サラリと手のひらから逃げていく髪を、追うように何度も掬う。 艶やかな黒髪は見た目よりもずっと心地良くて、いつ迄でも触れていたいと思うから不思議なものだ。
"なんとなく"で、構わないなら、分かっている事が幾つかある。
まずはこの触り心地の良い髪の主が、自分が世界で一番嫌う男のモノだという事。 そして、いまこの時間が夢であるという事だ。
その二つしか分かっていない静雄は、それだけで十分だと思っていた。
夢ならば、いつか覚めるのだろう。それまでは、この不思議な感覚に身を委ねていればいい。
「シズちゃんはさ、」
夢の臨也が何かを話す。 くすぐったそうに身を捩る様を見ながら、ひとつ、ある事を思い出した。
けれどそれは、誰も知らなくていい事であった。
その"誰も"には、静雄自身も含まれる。
声が聞こえる。 耳に優しいだけの、棘を含まぬ臨也の声。
偽物のそれに、こんなにも心を動かされる唯一のワケ。
瞼を閉じて、甘やかな夢から抜け出すように強く願う。此処に居ては、いけないのだと。
柔らかいだけの声が、今も聞こえる。目を閉じても、耳を塞いでも、誰より近く感じる声。
逃げなくては、
にげきれるだろうか、
それより自分は、
にげたつもりで、 いたんだろ う、 か
ある、悪夢のはなし (じかくをうながす さいていのゆめ)
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