▼ 06
ひいひいとまだ声を引き攣らせるオフィーリアは、それこそ涙目になっていた。笑ったり怒ったりして印象ががらりと変わる人間はおうおうにしているが、オフィーリアもその一人なのは間違いない。
「それすっごい言われるよー。初対面でもそうじゃなくても『つんけんすんな』とか『怒ってるの?』とか」
そしてそれを本人も自覚しているようだ(直す気は多分無いらしい)。笑うと寧ろ幼くて柔らかいイメージが出てくるが、確かに普通にしていると彼女は少し、怖い。クラウドも、気絶したティファを抱えて彼女が山を下りる間、真顔でモンスターを屠る姿に少しばかり恐怖を覚えたものだった。
「そんなつもりは全然ないんだけどねー」
「フィーは真顔が怖いんだよ」
「それも言われる。でもそれってどうしようもないよねー」
後から聞くと彼女は別段不機嫌でもなく――寧ろ「天使を見つけた」と上機嫌ですらあり――ただ少しばかり気を張っていただけだというが、普通にしているだけなのに確かに『怒っている』ようにも見えた。本人のせいというより、本当に顔つきと雰囲気だけの問題なのだろう。
その分、笑うとすっかり印象が崩れるのだけれど。
「はー笑った笑った。面白いな、ティファちゃんは」
「そ、そう?」
「うん。可愛いから全然問題無いけど」
可愛い、という手放しの褒め言葉に、ティファの頬がうっすらと染まる。確かに可愛い、と心の中でクラウドは同意し、はたと我に返って首を横に振った。何考えてるんだ、俺は。
「クラウド?」
挙動不審なクラウドに気づいたティファが、やおらこちらを見る。慌てて「何でも無い」と返したものの、声が引き攣ってしまった。ティファはますます不審に思ったようだったが、言及はしないでくれたのでほっとする。
「繊細な男心の発露だよ。そっとしておかなきゃ」
「え?」
「フィー!」
余計なことを言い出したオフィーリアに、無駄と分かっていても怒鳴るのは忘れない。
「天使君はご機嫌ナナメだ」
お前のせいだろ! という叫びは結局外に出てこなかった。怒鳴るよりも何だか疲れてしまって、クラウドは無言のままずず、と音を立てて紅茶をすする。「怒んないでよー」と気楽な声が降ってきて、まるで当たり前みたいに頭を撫でられた。
「ごめんねクラウド君、機嫌直してちょーだいな」
ああ、もう。普段はしつこいくらい天使呼ばわりしてくるくせに、こういうご機嫌取りの時ばかり名前を呼ぶのだから始末に負えない。普段の馬鹿笑いとは違う、ちょっぴり困ったような笑い方も苦手だ。
「……頭触るな」
「えー、もうちょっと」
「駄目」
ちぇっ、と肩を竦めるものの、オフィーリアは躊躇わずクラウドの頭から手をのけた。遠ざかる体温を感じながら、取り敢えず掻き乱された髪の毛を手で整える。「それ整える必要あんの?」という失礼な発言が飛び出したので、遠慮無く向こう臑を蹴ることにした。
「あいた! ちょっと天使君今のは酷いでしょ!」
大袈裟に痛がるオフィーリアは本当に落ち着きが無い。少しばかり溜飲を下げたクラウドは、本人も気づかないうちに小さく笑った。
「……ふふっ」
それにつられてか、呆気にとられるばかりだったティファも、やがてくすくすと笑い出す。以前の――母を亡くす前の――ティファよりも少し控えめな笑顔だったが、それでもこうして心から笑う彼女を見るのは久しぶりな気がした。
「そうそう。難しい顔ばっかりしてちゃ駄目だよ」
と、普段は割と締まりが無い顔ばかりしている大人が言う。こいつは少しモンスターを相手にするときみたいな真面目な顔を増やすべきだろう。怖いけど。
「ね、私もフィーって呼んでいい?」
「勿論。お好きに呼んでちょうだいな」
続けて笑うティファは楽しそうだ。先程までの緊張はもうない。クラウドは人知れずほっと安堵の息を吐いた。
「本当はね、もっと早く来たかったの。でもパパが駄目って聞かなくて……今日も、本当は内緒で此処に来てるんだ。パパは、フィーのことが嫌いみたい」
フィーは助けてくれたのに、と気落ちした様子を見せるティファ。確かにクラウドが思い返してみても、ティファの父親がオフィーリアに何か御礼らしいものを言った記憶は残っていなかった。流石に誘拐犯の嫌疑をかけたりはしなかったものの、外れの方とはいえ村に滞在することにした『余所者』を何とか追い払おうとしていたのは覚えている。
「あはは、知ってるよそんなの。気にしない気にしない」
当のオフィーリアは気楽なものだ。ぱたぱたと手を振って、まるでそれが当たり前と言わんばかりに堂々としている。暢気を体現したような態度だ。
「君のお父さんは正しい判断をしているよ。此処はみんな顔見知りの小さな村、異分子を招き入れるっていうのは不安要素でしかないからね」
「……」
「ま、分かってて居座ってる私も私だけどさ」
どうしても暫く腰を落ち着けたくってね。そう言って顔にかかった髪を掻き上げるオフィーリアの指には、細かな傷が幾つか残っている。どれも古いもののようだが、線の細い女には些か似合わない、少々無骨なものばかりだ。
「ありがとうって、言いたかった」
「ん?」
「ずっと言いたかった。助けてくれてありがとうって。遅くなってごめんなさい」
折角笑っていたのに、ティファはそう言って項垂れてしまった。それが堪らなく嫌で、クラウドは思い切って重い口を開く。
「……くない」
「え」
「ティファは、悪くないよ」
上擦った声だった。自分からティファに話しかけることなんて滅多にないから、当然といえば当然だった。オフィーリア相手には不思議なくらい緊張しないのに、どうしてこうも駄目なのだろう。
驚くティファと、俯くクラウド。流れ始めた微妙な空気を吹き飛ばすように、オフィーリアが二人の肩を叩いた。
「そうそう。天使君の言うとおり。ティファちゃんが気にするコトじゃないよ」
「でも……」
「ほら、笑って笑って! オフィーリアさんはティファちゃんの笑顔がもっとみたいんだよー」
あ、勿論天使君もね? と余計な一言を付け加えたオフィーリアの脛に、クラウドはもう一度渾身の蹴りを入れた。