かなしき人よ、どうか手を | ナノ
▼ 06

あれはもう、どれほど昔のことだったか。

『お前、俺が死んだら泣けよ』
『……何それ』

節くれ立った、皺だらけの手。年の割に肉はまだついていたけれど、それでも々しくて、枯れ枝を連想させた。同じだけ皺の寄った顔を、笑みの形にくしゃくしゃにした彼は、声もやはり嗄れ気味だった。

『良いから、泣けよ。思いっきり泣け。泣いて泣いて、体中の水分切れるまで泣け、涙どころか鼻水から涎まで垂れ流せ』
『きたないんだけど』
『うるせえよ。良いか、間違っても我慢すんなよ、誰が見てようが大声で泣け』
『訳分かんない』
『分かんだろ』

苦い顔をしたオフィーリアに、『彼』はふと真顔になった。そう、真顔だった。真剣な目で、こちらを見上げていた。

『泣きたいときゃあ、泣いた方がぜってえ良い。俺が一番最初に教えたことだろうが』

そう言って笑った気配。笑っていた。優しい顔で、そう言われた。
その笑い顔も『彼』の名前も、既に思い出せなくなっているけれど。

「……そうだね」
「え?」
「ん……あはは。ごめんねー。独り言、独り言」

目尻を真っ赤にさせたティファに、氷を包んだタオルを渡してやりながらオフィーリアはへらりと笑う。不思議そうな顔をした彼女と、怪訝そうにこちらを見上げるクラウドの頭を交互に撫でる。そうしてもう一度、今度は心の中でだけ呟いた。

(本当に、そうだね)

泣きたいときは、泣いた方が良い。顔も名前も忘れた今も、その言葉だけは、確かなものとして息づいている。

 † † †

気がつけば、外の世界には夕闇が迫っていた。亜空間とはいえ、窓の外から見えるのは『現実』であり『実世界』である。此処の時間の流れは外と変わらない。オフィーリアはティファの目の腫れがだいぶ引いたのを確認し、「そろそろ帰らないとね」と口を開いた。

「ティファちゃんパパ、心配するよ」

来たくなったら、また、いつでもおいで。柔らかくオフィーリアがそう告げると、ティファは茶色の瞳を潤ませて微笑んだ。薔薇色の頬に、涙のあとはもう無い。少しだけまだ目尻が赤いが、それも明日には引くだろう。

「ありがと、フィー。クラウドも」
「え……いや、俺は何も」

ふるふると戸惑いがちに首を横に振るクラウド。謙虚なのか卑屈なのか微妙なところだが、此処でこういう遠慮は不要だろうに。苦笑するオフィーリアと同じ気持ちだったのか、ティファは「そんなことない」と強い口調で言った。

「クラウドがこんなに優しいって、ずっと知らなかった。私、たくさん損してたんだね」
「そ、んなこと……」
「こーら」

にこりと微笑むティファ。白い肌を耳まで赤く染めるクラウド。大変微笑ましいが、やはりその否定は不要だ。オフィーリアはやおら手を伸ばし、わしゃりと少年の髪を撫でつける。

「ぅわっ!?」
「お姫様からのお褒めの言葉は素直に受け取んなさいー。女の子の言葉を否定ばっかりする男はモテないんだかんねー?」
「ちょ、やめっ、やめろよフィー!」

わたわた暴れるクラウドの様子があまりにも必死なのが面白いらしく、ティファが噴き出した。先程までとは別の意味で涙が出るほど笑い転げた彼女には、少し前までの陰りなど欠片も無い。笑い声は朗らかで、そして軽やかだった。

「クラウドもフィーも、仲良しね」
「え、ティファちゃんとは仲良しじゃないのー?」

オフィーリアさんてっきりそのつもりだったのにー。わざとらしく肩を落とせば、ティファが目に見えて慌て出す。堪えきれずに笑えば、からかわれていたと分かったティファが今度はぷりぷりと怒り出した。

「フィーのいじわる!」
「あははは!」

ぽかぽかと加減した力で叩いてくるティファをどうどうと宥め、オフィーリアはやっともう一度ティファに帰宅を促した。こうしている間にも西日はどんどん沈んでいく。幾ら遠くないしモンスターも出ないとはいえ、子供を灯一つ無い道に出すわけにはいかない。

「天使君はちょっと待っててねー。いま、お土産包んじゃうから」

毎度このときばかりは贔屓しているみたいで心苦しいのだが、無理に持たせてティファが嫌な思いをするのは本意ではない。ティファをやっと送り出し、クラウドと彼の母の分のプリンをきちんと固定して籠に収めていると、背後から何やら強い視線を感じた。

「なーに?」
「なに、じゃない」

肩越しに振り返って見ると、そこには椅子に腰掛けたままのクラウドがジト目でこちらを見つめている。はて、と首を傾げたオフィーリアに、彼はますます不機嫌そうな顔をした。

「昼間の話、まだ終わってない」
「……わーお」

そういえば、とティファが来るまでの流れを思い出すと、背中に少しばかり嫌な汗が伝った。実のところ半分くらい忘れていたのだが、どうやらそれはオフィーリアだけだったらしい。流石に決まり悪くなって苦笑いを浮かべると、クラウドはますます目を据わらせてオフィーリアを睨め付けた。

「フィー」
「ごめんなさい」

こうなると素直に謝るしか出来ない。オフィーリアは小さく溜息を吐いた。籠を手にとって振り返るものの、小さな少年は小さいくせにすっかり籠城体制というか、「うんと言うまで帰りません」オーラを出している。これを誤魔化したり宥め賺したりするのは骨が折れそうだ。

(剣を教えてくれ……だっけ?)

参ったなあ、と内心ぼやいたところで、どうにかなるわけもない。あまり長引かせるとクラウドの母が心配するだろうし、かといって適当にあしらうのは良心が痛む。何よりこうして見上げてくる青い瞳は子供だてらに酷く真摯なものだから、言葉を尽くして煙に巻くのは失礼な気がしたのだ。
子供という生き物が、大人から見て酷く下らないことにも真剣になりうる生き物だと、そういうところは分かっているけれど。

「クラウド君」

ちょっと真面目に話そうか。オフィーリアが諸手を挙げると、クラウドは当然だと言わんばかりに大仰に頷いた。

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