5月4日。
世間ではゴールデンウィークの中日でしかないただの祝日。


そして、生まれた日にあたる俺は、この日が大嫌いだったりする。



―――ちょうど一年前から……








「いざや!てめえ、逃げんじゃねぇっっ!!」

お決まりのセリフが地を這うような声で怒鳴られる。それと同時に、真っ赤なポストが無残にも道路から足を折られて、軽々と宙を舞う。ありふれた日常。だけど、今日はいつもと決定的な違いがあった。

「ねぇ、なんでシズちゃん、新宿にいるの?ここ、池袋じゃないんだし、そもそも俺の家があるんだから、歩いててもおかしくないよね?なのにどうして、見つかった瞬間追いかけてくるわけ?理不尽なんだけど」

ひょいっと投げられたポストを避けながら抗議するも、追ってくる足音が止むことはない。

はぁ……マジでなんなのさ。
今日だけは会いたくなかったのに……だから、池袋を避けるために請け負っていた仕事もクライアントに話をつけて、新宿でとお願いした。今しがた依頼された機密情報を引き渡し終えたところに、どうやって嗅ぎつけたのか池袋最強がお出ましになったのだ。今日は仕事自体やる気が起きないから、秘書にも休みをやって、臨時休業よろしくこの後は一人で過ごそうと思っていたのに。

シズちゃんと追っかけっこも、臨時休業願いたいよ。したくもない逃走劇に心の中で独りごちる。なんで、いるの?今日は何の日かわかってるの?まさかね。一年前だって覚えてなかったんだから。必死に走りながら、去年のことを思い出す。今日から365日遡った5月4日。当時付き合っていたシズちゃんに俺は別れを告げたのだ。




*  *  *

一年前

5月4日23:55

プルルルと数秒の呼び出し音の後、電話の主が出た。

『臨也?こんな夜中にどうした?』

その声は普段よりも陽気で、まわりはがやがやとうるさい。シズちゃんがどこかの居酒屋にいるのは明らかだった。自分が黙っていれば、普段はあまりしゃべらないのに、酔っ払っているのか、”今日は思いのほか仕事が早く片付いた”だの”それでトムさんが、飲みに誘ってくれて”だとか飲みにきた経緯をうれしそうに話している。

それがあまりにもつらくて。

ああ、シズちゃんは忘れてるとかじゃなくて、きっと興味がないんだろうという結論に至った。恋人の誕生日 なんて――

いや、そもそも俺に関心がなかったんだ。それは、付き合いだしてすぐにうすうすは気づいていたこと。いつでも、二人の間にあった明確な温度差。俺はシズちゃんのこと大好きだけど、シズちゃんは俺のことほんのちょっぴり、好き、くらい。割合で言えば、

100対0.01で好きの度合いが違う。
しかも、俺はシズちゃんが唯一でその他は人間全部というシンプルな構図だけど、シズちゃんの場合は、愛する家族があって尊敬する先輩がいて、最近出来たかわいい後輩にしゃべらない親友や、鍋パーティとかしちゃう友だちもいる。――俺が、特別にみんなより抜きん出ている訳じゃない。所詮、誕生日をすっかりと忘れられちゃうちっぽけな存在なんだ。チクリと心臓に痛みが走る。イタイイタイイタイ……シズちゃんの性格もわかってるから、イベントに疎いのも別にいい。盛大なことをしてほしいとも望んでない。ただ一言、君の口から「おめでとう」って言ってほしかっただけなのに……
電話をかけておいて、ずっと無言になっていた俺にシズちゃんが苛立ちはじめる。

