオフィーリアの創り出した空間で、且つゲイルは今し方オフィーリア手製の紅茶と菓子を口に入れたばかりだ。此処までお膳立てすれば、特別精神力が強いわけでもなく、また逆に弱いわけでも無い少年一人の記憶と認識を操作することくらいは出来る。自我や自由意志に影響を及ぼさないレベルに絞るのはやや難しいが、対象もたった一名だし、これならまあ、問題はないだろう。

(それにしても、こういうイレギュラーもあるんだねー)

この村の人間は、オフィーリアが何をしていようと干渉してこない。明らかに人間が住める場所では無い小屋に棲み着いても、「余所者だから」という理由だけで知らん顔をし、やることなすことを見ないふりをしている。
そしてクラウドやティファのような例外は、定期的に此処を訪れて食べ物を口にすることで、今ゲイルがかけられたようなものとよりはかなり微弱な、しかし潜在意識を操作する魔法にかけられている。オフィーリアが此処で暮らすこと、この小屋の内装が明らかに外観と合っていないことを「当然」「普通」と認識している。
どちらにせよ、彼らはこの村という閉鎖された空間にいるから問題ではない。だがゲイル達は行商人だ。閉鎖とは真逆の生活圏を持ち、またクラウド達のように此処に長く通ってくれるわけでもない。となれば、この一回で完全に洗脳してしまうのが一番良いのだ。

(一年、は、居られないかも……ね)

もう少しフレンドリーな場所であれば何もしなくても五年は誤魔化せただろうが、運も初手も悪かったということだろう。ただまあ、あの可愛らしい少年と少女に出会えたのは大層な僥倖だった。そこはきちんと満足しておくべきだろう。
オフィーリアは自分の紅茶に口を付けつつ、そっと目を伏せる。澄んだ琥珀色の水面に、心なしかくらい表情のオフィーリアがくっきりと映し出されていた。

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