『おい。なんで黙ってんだよ。なんか用があったんじゃねーのか?ねーならトムさん呼んでっから切るぞ?』

電話の向こうでは、上司の「静雄もっと飲めよ」と言う声が聞こえた。決定打だった。怒りとか通りこして、ただ、悲しかった。

「シズちゃん」

『なんだ?』







「別れよう」


口から零れた言葉は驚くほど、冷たい声だった。

『あ?今何つった?』

「もう、シズちゃんとは付き合ってられないって言ったの」

『おい、冗談は……』

「俺、本気だよ?」

『……理由は?』

「もう好きじゃないから。シズちゃんのこと俺好きじゃなくなったから、付き合うの苦しい」

『マジで言ってんのか?』

「さっきからそう言ってるけど?」

『……こういう話はちゃんと顔見て話してぇ。今から』

「来なくていい。要件はそれだけ。顔見ても俺の気持ちは変わらないから。ほら、席に戻ってたのしくお酒でも飲んでなよ」

『手前、一方的過ぎんだろ!!』

「ばいばい、シズちゃん。」

シズちゃんが反論してくる前にプツリとケータイのボタンを押す。
言ってしまった言葉。一方的に言い逃げして、きっとシズちゃんはキレてるだろう。いや、もしかしたら気にも留めずに、仕事仲間と飲み始めたかもしれない。壁に掛かった時計に目を見やれば、既に5月4日は終わっていた。

それから俺は新宿の自宅兼事務所から、急いで別の場所へ隠れた。波江さんによれば、次の日にシズちゃんが押しかけてきたらしい。ケータイは新たに契約して、シズちゃん専用のものは捨てた。半年以上は池袋にも行かないようにして、徹底的にシズちゃんとの接触を遮断する。もうあんな惨めな思いしたくないから……。



1月

(別れてから251日後)


今年に入って、どうしてもはずせない仕事で池袋に出向いた。会いませんように、と強く思う反面、心の隅っこで期待してる自分がいる。自らが絶った関係なのに、女々しくも過去を引きずって馬鹿なことを考える。あの時俺は素直に自分の誕生日であることを伝えればよかったんじゃないかって。そうすれば、シズちゃんはきっと忘れていたことを謝って、「おめでとう」って言ってくれたんじゃないかって。もう時間はどうやったって戻せないのにね。シズちゃんは勝手に別れを言い逃げした俺と会ったらどうするのかな。許せなくて殺しにくる?それとも、その怒りさえ冷めて完全に無視……とか……?出た結論に顔を歪めるた瞬間、目の前に金色が現れた。

「臨也……?」

「!シズちゃ……」

簡単に見つかって、久しぶりのご対面にあっけに取られるも、条件反射でくるりと踵を返して逃げ出した。そしたら普通にシズちゃんも追いかけてきた。シズちゃんは、「待て」としきりに叫ぶだけで別れたことに関しては何も触れなかった。
そして、俺はあることに気づく。捕まえる寸前で、シズちゃんはその追う足を止めるのだ。わざと最後は俺を逃がして、追いかけっこは終わる。付き合いだす前みたいに、シズちゃんが俺を捕らえることはなかった。
その日を境に、俺は池袋に行くようになったけど、シズちゃんと鉢合わせすれば、見せ掛けだけの殺し合いをした。


治りきっていない傷が、戻らない二人の距離にじくじくと痛んだ。




そして。

(別れてから365日目の)

5月4日

もう顔を合わせるのもつらくて、池袋を避けていたのになんで新宿に現れるわけ?
しかも、今日は異様にしつこい。走って走って、気づけば池袋じゃないか!!
行き止まりに追い込まれ、塀を登ってパルクールで逃げようとすると、足首を掴まれた。

「う、わ!!」

ぐらりと体が傾いて、地面に落ちるのを覚悟するも、シズちゃんの手が伸びてきていきなり肩に担がれた。

「え?なに!?降ろしてっ!!」

背中にすかさず、ナイフを突き刺すが全く刺さらない。あれ?一年前は5ミリくらいは刺さったのに、1ミリくらいしか刺さらない。またシズちゃん進化してる??そんなこと考えてる間にも、ずんずんとシズちゃんは歩いていく。

「悪ぃけど、今日は逃がさねーから」

ぐっと俺を支える手に力がこめられた。